町山智浩帰国トークライブ@ロフトプラスワン 2010/7/28
町山さんのUST録画を全部観直したらこんな時間になってしまった…以後、備忘のために簡単にまとめる。個々の作品解釈はすっ飛ばして、「映画評論」についての内容を。
2010-07-29 05:38:48★映画は映画を参照/引用する。映画をそのもの単体で批評する事は出来ない。(堤幸彦批判)。なので、映画評論は映画をたくさん観ていないと成り立たない(勿論、観客はそんな事しなくて良い)。映画を観てない評論家モドキ(映画ライター、シネマアナリストなど…)が多すぎる。
2010-07-29 05:42:51★「解釈の多様性について」映画解釈の階層は上から「ストーリー」「内面(主人公の心理など)」「テーマ(監督や制作者が描きたい内容)」「観客の意見/気持ち」とあり、最上層の「ストーリー」解釈に多様性は許されない。ストーリー層を読み違えてる評論は端的にダメ。
2010-07-29 05:44:55★誰もが手軽に評論するようになり、ストーリー部分を読み違えている評論が多発。これは単に知の低下を招くだけ。このような状況は蓮實重彦の功罪(間接的に)。蓮實が言った「表層批評」を曲解したフォロワーが、単なる「印象批評(=観客のブログの感想」へと走った。
2010-07-29 05:49:46★蓮實以前は「意味批評」が支配的であったが、蓮實は「物語(=近代的自我)」を叩くために「表層批評」を提示した。近代または近代的物語とは、民主主義/国民主権の確立により、「みんなが大人」にならなければ成立しない社会の要請により生まれた因果応報(善い事をすれば幸せ、逆は不幸を招く)…
2010-07-29 05:52:37★因果応報なストーリーの事。蓮實はこれを意味批評していてもつまらないと言った(当時ハリウッドにはヘイズ・コードがあり、いわゆるハッピーエンドや因果応報的なストーリー以外の映画は自主規制され製作できない状況にあった)。これが68年に撤廃されてニューシネマが生まれる。
2010-07-29 05:55:59★ニューシネマの時代には民主主義(みんなが王様)という嘘がバレていく。自分は社会の主体なんかではないという意識の蔓延。この意識が現代的問題にも繋がっている(ニートなど)。自分の居場所は社会になく疎外されているため、社会で起こっている事は「他人事」であるという意識が危ない。
2010-07-29 05:58:17★ハートロッカー論争(宇多丸vs町山)について。イデオロギーで映画を語ってはいけない。第二次世界大戦は悪い⇒だからそんな戦争に参加した兵士達は認められない。と言う事とイデオロギーで映画を判断する事は極論すれば一緒。
2010-07-29 06:02:04★自分が人より上手く評論できるなどとは思っておらず、これを自分がやらなければならないという使命感と必然において、映画評論という形で「表現」している。ここに当事者意識がある。ようするに「でもやるんだよ(根本敬)」精神でやっている。
2010-07-29 06:05:35おしまい。かなり省いたりした部分があったけど、町山さんの言ってた大意はこんなとこなのかな。町山さんの著作とかポッドキャストをフォローしてれば既知の内容が多かったけど、改めて3時間半くらい(?)の話をまとめて聞くと、やっぱ映画評論に対する誠実さが伝わってきて、良かった。
2010-07-29 06:08:06