山本七平botまとめ/【空気の研究①】/ヒヨコを殺してしまう日本人の”善意”とは?/~感情移入を絶対化して”乗り移る”日本人~

山本七平著『「空気」の研究』/「空気」の研究/38頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①前略~臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。<『「空気」の研究』

2012-10-02 00:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

②従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化ないしは生活化であり、一言でいえば、それをしないと「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。

2012-10-02 00:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

③聖書学者の塚本虎ニ先生は、「日本人の親切」という、非常に面白い随想を書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりに寒かろうと思って、ヒヨコにお湯をのませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。

2012-10-02 01:28:02
山本七平bot @yamamoto7hei

④そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と記されている。私はこれを読んでだいぶ前の新聞記事を思い出した。それは若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。

2012-10-02 01:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤これはヒヨコにお湯をのますのと全く同じ行き方であり、両方とも、全くの善意に基づく親切なのである。よく「善意が通らない」「善意が通らない社会は悪い」といった発言が新聞の投書などにあるが、こういう善意が通ったら、それこそ命がいくつあっても足りない。

2012-10-02 02:27:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥従って、「こんな善意は通らない方がよい」といえば、おそらくその反論は「善意で懐炉を入れても赤ん坊が死なない保育器を作らない社会が悪い」ということになるであろう。

2012-10-02 02:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦だが、この場合、善意・悪意は実は関係のないこと、悪意でも同じ関係は成立つのだから。また、ヒヨコにお湯をのませたり、保育器に懐炉を入れたりするのは”科学的啓蒙”が足りないという主張も愚論、問題の焦点は、なぜ感情移入を絶対化するのかにある。

2012-10-02 03:27:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧というのは、ヒヨコにお湯をのまし、保育器に懐炉を入れるのは完全な感情移入であり、対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態だからである。

2012-10-02 03:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨そしてそういう状態になることを絶対化し、そういう状態になれなければ、そうさせないように阻む障害、または阻んでいると空想した対象を、悪として排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、これが対象の臨在感的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっているわけである。

2012-10-02 04:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩この現象は、簡単にいえば「乗り移る」または「乗り移らす」という現象である。ヒヨコに、自分が乗り移るか、あるいは第三者を乗り移らすのである。

2012-10-02 04:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪すなわち、「自分は寒中に冷水をのむのはいやだし、寒中に人に冷水をのますような冷たい仕打ちは絶対にしない親切な人間である」がゆえに、自分もしくはその第三者を、ヒヨコに乗り移らせ、その乗り移った自分もしくは第三者にお湯をのませているわけである。

2012-10-02 05:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫そしてこの現象は社会の至る所にある。教育ママは「学歴なきがゆえに……」と見た夫を子供に乗り移らせ、子供というヒヨコの口に「教育的配合飼料」をむりやりつめこみ、学校という保育器に懐炉を入れに行く。

2012-10-02 05:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬そして、それで何か事故が起れば「善意から懐炉を入れたのだ、それが事故を起すような、そんな善意の通らない『保育器=社会や学校制度』が悪い」ということになる。そしてそういわれれば、だれも一言もない。

2012-10-02 06:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭一体臨在感的把握は何によって生ずるのであろうか。一口にいえば臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは常に歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである

2012-10-02 06:57:46