@fu_kyo さんによる《自分からの自由》《写生》《定型・自由律》

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矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

え~、先ずは天気さんのブログ記事を読んでね。http://t.co/n1oNtC2W

2012-08-23 01:56:25
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

記事のラストに天気さんが書かれてる「定型を用いない自由律俳句は、(自分がどう考え、自分がどう思うか、それを書かないため)どのように対処しているのか。興味が湧きます。」と云う問いかけ。

2012-08-23 01:59:21
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

あくまで、私個人の話なのですが、私が《自分からの自由》に利用するのは「写生」です。

2012-08-23 02:09:37
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

正直、定型では、どんなに頑張っても「写生」には限界があると思います。でも、自由律であれば、その限界が越える事が出来ると思うんです。

2012-08-23 02:14:07
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

「内在律」と「写生」。この両立が、俺の中で《自分》コンシャスの配分をイイ塩梅にしてくれるんですよね。

2012-08-23 02:17:17
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

俳句って、様々な詩型の中でも、なかなかにドライな詩型だと思う。ただ、俺はその俳句のドライさを支えているのは575の数律では無く、カメラ・アイによる写生だと思っている。だから自由律俳句なのだ。

2012-08-23 03:08:25
saibara_tenki @10_key

なぜ、定型=限界がある、とお考えになったのでしょう? RT @fu_kyo 正直、定型では、どんなに頑張っても「写生」には限界があると思います。でも、自由律であれば、その限界が越える事が出来ると思うんです。

2012-08-23 03:52:04
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key う~ん、「定型には限界がある」と言い切ってしまったのは、少々、筆の滑りかもしれませんが、僕の中では定型の数律の為に、削られてしまう部分がある様な気がして、それがそのまま(ある種の)可能性の喪失に繋がる様に思えてしまうワケです。

2012-08-23 13:40:29
saibara_tenki @10_key

@fu_kyo 《『取り合わせ」至上主義みたいな空気》はどこかにはあるんでしょうけれど、私にはゼロなので、これは置いておきましょう。「定型」とはまた別の「内容のパターン」みたいなものですし。【続く】

2012-08-23 13:51:20
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key ああ、すいません。自分でも『取り合わせ至上主義』云々はちょっとまた、別の機会に考えようと思って削除しちゃいました。すいませんm(_ _)m

2012-08-23 13:53:45
saibara_tenki @10_key

@fu_kyo ああ、いいですいいです。お気になさらずに。《安穏な取り合わせ至上主義》が、俳句をつまらなくしてきたのですよねえ。

2012-08-23 14:05:28
saibara_tenki @10_key

@fu_kyo 【続き】削られる以前のもの(可能性喪失以前のもの)は、誰/何に由来、あるいは誰/何によるものなのですか?……………………………………質問ばかりですみません。興味深い展開なので。応答・応酬はゆっくりでよろしいですよね。

2012-08-23 13:58:13
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key どもどもです。僕は「勉強」なんてものから散々逃げ回ってきたダメなヤツなので、上手く説明出来る自信が全くありません。だからノンビリと考え考えしながら質問にお答えしていこうと思います。ゆっくり応答、応酬してもらえるのは却って有り難いです。

2012-08-23 14:08:02
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key 因みに、天気さんの質問の意味が理解できず、トンチンカンな答えを返してしまうかもしれませんので、そんな時は、お手数ですが、再度ご質問の方、宜しくお願いしますm(_ _)m

2012-08-23 14:10:46
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key 僕が云う「削られる以前のもの」とは、実は二つあって、先ずそれは一番シンプルな形で答えると、「世界」であり、もう少し言えば「俺の網膜に映った世界」、「俺の脳が認識した世界」です。これはもしかしたら「俺の捕まえた言葉」とも言えるのかもしれません。

2012-08-23 15:21:16
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key そして、それが「誰/何に由来、あるいは誰/何によるものなのですか?」と問われれば、それは作者に由来するものだと思います。

2012-08-23 15:21:23
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key それと同時に、もう一つの「削られる以前のもの」とは、句の読み手である読者の事でもあります。コチラの方を「誰/何に由来、あるいは誰/何によるものなのですか?」と問われるならば、その答えは僕の想定する読者の俳句リテラシーに由来するものだと思います。

2012-08-23 15:23:43
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

フト、頭に浮かんだ事を備忘録的に記す。定型って、類想を忌み嫌うけど、俺は自由律俳句を読んでて、類想をそんなに気にしたことはない。

2012-08-23 15:27:48
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

定型俳句が「大した事言ってないのに詩になってる」様に、自由律俳句は「ベタなのに沁みて強い印象を残す」という事がよくある。ココ、定型と自由律の違いを考えるポイントだと思う。

2012-08-23 15:32:51
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

いくら俳句といえども、生まれた瞬間は、やっぱり《自分》コンシャス100%なんじゃないだろうか。

2012-08-23 15:36:57
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@fu_kyo この文章は少し違うな。「言葉に話者がある以上、その言葉は、一先ず《自分》コンシャス100%なんじゃないだろうか」の方がイイかな。

2012-08-23 15:47:49
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@fu_kyo この呟きも少し言い直そう。「定型は大した事言ってなくても詩になる。自由律はベタな事言ってるのに作者の体臭を強く感じさせる」

2012-08-23 15:57:48
saibara_tenki @10_key

@fu_kyo (いま作業が一段落)ああ、ひょっとして風狂さんはセッカチですかw ゆっくり、と申し上げたのは、数日、数週間単位、という意味です。ゆっくり行きましょう。(次、この話題にアタマを持っていくのは早くて今夜。犬のように働いて丸太のように疲れた後です)

2012-08-23 16:45:51
矢野勝久(魚弱) @yanokatsu64

@10_key だははは……www 了解です!

2012-08-23 17:00:43
saibara_tenki @10_key

.@fu_kyo さん:1)《自分からの自由》に利用するのは「写生」 2)定型による写生には限界がある。 3)それは「定型の数律の為に、削られてしまう部分がある」から。 4)削られる前のものとは、世界=俺の網膜に映った世界・~脳が認識した世界・俺の捕まえた言葉…いまここですよね。

2012-08-23 20:59:13