渡邊芳之先生ynabe39の「「平等」というのはけっして「すべてが同じである」という意味ではないのだろう。」

しかし「まったく同じ」ことでなく「責任に応じた結果が与えられる」ことが「平等」であるとしても,やはり私が生きていて同い年の他の人が死ぬのは「不平等」だろうなあと思う。じっさいさまざまなことは現実的に不平等である。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

「交通事故で友達が死んで運転者が生きているのは不平等だと思う」という犠牲者の友人のコメント。しかしそういう意味では私と同い年でガンや事故で亡くなる人がたくさんいるのに私が生きているのも「不平等」ではあると思う。

2012-10-12 08:13:13
渡邊芳之 @ynabe39

「平等」というのはけっして「すべてが同じである」という意味ではないのだろう。

2012-10-12 08:15:06
渡邊芳之 @ynabe39

しかし「まったく同じ」ことでなく「責任に応じた結果が与えられる」ことが「平等」であるとしても,やはり私が生きていて同い年の他の人が死ぬのは「不平等」だろうなあと思う。じっさいさまざまなことは現実的に不平等である。

2012-10-12 08:16:51
渡邊芳之 @ynabe39

「大人は車に保護されているのに子どもや年寄りだけが身体を晒して道を歩いている」ことの問題は以前指摘しました。 RT @tokuso: しかし車の場合は運転手を保護する装置は開発が進んで来ているのに、跳ねられた歩行者を守るような装置の開発は進んでいるのでしょうか?

2012-10-12 08:18:52
渡邊芳之 @ynabe39

まあ自動車メーカーが「自社の車を買って乗ってくれるユーザー」の命を最優先に守るのは当然と言えば当然だから,歩行者を守るシステムは社会的に作らないとならないだろう。

2012-10-12 08:20:52
渡邊芳之 @ynabe39

そうした「対策」を取る責任が(道義的倫理的な意味でなく)自動車メーカーにあるのかが議論になると思います。 RT @tokuso: …車メーカーが歩行者対策を真剣に考えているのか甚だ疑問です。

2012-10-12 08:26:57
渡邊芳之 @ynabe39

「道義的倫理的」には製造者に責任がなくても製造物の使用によって死傷者が出るならその対策はしないよりしたほうがいいでしょうね。 RT @ymrsnc: 道義的倫理的な意味だとどうなのだろう…

2012-10-12 08:39:21
渡邊芳之 @ynabe39

包丁を使った殺人が相次ぐから包丁メーカーが対策を取れといったら理不尽だろうが,メーカーが他人に危害を加えにくいような包丁を作ろうとすることは褒められるだろう。

2012-10-12 08:42:18
渡邊芳之 @ynabe39

要するに「自発的に責任を負うことが企業イメージや売り上げにプラスに働くかどうか」です。多くの場合プラスになるでしょうね。 RT @ymrsnc: それは同意ですが、つまり、メーカーは道義的倫理的な部分で責任を負うべきかという議論は、意味があるかないか…

2012-10-12 08:47:27
渡邊芳之 @ynabe39

「道具が持つ潜在的な危険性」への対策は多くの場合製造者だけの責任ではなく社会的な課題になる。包丁もそうだし自動車もそうだし,アメリカにおける銃の問題などもそうだろう。

2012-10-12 08:48:53
渡邊芳之 @ynabe39

ですから基本的に「べき」は言えないもので,社会システムとして対策するものと思います。 RT @ymrsnc: それは「べき」論とは違いますね。すみません、絡んでるようで。

2012-10-12 08:51:42
渡邊芳之 @ynabe39

「おたくの車のユーザーとしてはやってほしいと思うわけです」くらいの話でしょうね。 RT @ozanarisama: 「べし」だと命令形な上に絶対形になるのでそこまでの根拠がないゆえに「べきではないだろうか」は成立すると思うのですよ(´ー`)

2012-10-12 08:56:34