武満徹と楽譜の仕上げ方について
- ShinyaMatsuura
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@itokenstein (武満さんの浄書譜について ちょっと横から失礼)私、柿沼と30年近い付き合いで、柿沼のところで武満さんの〝浄書前の楽譜〟を何曲か見ています。書かれているのは大抵10〜15段程、同じものを別の楽器でやるのが書き分けてなく、如何に楽器に配分するか細かく指示が
2010-07-28 22:58:26@itokenstein ある。つまり、少なくとも柿沼がやっていたのは、純然たる〝浄書〟のみ、です(柿沼はいつもいくつかミスがあるのを怒られていたらしい。一個だけ私がミスをみつけて直させたことあり。金太郎飴ゆえどの曲かは忘れました...爆)。
2010-07-28 23:02:05@itokenstein 私自身は、他人に浄書させるというのは考えられず、音になるまで管理したくなってしまいます。が、生涯の制限時間を考えると、武満さんのように浄書を人任せにして、どんどん新しい作曲へ進んだ方が、生産的ではある...
2010-07-28 23:05:29僕は全くそうは思わないんです。いま僕の目の前にWangerのPalsifalの4つの稿があります。すべて彼の手書きで、推敲するたびに決定的に作品が変質してゆきます。(以下次項) @tadzi0 武満さんのように浄書を人任せにして、どんどん新しい作曲へ進んだ方が、生産的
2010-07-28 23:53:56@tadzi0 大譜表に楽器名を書き込む程度の塗り絵オーケストレーションで、出来上がりの譜面も見ないで助手に任せる時点で、そういう仕事はパートが個別の楽器のための手紙になってない、一段以上下がる仕事と私は断じます、世話になった人に残酷だけどあの忙しいブーレーズだってこんな事はせず
2010-07-28 23:56:29@tadzi0 同門の柿沼さんの名前は敢えて出しませんでしたが、パートライティングで「浄書担当」が創意工夫を発揮した例もあったようです。「ユーカリプス」の弦楽オケ伴奏版は殆ど川井学さんのレアリぜーションとのこと。ご本人は何もおっしゃらないでしょうけれど、確かに首肯できる所ありです
2010-07-28 23:58:37@tadzi0 さらに言えば柿沼さん含め「オケ一曲のスコア書き下ろし」の金額。御存知かもしれませんが「勉強になるから」とかそういう話でいいのか大疑問です。柿沼さんはまだ幸運と思う。短かった生涯に渡ってアシスタントを続けた毛利さん!武満没後、天才扱いみたいな本を見る度シラけます。
2010-07-29 00:01:38いえ、私が見たのは大譜表ではなく... QT @itokenstein @tadzi0 大譜表に楽器名を書き込む程度の塗り絵オーケストレーションで、出来上がりの譜面も見ないで助手に任せる時点で、そういう仕事はパートが個別の楽器のための手紙になってない、一段以上下がる仕事と...
2010-07-29 00:01:39たぶん @tadzi0 さんがごらんになった10-15段というのはA string around autumnとか、パートの書き分けまでそこそこ武満本人がやった80年代末頃のものと思います(日本初演でオケ中鍵盤弾いたので覚えています)「柿沼時代」は1988年ごろ以降と思いますが
2010-07-29 00:07:08@tadzi0 うちにある「カトレーン」とか「鳥は星型に庭に降りる」なんかは大譜表はちょっと間違いですがソロ楽器数段と「その他大勢」の2.3段に書かれたピアノメモ・スケッチ風、いずれにしてもジャズのリダクション譜面によく似ていました。デューク・エリントンから借用した方法と思います
2010-07-29 00:09:24@tadzi0 あと、後年になっても映画音楽はラフに書いてやってたみたいですね。というか「三人の会」(芥川・黛・團の3氏)やら伊福部氏(松村とか池野成氏?)やら以来の戦後の映画音楽現場の慣習で、アシスタントまう投げが「新人にチャンスを与える」みたいな所があったらしく隔世遺伝かとも
2010-07-29 00:12:49@tadzi0 どうも70年万博が節目みたいで、それ以前も八村さんとか悠治さんとか映画の手伝い等したようですが、70年代の「ウインター」「秋」「ユーカリプス」あたり、池辺・川井といった俊才に作品助手を任せるようになってから少しずつ何か変質したような気がします。カトレーンは75年。
2010-07-29 00:16:20@itokenstein そうですね。映画音楽の中に、柿沼に回ってこないのがいくつもあった。編曲が必要なのは回さなかったのかも。 ...プロコフィエフが似たようなことをやっていたとか、聞いたことありますが...
2010-07-29 00:17:13@tadzi0 作品によると思います。古いですがソン・カリグラフィーとか、ピアノ曲とか、本当に彼自身がすべて書いた曲に、不器用ながら真実を僕は感じちゃういますね。なんかツイッター向きでないディープな専門の話になってしまいましたが・・・
2010-07-29 00:17:49@itokenstein 『カトレーン』の室内楽版、『ウォーターウェイズ』『閉じた眼』あたり、東京音大の五線紙で、全く同じ筆跡です。
2010-07-29 00:19:35@Shibacom 譲さんはとても気持ちのよい音楽家と思います。御茶ノ水にお勤めとのことで、忙しくしておられるかと。彼には論法含めどれだけ教えてもらったか知れません^^
2010-07-29 00:19:37@tadzi0 似てるかもしれませんプロコフィエフ。こちらは辣腕のピアニスト、かつスターリン体制下のソ連ですから、ちょっと意味合いは違ったと思いますが。武満という人は何かと「企業秘密」とか隠したがるように、当時の僕の目には映りました。柿沼氏はまた別の彼の横顔と触れたかと思います。
2010-07-29 00:21:21@tadzi0 僕は武満氏最後は前の年の夏明治神宮でやった「秋庭歌一具」で満月みたいに丸い顔になってしまった彼を見てショックが最後でした。松村先生もご命日のちょうど2年前「交響曲」(1)を演奏してお運び頂いたあとは電話と最後に一通だけお手紙を出しましたが、日本不在中の訃報でした。
2010-07-29 00:28:19@tadzi0 最後の手紙というのは、あまりに弱気なお電話だったので、オーケストラを書きましょう!と、実は作品委嘱、お願いしたのです。実際には残された時間は足りなかった訳ですが、いまでも僕は本当に残念です。
2010-07-29 00:30:16