安保反対運動の余波――山上ひろし「広島の記録」(1960年)から

  1960年、日米安全保障条約の改定をめぐって、日本中で反対運動が大きな盛り上がりを見せました。運動に参加したひとびとはどのような思いから運動に参加したのでしょうか。当時の様子やひとびとの考えについて、『思想の科学』誌に掲載された広島県の一市民の報告を紹介します。 出典: 『思想の科学』1960年7月号(特集:市民としての抵抗) http://www.shisounokagaku.co.jp/magazine/magagine05.html 続きを読む
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dabitur @dabitur

[paper] じゃあ今日はこのへんをひとつ. / 山上ひろし「広島の記録」『思想の科学』1960年7月号(特集:市民としての抵抗) pp.103-5  http://t.co/itmVgZMT

2012-07-29 01:48:11
dabitur @dabitur

「*県北とはいえ、ここが広島県であるということは、この町にとって、こと原爆に関する限り、それは決定的なことである。八月四日、あの日の出来事は、民間伝承となって、町民の間に繰り返し語られている。しかし、ここに原水爆反対、平和を守れという運動はまるでなかった」(ibid.,p.103

2012-07-29 01:49:25
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「去年のこの県北コース〔平和行進のことだと思われる―引用者〕は八月一日に出発した。それは、県教祖その他の、広島市からはるばるやって来た平和活動家の努力によって、辛うじて、出発起点の面目を失せぬ程度のものでしかなかった」(山上ひろし(1960)「広島の記録」, p.103)

2012-07-29 01:51:37
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「それを眺める町民の眼ざしは、反感こそ無けれ、羞かしくってとても旗などかついで歩けんなあ、というのが正直なところではなかったろうか、そうしてそれが、この町の、時々そこに押し寄せる大状況の波をくぐり抜ける、おきまりの態度でもあった」(山上ひろし(1960)「広島の記録」,p.103

2012-07-29 01:53:01
dabitur @dabitur

「〔1960年〕六月四日、そのようなわが町民が別人になったなどと暢気なことをいうことは出来ない。しかし確かに皆はそれ迄の彼等のようではなかった」(山上ひろし(1960)「広島の記録」, p.103)

2012-07-29 01:54:16
dabitur @dabitur

「原水爆禁止世界大会を目ざして日本の西端から歩みつがれて広島入りする、国民平和大行進西コース斑に呼応しようと、県北で起こされた行進が、その日、集会のはじめから、既にどのように、性格を変貌させてしまっていたか」(山上ひろし(1960)「広島の記録」, p.103)

2012-07-29 01:55:43
dabitur @dabitur

「それは、実力行使のストライキと、抗議集会参加者五百八十万人、戦後最大の規模と呼称されたその日の、岸内閣への全国的弾劾統一行動に呼応する、ここでの安全なカンパニヤであった」(山上ひろし(1960)「広島の記録」, p.103)

2012-07-29 01:58:03
dabitur @dabitur

「その状況は、私に次のことを深刻に考えさせずには措かなかった。*原爆惨劇の民間伝承さえ持ちながら、一度として平和運動の起きなかった*この町に、原水爆禁止のスローガンと、新安保反対のスローガンが重なり合ったとき、はじめて、人々が*立ち上ったのは何故であるかと」(ibid.p.103

2012-07-29 01:59:38
dabitur @dabitur

「〔1960年〕五月十九日以来の新聞は、民主主義と議会政治に対する危機と、全国に湧き起こった、労働者、学者、学生、文化人たちの国民的反政府闘争を連日報道しているが、*この町もまた遅れ馳せながらその驥尾に附したのだとすましていられるだろうか」(ibid., p.103)

2012-07-29 02:00:55
dabitur @dabitur

「いわゆる学者、評論家、そうして新聞の論説者たちが、政治的事件で、十の憤激をぶちまけるとき、それに追随しても、町の人々は、五か六くらいの憤激しか*、感じないのが普通である。その上、ここの町民には、自己を辺境住民と決め込む意識が強過ぎる」(ibid., p.103-4)

2012-07-29 02:02:24
dabitur @dabitur

「五・一九以後の事態*今こそ民主主義の危機、議会政治の危機とするマスコミ上の訴えかけが、たとえ十のものが五に弱まるとしても、同様の質、同様のニュアンスを保って町の人間に通じたか」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:03:18
dabitur @dabitur

「自分の恥を公表することになるが、私自身、その問に対して、そのような論調の訴えかけには、自己の内部の針は、実に小さな振幅しか示さなかったと告白する外ない」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:03:40
dabitur @dabitur

「私には、日本の保守政党なら、あれくらいの横暴はやって当然という宿命論のようなものがある。その宿命論に、あまりに平常から馴染みすぎているために、*実際の悪に直面したとき、弾けるような精神の反響を私は持てなかった」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:04:35
dabitur @dabitur

「だから私は、*竹内好氏が述ぺた、『民主主義を守ることと安保阻止をだき合わしてはいけない。歴史的に言えば、安保改定阻止の方が先であるが、論理的にいえば、民主主義を守ることが先である』という峻烈霜の如き言葉に、深い教訓を受け*るけれども」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:05:54
dabitur @dabitur

「六月四日のわが町の情景を、民主主義を護る闘い、議会政治擁護の大衆行動と帰納するわけには行かないのである」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:07:08
dabitur @dabitur

「それではお前は、お前の町に生れた未曾有の大衆行動を、どのように説明しようとするのかと訊かれるなら、私ははっきりといおう、皆をあの行進に集めたもの、それは、現実になった核戦争に対する恐怖感であったと」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:07:38
dabitur @dabitur

「アメリカのU2型機事件をめぐって、ソ連国防相マリノフスキー元帥が*報復のロケット攻撃を行なえと発した命令の発表は、核爆発実験の空気汚染などには殆ど不感症になり果てていたこの町の住民に、初めて、はッと恐怖の奈落を覗かせたのだと、私は推察する」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:08:45
dabitur @dabitur

「如何に論理的思考の不得手な庶民であっても、その恐怖の源が、岸内閣――新安保条約――対米基地提供――そしてソ連ロケット攻撃という一連の径路をたどって、生れるものであることぐらいは考え得るのである」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:09:22
dabitur @dabitur

「戦後十五年、今や、民主主義と新憲法の精神は、広汎な国民各層へ根を下ろしたという言い方が横行している。/果たしてそうであろうか、私を含めて、私の四周の農民たちの生活は相変わらずあまりにみじめであり、前途に光明はほとんどない」(ibid., p.104)

2012-07-29 02:12:00
dabitur @dabitur

「その際、町の人々は、日本基地のU2型機は決して共産圏上空にスパイ飛行しなかったし、今後もしないであろうという、アメリカ当局の声明など微塵も信用しない」(ibid., p.105)

2012-07-29 02:14:16
dabitur @dabitur

「いや、信用するしない以前に、新聞でU2型機の優秀な隠密行動機能を教えられると、私のように、そんな飛行機があるのなら、アメリカが、日本の基地から飛び立たせてシベリヤ・中共・北朝鮮のスパイ飛行をするのは当然だと思ってしまうのである」(ibid., p.105)

2012-07-29 02:14:23
dabitur @dabitur

「原爆攻撃の破局について、広島についての民間伝承をもつこの町の人々は、どんな熱烈な戦争反対論者にも引けをとらないほど、その想像のイメージは具体的でそうして深刻である」(ibid., p.105)

2012-07-29 02:14:33
dabitur @dabitur

「戦後十五年、今や、民主主義と新憲法の精神は、広汎な国民各層へ根を下ろしたという言い方が横行している。/果たしてそうであろうか、私を含めて、私の四周の農民たちの生活は相変わらずあまりにみじめであり、前途に光明はほとんどない」(ibid., p.105)

2012-07-29 02:14:41
dabitur @dabitur

「終戦直後の、闇米と和牛の高値の一時期を思い出すのが、農民の唯一の明るい話題とさえ言える。街では、店員、事務員、肉体労働者にとって、労働基準法というものは、いまだに無縁の存在である」(ibid., p.105)

2012-07-29 02:15:06
dabitur @dabitur

「国の中央で、暴力に踏みにじられた、今こそ民主主義、議会政治の危機だと叫ばれる言葉が、この町の大多数の人々の心に実感を惹き起しにくいものであるかを想像してもらいたい」(ibid., p.105)

2012-07-29 02:15:27