ふんばろう東日本支援プロジェクト・代表・西條先生 震災後、1年半で思うこと

ふんばろう東日本支援プロジェクト代表の西條先生の震災後1年半の思いのまとめです。
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saijotakeo @saijotakeo

【震災から1年半で思うこと】あの日から1年と半年が立ちました。3月11日、ようやく家にたどり着くと、家の中は無茶苦茶になっていましたが、家族が無事だったことの前ではあまりに些細なことで、どうでもよかったことを覚えています。家の中の写真→ http://t.co/EO6fm2w9

2012-09-11 15:01:20
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saijotakeo @saijotakeo

あの日、何千万人というひとが、同じ様な気持ちを味わったと思います。家族の命の危機を感じたと思います。そして実際に1万9千人以上の方が亡くなり、何十万人という方が避難所生活を余儀なくされ、何百万人という方が家族や友人を失いました。

2012-09-11 15:05:22
saijotakeo @saijotakeo

でも1年が経過した頃から、世間の原発以外の被災地への関心は急激に低くなっていったように思います。僕はその気持ちは理解できる気がします。みんな忘れようと思っているわけではないのです。

2012-09-11 15:09:32
saijotakeo @saijotakeo

ただ、誰にとっても辛い記憶なので、意識にのぼらせないようにして、前を向いて一生懸命に自分の生活を生きようとされているのだと思います。それは是非を問うようなことじゃなく、ただ、実際そうなのだということなのだと思います。

2012-09-11 15:14:40
saijotakeo @saijotakeo

一方で、そうした人々との意識とは別に、被災地の現状は歴然としてそこにあります。被災地は今どうなっているのでしょうか。場所にもよりますが、おおむね瓦礫は集められ、最初から整地された土地のように見えます。

2012-09-11 15:21:45
saijotakeo @saijotakeo

この写真は津波で亡くなった伯父さんがいたと思われる倉庫跡です。その先に見えるのが、仙台空港です。津波が仙台空港を襲う様子をテレビで観た方も多いと思います。倉庫はその一本道を挟んだ北側にありました。戻って片付けをしていたようです。 http://t.co/tXdg8Ttq

2012-09-11 15:28:24
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saijotakeo @saijotakeo

これは今年の6月に母(伯父さんの妹)と従兄弟(伯父さんの息子)と一緒に行ったときの、伯父さんが発見された場所の写真です。本当に何もないです→ http://t.co/vyMpQ3QZ

2012-09-11 15:37:12
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saijotakeo @saijotakeo

これは伯父さんの軽トラが見つかった場所です。従兄弟が震災翌日から現地に入り探し続けてようやく見つけることができたのでした。整地されて地面はふわふわになっていました。従兄弟は、全然変わっちゃった、写真とっとけばよかったなぁとつぶやきました。 http://t.co/8BZBaC8n

2012-09-11 15:43:02
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saijotakeo @saijotakeo

被災地には、最初から何もなかったようなところに街があり家があり、大切な人が眠っていた場所があります。でも、そのことには気づけません。というより、気づきようがないほど片付けられている場所では、現地の人や当事者以外、気づきようがないのです。

2012-09-11 16:11:27
saijotakeo @saijotakeo

それがよいことなのか、わるいことなのかはわかりませんが、やはり、ただ、そういうことなのでしょう。でも、最初から何もなかったようなところでも、誰かにとっては大切な場所かもしれない、と思いを馳せようにはしています。

2012-09-11 16:15:50
saijotakeo @saijotakeo

他方で、悲劇の大川小学校の学区である長面地区は、震災で最も地形が変わってしまい一面が湖のようになってしまったところもあります。これは数ヶ月前の写真ですが、以前としてこうした半壊した家が立ち並んでいる地域もあります→ http://t.co/VLFCHUex

2012-09-11 16:37:26
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saijotakeo @saijotakeo

「被災地は今、どうなっているのか?」と多くの方が思われることでしょう。震災から半年で、そういう番組も放送されると思います。しかし、その答えは当然一つではなく、「それぞれの地域、それぞれの人にとって違う」というのが現実です。

2012-09-11 16:39:25
saijotakeo @saijotakeo

前を向いて仕事を再開しようとしている人もいます。漁業を再開された漁師さん達もいます。仮設に籠もっている人もいます。仕事を探している人もいます。哀しみに暮れている人もいます。何もしないで過ごしている人もいるでしょう。二度と繰り返さないよう悲劇を伝えていこうとしている人もいます。

2012-09-11 16:42:55
saijotakeo @saijotakeo

福島のように原発の放射線被害により故郷に戻ることもできず、前を向くことすらできない人達もたくさんいます。(「ふんばろう」福島支部では東京に避難している方々を含めて支援活動を続けています→ http://t.co/L8RlXihI FB→ http://t.co/0I4l9iaX

2012-09-11 17:02:30
saijotakeo @saijotakeo

また津波被害においても、学校管理下にあった子ども達が95%が死亡、行方不明となった大川小学校のご遺族の中には「なぜ、大川小学校の子ども達だけが」と前を向くことができずにいる方々もたくさんおられます。

2012-09-11 17:04:37
saijotakeo @saijotakeo

大川小学校には防災無線やラジオを通じて、6m、10mの津波が来るという情報は入っていました。数十秒あれば逃げられる子ども達が普段登っていた裏山もありました。待機してたスクールバスで逃げることもできました。複数の先生や児童が裏山に逃げた方がよいと言っていました。

2012-09-11 17:09:24
saijotakeo @saijotakeo

そこには専門の先生もおり、近くの相川小学校はその先生の提言によって、津波の際の避難場所は校舎内から山の上のお宮に変更されたため、その学校は全員助かりました。何よりも50分の時間がありました。しかし、その場にいた子どもたちは奇跡的に助かった4人以外、全員が亡くなってしまいました。

2012-09-11 17:12:32
saijotakeo @saijotakeo

大川小学校の悲劇について知りたい方は、以下の動画が参考になるかもしれません。昨年の5月の報道なのでその後明らかになった事実と異なる点があります。実際にはまともな避難行動すらできていませんでした→http://t.co/Hmyef5pf →http://t.co/CmnL9YS2 

2012-09-11 17:16:16
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saijotakeo @saijotakeo

これをみるといかにすぐ裏山に逃げることができたかがわかります。複数の証言から子ども達の多くは裏山に逃げたがっていたことが明らかになっています。裏山に逃げて先生に連れ戻された子どももいます。 http://t.co/Kbw2qiUg

2012-09-11 17:21:18
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saijotakeo @saijotakeo

多くのご遺族は、学校は裏山がある、そこに逃げているから大丈夫だろうと思っていました。しかし、そうではありませんでした。「なぜ、裏山に逃げなかったのか、助けられた命ではなかったのか」、子どもさんを亡くされたご遺族はそうした思いに囚われ、今も苦しんでいます。

2012-09-11 17:27:02
saijotakeo @saijotakeo

(昨日の続き)ご遺族のお一人は、子ども達は地域の“希望”だったとおっしゃいました。中学校にあがるはずだった6年生が数人しか生き残らなかったのです。希望が亡くなってしまったと。3人のお子さんを全員亡くされた方、ようやくできたお子さんを亡くした方、どれだけの無念か計り知れません。

2012-09-12 10:16:44
saijotakeo @saijotakeo

この悲劇は、人災によって、さらなる悲劇を招きます。石巻市長は遺族への説明会で「自然災害における宿命」と開き直りともとれる発言をして、遺族をさらに傷つけました。また市教委も含め、1時間経ったからと、ご遺族を残してその場を立ち去りました。

2012-09-12 10:44:04
saijotakeo @saijotakeo

これによって多くの遺族が、子どもを亡くしてなぜこんな辛い思いをしなければならないのだと耐えられなくなり、遺族への説明会にも来なくなってしまいました。子ども達は帰ってこない、といって真相究明を諦めてしまった方もいます。こうした市教委の対応がご遺族の間に大きな亀裂を生んだのです。

2012-09-12 10:45:13
saijotakeo @saijotakeo

さらに、石巻市の教育委員会は、不都合な真実を隠すためか、まだ未解決の案件にもかかわらず、市教委が生き延びた子ども達にインタビューした際のメモをすべて廃棄しました。

2012-09-12 10:45:55
saijotakeo @saijotakeo

唯一生き延びた先生による手紙には「木が倒れていた」と書かれていましたが、実際には一本も倒れていないなど、様々な矛盾が明らかになっており、また最近では、様々な証言から市教委がその手紙に手を加えた可能性が高いことも指摘されています。

2012-09-12 10:48:18