為末大さん@daijapanの「【心を教える限界】と【問えない正しさ】について」
どうしてこれを見て悲しくならないんだと怒るのは、どうして私を好きにならないんだと怒る人と同じ。思い通りになると思っている。強制できるのは振る舞いまで。人の心は自分ですらコントロールできない。
2012-10-13 19:02:06子供に感じ方を教えられるという人は、どうして子ども達に幸せに感じる方法を教えないんだろう。それさえ学べば、一切から解放されるのに。
2012-10-14 01:06:16昔友人にぼそっと”実は血を見るのが好きなんだ”と打ち明けられた事がある。長い間自分は異常なんだと悩んできたらしく、僕にそれを話すときも何か懺悔でもするように打ち明けていた。その時、少し僕もぎょっとしたけど”そうか”とだけ答えた。彼はその後結婚して今のところ何も起こさず生きている
2012-10-14 09:15:18悪い事を起こすやつは悪い欲望を持っていて、そしてその心を正す事が人の振る舞いを変える方法である。正しい道徳心を子どもの頃教える必要があるという人の発想はつまりそこから来るのだと思う。正しい感じ方があると思っていて、そして教える事で人の心は変えられると思っている。
2012-10-14 09:17:34ゲイの友人が子どもの頃、男の子を好きになるのは異常だから治そうと親に言われたと言っていた。当時の正常はそういう事。祖父が戦時アメリカに敵意を抱かないやつはおかしいと言われたと言っていた。当時の正しい感覚はそういう事。
2012-10-14 09:19:48道徳の意味は正しい心を教えるのではなくて、正しいとされる行いは何なのかを教える事だと思う。正しい心を言えば言うほど、そうではない子は疎外感と罪悪感を抱く。心を教える人は、所謂”正しい心”からずれた人を見ると、ああ育てられ方を間違えたねと言う。自分の正しさに対しての疑いが、ない
2012-10-14 09:25:32血を見たい彼に必要だったのは、欲求を罰する事ではなく、社会の中でそれをどう暴発させないかという仕組みだった。心は自由なものだから変えられない、でも振る舞いは変えられる。社会の中である程度許される振る舞いの中で、欲望をやり過ごす事はできる。
2012-10-14 09:29:56【終わり】感性はコントロールできず、そしていつも自分にとっては正しい。その前提から始まる事が大事だと思う。とりあえずこの社会ではこうしておきなさい、こう感じる必要は無いけれども。子ども達が自由に感じる心を罰しない道徳であってほしいと、僕は思う。
2012-10-14 09:42:45人に殺されてもいい人が人を殺すのは道徳に反さないということでしょうか RT @hayarisuyari: @daijapan 時代によって移り変わる価値観は道徳では無く思想。道徳は幼少期において「人にヤラレていやなことは人にしない」
2012-10-14 11:57:17ナチスドイツではルールにおとなしく従う普通の人達もユダヤ人虐殺に加担したらしいです RT @Asahi8888Asahi: @daijapan 道徳の定義付けがそんなに必要ですか?されていやなことは、しない。ありがとうとごめんが言える大人になる、それじゃダメですか?
2012-10-14 13:41:39
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正しいという類のものは、当然その人本人にとっては正しいわけだから、例えばこの場合は?などの質問には仮にうまく答えられなかったとしても耐えうる。でも、もしもの仮定の質問を浴びせて腹が立ったり、ムカムカした場合、その正しさは外部から来たものを丸呑みしている事が多い。
2012-10-15 07:34:52もちろん最初の最初は、ある程度正しさを周囲から押し付けられないと人間はできてこない。でも、その正しさはある年齢以上でもう一度問い直して再構築する必要があって、それで初めて自分自身の正しさになる。しかもその作業はたぶん終わりが無い。
2012-10-15 07:37:59たぶん問いは相当に辛い。万人にこれを課すのはあまりにも非現実的だから、とりあえずこの正しさモデルで生きればそんなに問題は起こらない、として開発されたのが普遍的な倫理と呼ばれるものや、宗教なんだと思う。そういう事にしておきましょう、というアイデア。
2012-10-15 07:47:28あなたはその正しさで生きればいいし、僕はこの正しさで生きる。多様性や寛容とはそういう事なのだけど、普遍的な正しさがあると信じている人は、正しさは普遍と思っているから、相手か自分が間違えているという発想になる。その場合正しさの勝敗の根拠を、歴史や権威で決めてしまう。
2012-10-15 07:52:09人を殺しちゃいけないというのはみんなわかる。問題は日本中が戦争で人を殺そうとしている時、それに立ち向かえるかどうか。倫理の概念は戦前からあった。にも拘らず戦争は起きて殺人も起きた。相手が殺す気でも、こちらは相手を殺さないでいられるか。正しさを練るとはそういう事。
2012-10-15 07:59:15【終わり】絶対に誰にとっても正しいものがあると信じる人は、寛容にはなれない。なぜなら寛容は自分と違う正しさをもつ人を認める事だから。寛容への一歩は、コントロールしたいという欲求とちゃんと向き合う事だと僕は思う。
2012-10-15 08:14:39その感覚をなぜとどうしてで突き詰めるといいと思います RT @snowcheap11: @daijapan よくわかんないけどそれはそれで現代思想すぎて良くない気がします。
2012-10-15 08:16:49アメリカで子供の口喧嘩を仲裁している大人が全てに理由をつけさせていた。”お前が悪い”が”何故お前が悪いか”に”なぜそれを悪いと思うのか”に変わっていった。なぜに弱い人は、ディベートにも弱い。
2012-10-15 08:25:04