藤井雪兎 @F_set さんの「自由律」解説〔部分〕

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藤井雪兎 @F_set

(RT承前)自由律俳句が生まれて百年ぐらい経ちますから、「うまくやったな」というパターンは当然出て来るわけでして。そうなると真似し出す人も出て来る。そしてそのパターンは広まって、やがて定着する。これが言わば「自由律の定型」です。

2012-08-16 20:01:35
藤井雪兎 @F_set

(続き)今はその「自由律の定型」がそれなりにあり、昔より自由律俳句は作りやすくなったのですが、逆にそこから外れた句はあまり評価されなかったりします。「自由律の定型」の再生産について無自覚な自由律俳人も多いためです。

2012-08-16 20:15:11
藤井雪兎 @F_set

(続き)私自身はあまり「自分」というものにこだわっていませんし、かと言ってそれを捨てようとも思わないですね。長い人生、何が起こるかわかりませんし、その結果が句にどのような影響を及ぼすか予想できないからです。そして書き手にそう思わせる不安定さもまた自由律俳句の特徴なのでしょう。

2012-08-16 20:31:50
藤井雪兎 @F_set

(続き)ただ、定型でしか成り立たない句は確実に存在します。575という堅固かつ明瞭で周知のリズムが前提となって、「ここではないどこか」を読み手の頭にすんなりとインプットできるからです。

2012-08-16 20:58:29
藤井雪兎 @F_set

(続き)ですので、「自分では考えてもみなかったこと、思ってもみなかったことを経験するための定型」というくだりは非常に納得。575のリズムは読み手のみならず書き手の感性にもある種の偶然性を与えます。わかりやすい言い方をすれば、感性を操る時があるのです。

2012-08-16 21:29:25
藤井雪兎 @F_set

(終わりに)以上長文失礼致しました。まとまりのない文章で申し訳ございません。口語の効果についても書きたいことがありますが、このぐらいにしておきます。示唆に富んだブログ記事を書いてくださった西原天気様、誠にありがとうございました。

2012-08-16 21:36:28
藤井雪兎 @F_set

@azemichi66 『自由律の月並』の方がわかりやすい表現ですね(´∀`) 何と言うか「ミイラとりがミイラになった」みたいな本末転倒っぷりであります。

2012-08-16 22:54:33