緩和ケア医・新城先生の深夜のつぶやき

ちょっと覚えておきたいと思ったので自分用にまとめました。ほかのつぶやきに埋もれて流れてしまう前に。 私だって誰だって、いずれは死ぬんだしね。
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新城拓也 @shinjotakuya

10月25日18時。HAT神戸、神戸赤十字病院で終末期の鎮静について講義をします。セミオープンの講義だそうです。鎮静の抱える不快な感触や、それを乗り越える信念について話し合いたいと思います。ドルミカムをどの量で投与するとかそういうのはもういいです。

2012-10-11 23:55:33
新城拓也 @shinjotakuya

8月に開業し考えると週に一人は看取っているペースになります。ホスピスで働いていたときより少ないのですが、実際には夜中現場に自分も呼ばれて直接脈をとって看取るので、今の方が本当に看取りが多いのです。(ちなみに勤務医時代には、当直のドクターに看取りを任せていました)

2012-10-12 00:02:36
新城拓也 @shinjotakuya

人の生死を見守っていると、「どうしても最期の直前に苦しまないとあちらへいけない」方がいらっしゃいます。どういうわけかある瞬間からそれまでの身体とは全く違う認知と知覚が生まれてしまいます。霊能系の人達は、魂と身体の離れる瞬間におこる現象と教えてくれました。

2012-10-12 00:04:06
新城拓也 @shinjotakuya

そうとでも考えないと説明がつかないほど、非科学的な状況です。科学的な範疇にこの事象を捕まえるために「腸が穿孔した」とか「がんが破れた」とか医者は言いますが、僕にはそうは思えません。それまでの世界と全く違う世界に行ってしまうのです。

2012-10-12 00:05:22
新城拓也 @shinjotakuya

そういう方々のために「終末期の鎮静」は存在しています。倫理的な手順や、本人の意志、家族の意志と言った、自己決定、自己責任の及ぶ世界ではなく、「穏やかに最期を迎えたい」という遠い願望のような約束を果たすそんな気分です。

2012-10-12 00:07:14
新城拓也 @shinjotakuya

でも医師としては、そういう非科学的な苦痛から亡くなりゆく人を救いたいと思えばこそ、色んな治療の限界、唯脳論的な倫理と鎮静の限界をみます。その時に救いたいと思う自分の心に宿るのは、医師としての使命か、Drキリコ的な慈悲なのかとても悩みます。

2012-10-12 00:09:12
新城拓也 @shinjotakuya

それでも、現実に自分の目の前に月に何度もそういう方があらわれます。そんな自分を下支えする観念を探さなくてはなりません。少なくともガイドラインの操作的な概念にその観念を見つけることはできません。

2012-10-12 00:10:30
新城拓也 @shinjotakuya

人の最期に立ち会う崇高な仕事ですが、それと同時に自分の限界を超える不快感を同時に味わいます。普通の生活では決して得られない人と人との感動的な出会いを感じつつも、診療する患者の多くは4週間も満たない時間の中で、何とも言えない爪痕を心に残してあちらへ帰ってしまいます。

2012-10-12 00:13:23
新城拓也 @shinjotakuya

少し前に、僧侶が臨床に近づいて欲しいとメッセージを送りましたが、僧侶は、「患者に歓迎されない」とぼやくよりも、こういう現場に長く暴露される僕も含めた医療者にまず寄り添って欲しい。あちらに行く患者さんは、あちらの人達に任せて欲しい。こちらに残る人達のケアをして欲しい。

2012-10-12 00:14:59
新城拓也 @shinjotakuya

開業してからもなお、出会う余りにも素敵な心の人達との時間をとてもありがたく感じています。人を看取ることは決してつらいことではありません。残される人達に時々会うこともとても素晴らしいことです。でも見送ってからすぐに次の人との関わりを持てない人もたくさんいます。彼らを助けて欲しい。

2012-10-12 00:17:25
新城拓也 @shinjotakuya

(なんてことを講義で話したらしらけてしまうので、ここに書きました。当日は普通に教科書通り話します)

2012-10-12 00:19:33