大英帝国下での旧植民地国に対する教育について

ネルー、リークアンユー、ラーマン、ニエレレ等が受けた教育について
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@bukrd405

ネルー、リー・クアンユー、ラーマン、ニエレレなど「新英連邦」諸国の独立後第一世代の指導者らは、イギリス統治下で英語での教育を受け、イギリスの大学に留学後帰国し、独立運動を率いた人物であった。

2012-08-03 13:11:13
@bukrd405

イギリス帝国統治下では、各地にオックスフォード大学やケンブリッジ大学をモデルとした高等教育機関が作られ、イギリスのパブリック・スクールを模したエリート養成のための中等教育機関も設立された。

2012-08-03 13:13:30
@bukrd405

「中東のイートン校」と呼ばれたエジプトのヴィクトリア・カレッジのように、厳密にいえばイギリス帝国外にもそうした学校は作られている。それらの教育機関での教育は完全に英語で行われ、イギリス流のカリキュラムや学寮制度が採用された。

2012-08-03 13:15:09
@bukrd405

人格陶冶や規律、集団スポーツを通したフェアプレーの精神の涵養が重視されたのも、イギリス本国のエリート教育と同様であった。

2012-08-03 13:17:08
@bukrd405

リー・クアンユーは、シンガポール首相引退後に執筆した自伝で、次のようにシンガポールのラッフルズ学院での中等教育経験を振り返り、他の英連邦諸国の指導者との間で教育を背景とした共通性が存在したことを記している。

2012-08-03 13:17:17
@bukrd405

「開学初期の〔ラッフルズ学院の〕校長は英国人で、学院創設のモデルは英国のパブリック・スクールだった。授業内容は、大英帝国と植民地全体を対象に行われるケンブリッジ初級、上級試験合格証を取得することを狙いにしていた。

2012-08-03 13:20:08
@bukrd405

教科書は、とりわけ英語、英文学、大英帝国史、数学、地理学に関しては英国本国と同じ内容で、世界の英国植民地に共通していたのである。

2012-08-03 13:22:23
@bukrd405

後に私はシンガポールを代表して英連邦首脳会議に出席することになったが、そこでカリブ諸国や太平洋の島々など元英国植民地だった国の指導者たちと話して、彼らも同じ教科書で問題に取り組み、シェークスピアの小説の同じ部分を引用して話すことができることを知ったのである。」

2012-08-03 13:23:13
@bukrd405

グローバル・エリートというのはこういう人たちのことを指すわけですね(棒

2012-08-03 13:23:40
@bukrd405

で、こういう英連邦のエリートは英語や英国文化だけを通して情報を得る。かつての日本の旧制高校や旧帝大のように、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロシア語など、複数の言語から情報が持ち込まれていた。少し時代が下って大正期になると、ギリシア語やラテン語を学ぶ人々も現れた。

2012-08-03 13:27:43
@bukrd405

@jonathanohn まとめてくださってありがとうございます。ソースは『英連邦 王冠への忠誠と自由な連合』http://t.co/CRM4AERW です。

2012-08-03 20:23:00