体育の時間は「出来る生徒は楽しみ、そうでない生徒は惨め」になっていないか?
ただ、芸術の教員も、芸術の「学力」とは何かをもっと明確に示す必要はある。単に「味わう」とか「自由に感想を言う」とか「自由に表現する」だけなら、英数国理の教員から「レクレーション教科」と言われてしまう。
2012-09-17 17:08:15そういえば、体育の授業にも疑問を感じることがある。体育の授業によって生徒の身体能力や技能は向上しているのだろうか? 「運動神経のいい生徒が楽しみ、そうでない生徒はただ惨めな思いをする時間」になっていないだろうか?
2012-09-17 17:13:16(承前)「できないこと」を「できる」ように導くのが教師の役割だと思うのだが、体育の授業で「できなかった生徒」が「できるようになった」という話をあまり聞かない。もともとの運動神経・身体能力の差を明らかにし、さらに拡大しているのではないかという疑念を感じる。
2012-09-17 17:15:31(承前)「体育の先生になりたい」という生徒と話をすると、部活動の話ばかりが出てくる。「授業は?」と聞くと判で押したように「スポーツの楽しさを伝えたい」と言う。「運動が苦手で劣等感や惨めな思い出しかない生徒にどうやったら楽しさを伝えるのか?」と聞くと、全く答えられない。
2012-09-17 17:18:46(承前) あ~、こういう人間が体育の教員になって、運動の苦手な子をますます運動嫌いにしていくんだなあ、と納得。彼らから見れば、運動音痴な同級生は「侮蔑の対象」でしかないのだろう。「数学の先生になって数学の好きな子どもだけ教えたい」と言っているのと同じ。
2012-09-17 17:20:21@nekojitatarou 同感です。逆上がりのできない生徒が逆上がりの上手な先生に教えてもらってもできるはずがありません。数学の勉強を教えてもらうなら、数学が苦ってだった先生の所へ行くように生徒に話しています。その方が「どこが、なぜ分からない」かを知っているからです。
2012-09-17 18:18:23@nekojitatarou その通りだと思います。指導と評価が一体化しておらず、生徒に何を学ばせて、何を伸ばすのか、考えられていない授業が多いのが実態だと感じます。生徒ができるようにならない理由を、自分の力量ではなく、授業数の少なさとする先生が多いのも体育の特徴かもしれません。
2012-09-17 18:58:11ありがとうございます。同感です。「できない生徒」をどうやって指導するか、という話を体育の先生方の口から聞いたことがありません・「あいつは運動神経がいい」「あの子は全然運動神経がない」という話はよく聞きますが。陰で色々工夫していると信じたいです@yarusa1017
2012-09-17 19:05:32@c5t5 ありがとうございます。 体育の公開授業など見ても、全員に同じ「練習」を一定時間やらせて、効果の確認も無しにすぐ次のステップに進み、最後はゲーム形式で終わり。運動能力の高い子も低い子も同じメニュー。そして同じチームでゲーム。当然、能力の低い生徒はミスをして照れ笑い。
2012-09-17 19:09:51(承前)その「照れ笑い」が実はどれほどの惨めさと恥ずかしさを隠しているかを体育の教員は考えたことがあるのでしょうか? また、授業中に行う「実技テスト」にも疑問を感じます。他の生徒全員が見ている前で一人で一定の動作をやらされ、失敗するとクラス全員の笑いものになる。これが教育?
2012-09-17 19:14:21(承前)数学のテストで、ひとりずつ答案をプロジェクターか何かでクラス全員に見せながら採点したら大問題になるはず。ですが、体育ではそれが普通に行われている。そして、よく聞くのが、運動の苦手な子が失敗して皆が笑うと、先生までもが笑ったり冷やかしたりするということ。悲しくなります。
2012-09-17 19:16:32@nekojitatarou 体育教員を目指している身としては現状をしっかりと理解したいです。何を教え、何を学ばせ、何ができるようになったかを考える。ごく当り前のような気がしますが…。他山の石として努力していきたいと思います。
2012-09-17 19:19:02@nekojitatarou 私の高校では体育祭で1年全員でやる「学園体操」なる物があって、私は「お前、おかしい。全員の前でやってみろ」と体育教師に言われてやらされましたよ。で、「手首の角度まで指導通り完璧なんだが‥‥‥でも、皆でやるとお前だけ違う」と首を捻られても、知らんがな。
2012-09-17 19:27:39@nekojitatarou そもそも体育が科目として妥当なのか?とも思います。本当にスポーツの面白さを教えるんだったら座学も必要だと
2012-09-17 19:28:02@nekojitatarou 侮蔑くらいなら甘んじて受けますが、指導を試みて自分の思い通りに改善しないことに腹を立て「貴様のような不真面目な人間は許さない!」と言って人間性否定に入るのがキツかったです。
2012-09-17 19:28:15@nekojitatarou 数学にしろ国語にしろ授業中に指名して答えさせたり、黒板に書かせたり、というのはよくあると思いますが。
2012-09-17 19:46:20@nekojitatarou 私は運動全部だめだったけど、バスケでたまたま2本シュートが入った日に「今日は率ではお前が一番」とほめてくれた教師がいた。その先生は出来すぎて、すぐ教育委員会に引き抜かれて国体準備に投入された。できる人はできるんですけどね。
2012-09-17 19:53:43そういう時間だとてっきり QT @nekojitatarou: そういえば、体育の授業にも疑問を感じることがある。体育の授業によって生徒の身体能力や技能は向上しているのだろうか? 「運動神経のいい生徒が楽しみ、そうでない生徒はただ惨めな思いをする時間」になっていないだろうか?
2012-09-17 20:04:21@nekojitatarou そもそも、学校の体育授業は「体を動かすこと。運動神経のいい子がもっと楽しみを感じること」であって、苦手な子を鍛えるとか平均値を上げるような発想がないのではないか、と思われます。発想がないゆえに悪意もなく、だからこそ改善もされないということで。
2012-09-17 20:09:36@maisov_J そう!私もすばらしい体育の先生を何人も知っています。運動の苦手な生徒からもすごく慕われて信頼されている。きっと授業が充実しているんでしょう。具体的にどうやっているかは言わないけど。もっと発信すればいいのに・・・
2012-09-17 20:10:09@nekojitatarou いずれ社会に出てストレスと無縁の人生などあり得ません。ある子は算数に、ある子は体育にストレスを感じながら社会やストレスの対応を学ぶのだと思います。なんのストレスも無く純粋培養で社会に送り出される子供は将来が危ぶまれます。
2012-09-17 20:41:11@nekojitatarou 前段のつぶやきを読まずにツィートしていますので、的外れでしたらご容赦を。
2012-09-17 20:43:28そして、自分が充実していた部活動の形を最上と考え、十年一日の精神主義の強い、また時間的に拘束がハンパ無く過大な日本的な部活動が再生産されていきますね。 .@nekojitatarou 「体育の先生になりたい」という生徒と話をすると、部活動の話ばかりが出てくる。
2012-09-17 21:53:34体力作りという点ではとても大事なことだったのだと、今になって思います。「授業」としての視点の在り方にもよるのでしょうが、卒業してからの衰えぶりったら……。授業料=ジム代だと思えばいいじゃない!(そういう問題提起ではない) https://t.co/OcOhWSbY
2012-09-17 21:55:29