『西洋美学史』twitter読書会 - Interlude I -
合理化と脱魔術化
「啓蒙化さやた時代にあって、芸術の持つ魔術的なものは、一方で合理的世界においてその存在を否定されつつも、他方ではこの合理的世界を批判する機能を持つ、という二重性によって特徴づけられる」(小田部胤久『西洋美学史』p.25)いうほど、芸術って非合理なものなんだろうか。
2012-08-06 22:39:37では、西洋に限らず、芸術的なものを非合理なものとみなす社会は多かったのだろうか。それとも、そもそも「合理性」という観念を生み出した西洋にのみ、芸術の非合理性という認識が立っているのか。
2012-08-06 22:44:42@yaoki_dokidoki 魔術的なものって今でいう(?)アウラとか崇高みたいな概念だと思うんですけど、それって合理性がゆえに現れるものではないでしょうね。啓蒙主義との関係も示唆されてますし、非合理と言うよりか非科学的という意味合いじゃないですかね
2012-08-06 22:48:55@yaoki_dokidoki やおきさんのpostを見て読み返していたんですが、ここ難しいですね。定義なしでぽんぽんと新しい語(「魔術」とか)が出てきて、それらの関係も明示されないので。ところで、「芸術が合理性を放棄して、かつての「魔術」に戻ることは許されない」とあるので(続く
2012-08-06 22:49:05@aoiiiin たしかに、合理/魔術という対比よりも、科学/魔術という対比の方がわかりやすいです。科学≒合理的ということなんだろうか。
2012-08-06 22:50:25脱魔術化、魔術からの解放という時の「魔術」は文化人類学でいう呪術のこと(どちらも元はmagic。 参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/呪術) マックス・ウェーバーにおいてはカトリックの儀礼重視の姿勢に対してプロテスタントはそれらを禁じたことがポイントです。 by ja_bra_af_cu
@sakstyle このページ、3日ぐらい読んでます。ガーダマーのくだりでの「存在するものの隠れなさ」ということばづかいや「明証説」のあたりから、ぜんぜんわからないです。
2012-08-06 22:52:22@sakstyle あ、確かに次のページにありますね。芸術はむしろ、すくなくとも合理性を保持している必要があるのか。
2012-08-06 22:54:46@yaoki_dokidoki @aoiiiin うーん、科学? ここで、「合理的なもの」とか「啓蒙」とか言われているものの中に科学は含まれているとは思うんですが、この文脈ではそれこそ文字通り、理に適っている、整合的であるという程度で使われているから、(続く)
2012-08-06 22:56:02@yaoki_dokidoki @aoiiiin 科学という言葉はあえて持ち出さなくてもいいかなあという気はするんですが(あおいんさんはこの本見てないと思うので分かりにくいと思いますが)。「脱魔術化」って社会学の用語ですよね。僕がこれをあんまりわかってないのでなんとも
2012-08-06 22:57:18あおいんさんのことばを借りると、芸術は魔術的な部分とそうでない部分(科学的?啓蒙的?)によって構成されていて、この魔術的な部分が、「合理的世界を批判する機能をも持つ」といっているのか。
2012-08-06 22:58:23@yaoki_dokidoki おおむね、「科学」のことを指していると考えていいと思うんですけど、そうすると、芸術の中にあるとされる「合理的なもの」というのがよく分からなくなっちゃうので、もうちょっと広い意味で捉えておいた方がいいんじゃないかなあと
2012-08-06 23:02:36「芸術の持つ魔術的なものは、一方で合理的世界においてその存在を否定されつつも」(小田部『西洋美学史』p.25)は、「合理的な世界では、芸術には魔術的な力なんてないよ」っていっているということかな。そうすると、ぼくは啓蒙されたタイプの人に属するわけか。
2012-08-06 23:03:54@tieckP @ja_bra_af_cu @nix_in_desertis さて、yaokiさんとの間で突発的に『西洋美学史』読書会の続きが始まってしまったのですが、ハッシュタグつけるの忘れてしまったので、一応お知らせしておきます #西洋美学史読書会
2012-08-06 23:05:27