- DonnieTheDutch
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↓海の幸に失礼なのは海や森や川を汚してしまった人たち皆でしょうに。なんかおかしい。原発に限らずいわゆる公害全般容認してきたり乱獲してきた大人はみんな失礼なんだが。ちょっと矛先おかしい。
2012-08-21 09:46:09魚を食べたくない人は、食べなければ良い。嫌々食べるほど、魚は余っていないし、海の幸に失礼だ。 RT @kanakana0917: さかなは食える、といいたいのか。 RT @katukawa: 「リスクが無いことの証明はできないが、統計的に見えるほどではない」ということ。
2012-08-21 08:15:03あなたは魚を食べなければ良い。それだけの話。 RT @kanakana0917: 放射能入りの魚に失礼もクソもなかろう。 RT @katukawa: 魚を食べたくない人は、食べなければ良い。嫌々食べるほど、魚は余っていないし、海の幸に失礼
2012-08-21 08:33:28だから、「イヤなら食うな」と何度言わせるのですか RT @kanakana0917: 前も入ってたんだから、今もたべろ、はムチャでしょう。RT @katukawa:
2012-08-21 09:09:54「程度問題で考える」ということと、「リスクを容認する」ということの、違いがわからない人がいるみたいですね。「程度問題」として考えないと、リスクには対応できません。
2012-08-21 09:25:39@katukawa 「程度問題で考える」とは加害者の視点です.被害者は被害が「あるかないか」のゼロイチですので.あと「メリットもないのに押し付けられる害や毒」はリスクというより「公害」と呼ぶのがふさわしいと思います.リスクという言葉は責任を曖昧にする「加害者の立場」の言葉です
2012-08-21 17:41:29だからと言って頼まれてもいないのに放射能をばら蒔いてよい理由にはなりません.あなたのおっしゃることは(無意識かもしれませんが)すべて「加害者の視点・立場」です.だから「黙れ」と言われるのだと思います. RT @katukawa 放射能は大抵のものに微量に含まれている
2012-08-21 18:02:32意味不明。程度問題として考えるかどうかは、被害者自身が決めること。あなたが全ての被害者を代表して決めることではない。 RT @hindu_kush420: @katukawa 「程度問題で考える」とは加害者の視点です.被害者は被害が「あるかないか」のゼロイチですので.
2012-08-21 18:04:13リスクは危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念です。 RT @hindu_kush420: @katukawa 「メリットもないのに押し付けられる害や毒」はリスクというより「公害」と呼ぶのがふさわしいと思います.リスクという言葉は責任を曖昧にする「加害者の立場」の言葉です
2012-08-21 18:06:24私は誰一人として他人の許容量は決めてませんよ RT @katukawa あなたが全ての被害者を代表して決めることではない。 RT @hindu_kush420: @katukawa 「程度問題で考える」とは加害者の視点です.被害者は被害が「あるかないか」のゼロイチですので.
2012-08-21 18:07:35なので「リスク」と言う言葉には「加害者の責任」という重要な概念がすっぽり抜け落ちています. RT @katukawa: リスクは危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念です。
2012-08-21 18:08:34全く意味不明です。放射能のリスクを程度問題として考えることは、放射能をばらまけと主張していることになるのですか? RT @hindu_kush420: だからと言って頼まれてもいないのに放射能をばら蒔いてよい理由にはなりません.
2012-08-21 18:09:42そうです.放射能の害を「程度問題」と捉える考え方は,「被害がこれくらいの程度なら社会のために許容せよ」という主張に利用されます. RT @katukawa: 放射能のリスクを程度問題として考えることは、放射能をばらまけと主張していることになるのですか?
2012-08-21 18:11:07確率的事象から身を守るために、リスクという概念がある。悪用される可能性があるなら、悪用されたときに反対すればよいでしょう。 RT @hindu_kush420: 放射能の害を「程度問題」と捉える考え方は,「被害がこれくらいの程度なら社会のために許容せよ」という主張に利用されます.
2012-08-21 18:13:28QT たとえば放射線は有害ですが,身体の病症を突き止めるためには,レントゲンを撮ることは必要です.つまり,治療というメリットがあってはじめて,有害な放射線を「許容量の範囲内で」あえて浴びる必要がでてくるわけです.
2012-08-21 18:14:30QT 本人にその意思も,ましてメリットもなく加えられる有害に対しては,いかに微量であろうとも,「許容量」という概念はありえません.当然こんな「安全」にたいしては,「信用できない!」といっていいわけです.
2012-08-21 18:14:38QT 許容量の考え方が成立するのは,その人個人に放射線を受ける健康上の「メリット」がある場合だけである.科学的には放射線の許容量など存在しません.いかに微量であっても,害がないと証明できない限り,よけいなものを体に受けることを「許容する」理由などないのです.
2012-08-21 18:14:52QT どれだけなら安全かということは,誰にもいえません.つまり,科学的に放射能の許容量など存在しない.この「限度」とは,社会的なメリットがあるからここまでがまんしてくれという,政治的な許容量なのです.
2012-08-21 18:15:15QT 危険が疑われる場合,「ここまでならだいじょうぶ」という許容量の考え方ではなく,どこまでの危険が疑われるかという情報公開が必要です.そのうえで,それを許容するかどうかは,私たちが決めることなのです.
2012-08-21 18:15:49「罪つくりな科学/武谷三男/青春出版社」より引用(太字は原文) http://t.co/7fyFYGxd より引用終わり
2012-08-21 18:16:43だから今「悪用されたと感じる人から『黙れ』」と言われているのだと思います RT @katukawa リスクという概念がある。悪用される可能性があるなら、悪用されたときに反対すればよい RT @自分「被害がこれくらいの程度なら社会のために許容せよ」という主張に利用されます.
2012-08-21 18:19:44なら、悪用している人に文句を言うべきではないですか?俺は自衛の手段としてのリスク利用を説いているのですから、筋違いでしょう。 RT @hindu_kush420: だから今「悪用されたと感じる人から『黙れ』」と言われているのだと思います RT @katukawa
2012-08-21 18:22:14@katukawa 「放射能が嫌なら魚を食うな(東電)」としても全く違和感ないでしょう。加害者視点の発言、というのはそういうことです。意識して悪用しているのかどうかは他人にはわからないことですが
2012-08-21 18:36:04