青いムーブメント~1988年いかたの脱原発ニューウェーブ~

歴史は繰り返すのか、それとも螺旋を描いて別の場所に到達するのか。
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科学技術社会論学会編、科学技術社会論3『科学技術と社会の共生』より

http://books.google.co.jp/books/about/科学技術と社会の共生.html?id=ewzP_yTrDUoC&redir_esc=y

ありす @alicewonder113

「1988年の四国電力伊方原子力発電所の出力調整試験反対運動でピークに達した「脱原発ニューウェーブ」が、大きな可能性をもつ「新しい社会運動」として紹介されている。それは高木仁三郎氏らに代表される従来の反原発運動を、「旧い運動」とみなし、それに敵対する姿勢を鮮明にしていたが、」

2012-07-13 23:48:14
ありす @alicewonder113

「日本初のグリーン電力事業を開始したのは…生活クラブ北海道である。1996年に北海道電力が泊原子力発電所…の建設計画を発表したことを契機として…女性会員たちが反対署名運動を始めた。その学習会に長谷川氏が…共同発電所を建設するアイデアを提案したところ、(続

2012-07-14 00:42:23
ありす @alicewonder113

「反対運動の効果に限界を感じていた参加者の共鳴を呼び、またたくまに事業発足にこぎ着けたという。」 http://t.co/CKiZzaRc p.168 なんか、デジャブ

2012-07-14 00:42:58
ありす @alicewonder113

「”自己責任”には、大きな問題がある…諸個人の間で知的・社会的資源が均等に配分されているわけではないからである。否、いかに知的資源が豊富な人であれ、個人が有する範囲には限界がある単一の個人がすべての情報を同じ程度にまで共有することが事実上不可能な社会である」p.166

2012-07-14 01:45:55
ありす @alicewonder113

「ちなみに評者はその最盛期より、「脱原発ニューウェーブ」がきわめて情緒的であることに対して否定的評価を下していた。それは今も変わらない。」 http://t.co/0fHHSxcr

2012-07-14 12:29:26

47ニュース「第5部原子力の戦後史」

http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_55.html

ありす @alicewonder113

「運動の担い手も既存の市民団体、労働組合から"普通の市民"に広がった。88年2月、四国電力伊方原発の出力調整試験への抗議では原水禁などとあえて連携しない「ニューウエーブ」と呼ばれる動きが現れて現地でデモを展開。四国電は試験内容を見直した」 http://t.co/T9lrjrcs

2012-07-14 12:26:09
ありす @alicewonder113

「原水禁などは88年4月、原子力資料情報室代表だった高木仁三郎を事務局長とし、日比谷公園で「原発とめよう1万人行動」を開く。2万人が参加し、社会現象としての運動は頂点を迎える。…高木らは原発の新増設を中止し、運転中の原発も廃炉に導く「脱原発法」制定を求め、署名活動に乗り出す」

2012-07-14 12:26:59
ありす @alicewonder113

「90年から91年にかけ、計約330万人分の署名とともに国会に請願を提出。だが、請願は採否手続きに回らず、署名は宙に浮く。運動の高まりが成果につながらなかったことは大きな挫折感を生み、批判を受けた高木は体調を崩し、うつ病で一時療養を余儀なくされた。」

2012-07-14 12:27:33
ありす @alicewonder113

「妻久仁子は、高木が2000年に亡くなる前「直観的な反対運動を科学的、理論的に裏付け、鍛えていく社会的なシステムづくりが出来なかった」と話していたのを覚えている。」 http://t.co/T9lrjrcs

2012-07-14 12:28:05
ありす @alicewonder113

どうなんだろうなぁ…大勢の人間が動くのは、情緒でもいいような気もするんだが。

2012-07-14 12:39:16
ありす @alicewonder113

結局、その大勢の情緒が政治につながらなかったところが問題なんだろう

2012-07-14 12:40:05
ありす @alicewonder113

1988年から91年にかけての首相は、竹下、宇野、海部。当時も首相はころころ変わっていたんだな。 http://t.co/5rBhOxnO

2012-07-14 13:19:00
ありす @alicewonder113

宮澤も1991年にかかっている。そして宮澤のあと、細川になって、与党が55年以来初めての非自民となる。

2012-07-14 13:25:23
ありす @alicewonder113

今の脱原発運動には結構議員が入り込んでいるし、政党結成の動きも見える。1988脱原発ニューウェーブの頃はどうだったんだろうなぁ。三橋なんとかはおいといて、確か日本でも緑の党あったような…これか。中村敦夫とか http://t.co/ZmXqlXbt

2012-07-14 13:31:16
ありす @alicewonder113

「直観的な反対運動を科学的、理論的に裏付け、鍛えていく社会的なシステムづくりが出来なかった」(高木仁三郎)ここにはまだ、政治をどうやって動かすのかという観点は見えてきていない。

2012-07-14 15:43:22
ありす @alicewonder113

吉岡斉「チェルノブイリ事故は日本にも大きな影響を及ぼし、一般市民を幅広く巻き込んだ脱原発世論を高揚させたが、日本政府の原子力政策への影響は小さかった。…国内各地の原発建設計画や…六ヶ所村の核燃料サイクル施設の集中立地計画にも、ブレーキをかけるにはいたらなかった。(続

2012-07-14 14:05:43
ありす @alicewonder113

(承前)その点で日本はヨーロッパ諸国と事情を異にする。日本の国土に直接大量の放射能が降り注がなかったために、チェルノブイリ事故のインパクトが、ヨーロッパ諸国と比べて弱いものとなったと思われる。」(『新版原子力の社会史』)

2012-07-14 14:06:54
ありす @alicewonder113

吉岡「「脱原発ニューウェーブ」も、90年代に入るとさすがに鎮静化の方向へ向かった。それは運動が具体的な成果をあげられなかったことによると思われる」「1988年に提起された「脱原発法制定運動」は、合計350万人の市民の署名を集め、それを国会に提出したが、(続

2012-07-14 14:09:13
ありす @alicewonder113

(承前)そうした民意の高まりが政策転換のための具体的な動きへと、つながることはなかった。」「こうして日本の原子力共同体は、チェルノブイリ事故を契機に高まった脱原発世論の高揚を、ひとまずしのぎ切ることに成功した」

2012-07-14 14:11:01

青土社『現代思想』2011年10月号「反原発の思想」

ありす @alicewonder113

ここからしばらく、「現代思想2011年11月号」~「いかたの闘いと反原発ニューウェーブの論理」より、引用と要約ツイートします。

2012-07-14 22:52:53
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