心理療法が日本社会に今ひとつ根付かない理由を考えてみよう。

以前より折に触れて言及されてきたことではありますが、文化差というのは案外のっぴきならない要因なので、今更とは思いつつ改めて述べてみました。
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いま~じゅ太郎♪ @image_taro

西洋由来の心理療法が今ひとつ日本社会の中に定着しない理由を、徒然なるままに呟いてみよう。(つづく)

2012-07-22 01:06:40
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心理療法のベースはやはり精神分析。フロイトがユダヤ人というのが目立つけど、心理療法はもともと西洋由来で、ヘブライの神様のいる文化の中で生まれた。そこでは、自分の過ちや秘密を神様に向かって開陳し、赦しを乞うのが自然。そういう生活文化をベースに心理療法は生まれた(つづく)

2012-07-22 01:07:09
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同時に、西洋文化はしっかりとした自我を基調とする文化。プライバシーやプライベートを大切にし、パブリックとの境界を自我の力でしっかりマネージメントすることを良しとする文化。(つづく)

2012-07-22 01:07:25
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対して、日本の文化。襖や障子の生活の中でプライベートやプライバシーが希薄な中で生きてきたメンタリティを持つ。見えているけど見えないふりをお互いがする生活の中で、西洋よりいっそう、デリケートな部分を強固に秘する生活スタイルを作って来たと言えるかもしれない。(つづく)

2012-07-22 01:08:00
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ということは、へブライズムの告解を背景に成立した精神分析(広く言えば心理療法)は、守られた場所で告白することが自然な西洋社会の中でこそ、おそらく最大の力を発揮するのではないか。内面の秘する部分を開陳するということは、おそらく西洋文化に生きる人々の方が長けているのでは?(つづく)

2012-07-22 01:08:29
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日本文化のプライバシーの感覚の弱さは、かえってデリケートな部分の守りを強固にしてしまい、開陳することが不得手になってしまっているような気がする。西洋の人々よりも不用意にプライバシーを漏らしてしまう傾向がありながら、反面ではデリケートな部分は決して出さないという。(つづく)

2012-07-22 01:08:51
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だとすれば、西洋文化由来の心理療法の方法を単純に日本社会の中に接木したところで上手くいかないのも当然のような気がする。日本人の漏れ出てしまう部分を扱いながら、同時に秘匿されている部分(これはおそらく西洋社会における告白の形では開陳できない)を扱うための工夫が必要になる。(つづく)

2012-07-22 01:09:11
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そういう、日本的なアレンジがどれぐらいなされているのだろう?日本生まれの方法も幾つかあるけれど、未だに躍起になって西洋文化由来の流儀を守ろうとしている人々がたくさんいる。無論、それらが魅力的な方法であることは確かだが、やはりそのままでは使えないことも多々あることの自覚は必要だと。

2012-07-22 01:09:29
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以上、徒然なる呟きでした。今夜はこれぐらいにしておきます。ちなみに、私は日本を出たことがないので、そこは差し引いて読んでください。きっと認識不足なところが大いにあるので。

2012-07-22 01:11:33