山本七平botまとめ/「日本”一般人”国」と「日本”軍人”国」の二国併存状態であった戦前の日本/~政府と軍隊を切り離した「統帥権」の暴走が招いた悲劇~

山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』/統帥権・戦費・実力者/307頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①人が一つの言葉に余り痛めつけられるとその言葉自体が「悪」に見えてくる。 私にとって「統帥権」とはそういう言葉で、長い間平静にはそれを口にできなかった。 …統帥権侵害、聖権干犯等々と続くその口調、そしてそれを口にした時の軍人達の狂信的な顔々々。<『一下級将校の見た帝国陸軍』

2014-12-06 12:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

②戦前の日本は、司法・立法・行政・統帥の四権分立国家とも言える状態であり、統帥権の独立は明治憲法第11条にも規定されていた。 従って政府(行政権)は軍を統制できず、それが軍の暴走を招いた―─ というのが私の常識であり、また戦後に一般化した常識である。

2014-12-06 13:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

③「執拗に統帥権の独立を主張して横暴を極めた軍」は、私にとって余りに身近な存在であったため、軍部以外に統帥権の独立を主張した人間がいようなどとは、夢想だにできなかった。

2014-12-06 13:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

④従ってある機会に、明治の先覚者、民権派、人権派といわれた人々、例えば福沢諭吉や植木枝盛が、表現は違うが「統帥権の独立」を主張している事を知った時、私は強いショックをうけ「ブルータス汝もか」といった気分になり、尊敬は一気に軽侮に転じ、その人達まで裏切者のように見えた。

2014-12-06 14:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤従って、その人達がなぜそう主張したのかさえ、調べる気にならなかった。 だが、このショックは、何かを心に残したのであろう。 それから十年ほどたって、やっとその間の事情を調べてみる気になった。

2014-12-06 14:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥なぜこの民権派・人権派が「統帥権の確立」──いわば兵権と政権を分離し、政府に兵権をもたせず、これを天皇の直轄とせよ──と主張したのか。 言うまでもなくそれを主張した前提は、明治新政府が…軍事力で反対勢力を圧服して全国統一した新政府、いわば軍事的政権であったという事実に基づく。

2014-12-06 15:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦この先覚者達にとっては、民選議院の設立、憲政へと進むにあたり、まずこの藩閥・軍事的政権の軍事力を”封じ込める”必要があった。 軍隊を使って政治運動を弾圧する能力を政府から奪うこと。 これは当然の前提である。 彼らがそう考えたのも無理はない。

2014-12-06 15:39:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧尾崎咢堂の晩年の座談によると、そのころの明治の大官達は 「我々は馬上天下をとったのだ。それを君たち口舌の徒が言論で横取りできると思ったら間違いだ」 といった意味のことを、当然のことのように言ったという。

2014-12-06 16:08:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨これに対して当時の進歩的主張が 「軍は天皇の軍隊であって、政府の軍隊ではない。政府が軍隊を用いて我々を弾圧することは、聖権(天皇の大権)の干犯である」 となったことも不思議ではない。

2014-12-06 16:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩また、この先覚者達の恐れの第二は、政争に軍が介入してくることであった。 たとえば板垣自由党を第一師団が支持し、大隈改進党を第二師団が支持するというようなことになれば、選挙のたびに内戦になってしまう。

2014-12-06 17:08:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪ここに 「軍は天皇の直轄とし、天皇と軍は政争に局外中立たるべし」 という発想がでてくる。 南米の国々や第二次大戦後独立した多くの国々を最も苦しめ、今も苦しめているのが政争に軍が介入してくる内戦である事を思えば、人権派・民権派のこの主張は、当時の主張としては不思議ではない。

2014-12-06 17:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫そしてこの点で、政権と兵権の分離、兵権の独立、天皇と天皇の軍隊の政争への局外中立化は、確かに、当時の進歩的な考え方であったであろう。 と同時に日本が範とした当時の西欧諸国にも、同趣旨の規定があったという。

2014-12-06 18:08:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬だが、規定はあくまでも規定であり、その発想の基本を忘れれば、この考え方には、いくつかの落し穴があり、逆用も可能であった。 その一つはまずその人達が、日本軍を「治安軍」と考えても「野戦軍」とは考えなかった点である。

2014-12-06 18:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭これは無理もないことで、鎮台条令が廃止され、鎮台を師団に改編したのが明治21年である。 そして日清戦争の時でさえ、まだ、多くの日本人は帝国陸軍が外国と戦争できる野戦軍であることに対して、半信半疑であった。 いわば南米諸国の軍隊に似た印象をもっていた。

2014-12-06 19:08:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮だがその後の日本軍の「軍事力成長率」は、戦後の経済成長率同様に恐怖すべき速度であり、いつしか軍事大国になっていた。 そしてその速度は軍人のみならず、多くの人に日本の軍事力成長は無限界「20世紀は日本軍の世紀」的な錯覚を抱かせた。

2014-12-06 19:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯従ってこの状態のある時期には、 日本の国土に、二国が併存していた と考えた方が、その実体がわかりやすい。 一つは日本一般人国、もう一つは日本軍人国である。

2014-12-06 20:08:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰そしてこの一般人国と軍人国は「統帥権の独立」と、軍人は「世論に惑わず政治に拘わらず」の軍人勅諭の原則で、相互に内政不干渉を約している二国、 そしてその共同君主が天皇という形をとっていた。

2014-12-06 20:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱帝国陸軍とは、日本国行政府の支配下になかったという意味で、 天皇の軍隊であっても、日本国「政府軍」ではない という形態へといつしか進んでいった。 この点、諸外国の国民軍(ナショナル・アーミー)とは非常に性格が違っており、従って国民軍とも国防軍とも言いがたい。

2014-12-06 21:08:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲だが皇軍という呼称は軍隊内にはなく、大日本帝国陸軍の略称は「国軍」であった。 そしてその内容は「”日本軍人”国軍」の趣があった。

2014-12-06 21:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

①「統帥権」の独立は 「ある時代の最も進歩的な考え方行き方は、次の時代の始末に負えぬ手枷足枷となる」 というケースの典型的なものであろう。<『一下級将校の見た帝国陸軍』

2014-12-06 22:08:58
山本七平bot @yamamoto7hei

②そして統帥権により日本国の三権から独立していた軍は、逆にまず日本国をその支配下におこうとした。 そして満州事変から太平洋戦争に進む道程を仔細に調べていくと、 帝国陸軍が必死になって占領しようとしている国は実は日本国であった という、奇妙な事実に気づくのである。

2014-12-06 22:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

③このことは 「太平洋戦争は百年戦争である。たとえ本土決戦に敗れても、無敵の関東軍が天皇を奉じて百年でも二百年でも戦いつづける」 と訓示した(といわれる)方面軍参謀の言葉によく表われている。 収容所の噂では小野田少尉はこの言葉を信じているから出てこないという事であった。

2014-12-06 23:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

④それが事実であるにせよ、ないにせよ、こういう言葉があったという噂を皆が少しも不思議がらずに受け入れていた事実は、これが軍隊内の普通の常識だった事を示している。

2014-12-06 23:39:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤これでは、日本も、満州同様、帝国陸軍の占領地域内の一国だということになってしまう。 事実、満州占領は、当時の一部の軍人には、内地占領のための軍事基地の設定であった。

2014-12-07 00:08:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥従って帝国陸軍とは、一般国民から見れば何を考えているかわからない、まことに無気味な「一国」、自分の手でどうにもできぬ横暴な他国に見えた。 そしてその国に強制移住させられれば、今までの常識も倫理も生活感も全く通用せず、何をされるかわからないという不安を…持たぬ者はいなかった。

2014-12-07 00:38:57