2012年10月20日 ピーター・バーク講演会 "Diglossia in Early Modern Europe"

2012年10月20日に青山学院大学で行われた行われたピーター・バーク教授(ケンブリッジ大学)の講演会の模様です。 講演主題についてさらに詳しく知りたい方は、バーク『近世ヨーロッパの言語と社会 印刷の発明からフランス革命まで』原聖訳、岩波書店、2009年をお買い求めください。
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Kuni Sakamoto @kunisakamoto

バーク講演会はじまりましたー。

2012-10-20 15:18:07
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

主題は言語の社会史と呼ばれる領域である。とりわけ初期近代における他言語並行使用に着目したい。Diglossiaという概念は、古典アラビア語のようにコーランにあるような高位のアラビア語と、日常会話での低位変種を同一人物が使いこなすときに指す概念であった。

2012-10-20 15:21:37
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

フィッシュマンによるdiglossia概念の拡張。公的状況での高位言語と非公式状況での低位言語の区別(彼の場合は二言語使用を指す)。ただしいつも高位言語が高位とみなされているわけではない。たとえばいま話しているBBC英語を、労働者階級は人工的とばかにしたりする。#バーク講演会

2012-10-20 15:26:30
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

まずは歴史叙述をしよう。過去数世紀に渡る(欧州における?)2言語使用の歴史をたどる。ただし非公式的言語に歴史家がアクセスできる手段は限られている。旅行記などに依存しなければならない。#バーク講演会

2012-10-20 15:29:58
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

diglossiaというのはいつどこでだれに見られたのか。書き言葉を基準にして考えればそれは確定できる。ドイツのフリードリヒはフランス語で書いている。#バーク講演会

2012-10-20 15:31:47
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

ラテン語について。近世におけるラテン語は書き言葉としては 共通語であった。話し言葉としてもそうであった。大学や教会のような場所でそうである。ラテン語を母語とする人はいなかった(モンテーニュは例外)。#バーク講演会

2012-10-20 15:34:22
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

母語を共有する人々がラテン語で会話したかどうかは確定し難い。エラスムスが母語を話したという証拠は、彼の死ぬときのものしかない。一方ルターがラテン語とドイツ語を自由にスイッチしながら話していたことはよく知られている。#バーク講演会

2012-10-20 15:35:25
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

ルターは神学や哲学のことを話すときにはラテン語を用い、日常的な話題ではドイツ語を用いていた。#バーク講演会

2012-10-20 15:35:59
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

イタリア語(トスカーナ語)の外国での使用について。南スラブ、ハンガリー、ポーランド。アンリ2世にカトリーヌ・ド・メディシスが嫁いだあいだはフランスの宮廷でイタリア語が話されていた。#バーク講演会

2012-10-20 15:39:58
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

スペイン語の話にうつろう。新世界では当然ながら近世ヨーロッパでは高位言語として用いられていた。イベリア半島でもスペイン語を母語としない地域で用いられていた。イタリアでもミラノ、ナポリ、シチリアといった地域では高位言語として用いられることがあった。#バーク講演会

2012-10-20 15:42:48
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

神聖ローマ皇帝カール6世は、皇帝になる以前に5年間スペインで過ごしており、宮廷でのスペイン語のでの会話を要求した。#バーク講演会

2012-10-20 15:43:59
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

ドイツ語。低地ドイツ語。ハンザ同盟による交易言語であった。高位言語としても用いられた。デンマークでは宮廷言語であった(フレデリック4世、クリスチャン6世)。ハプスブルクの言語となったドイツ語はカトリック化と重なりながら、広く用いられる。#バーク講演会

2012-10-20 15:47:41
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

ロシアでは宮廷、軍隊、大学での講義で用いられるようになる。母語がドイツ語の人が用いていた。#バーク講演会

2012-10-20 15:48:15
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

しかし近世ヨーロッパでの他地域での地域での使用で一番顕著なのはフランス語。1650年から1800年にかけてが顕著である。ヴォルテールによると、ディドロはエカテリーナの宮廷ではヴェルサイユの宮廷よりもピュアなフランス語が話されていると報告している。#バーク講演会

2012-10-20 15:51:16
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

フランス語の使用はドイツでも広く用いられた。フリードリヒ大王のベルリンでは、ドイツ語は兵士と馬のための言語であると言われる(ヴォルテール)。#バーク講演会

2012-10-20 15:52:22
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

しかしフランス語はより広い地域で話されていた。ネーデルラントでは上流階級の言語がフランス語がになる。スペインでもイタリアでもそのような地域が見られる。スウェーデンでも王のフランス語の発音が大変うまいと報告しているフランス外交官がいる。#バーク講演会

2012-10-20 15:55:48
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

中央ヨーロッパ、ハンガリーでの上流階級での言語使用はイタリア語からフランス語にスイッチすることになる。ポーランドでも王と王妃がフランス語で話していた。#バーク講演会

2012-10-20 15:58:34
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

しかしだからといって外国語がうまく話されるひとが偏在していたと考えるべきではない。上流階級ですら外国語をいつも話していたわけではないし、しかもそうやって話される言語使用はしばしば正確なものではなかった。#バーク講演会

2012-10-20 15:59:26
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

歴史叙述から解釈にうつろう。ヨハン・クリトフシュワブ『フランス語の普遍性の理由』(1784)。イタリア語、ドイツ語、スペイン語、フランス語の歴史を語り、内的・外的な理由からある言語の意思疎通における優越がなぜ起こるかを考察した。私の話はこのシュワブの考察への注釈 #バーク講演会

2012-10-20 16:02:58
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

まずは内的な理由を考察しよう。近世はいわゆる俗語の勃興期であった。上位言語としてラテン語に代わるようになる。しかしそのようなことがおこる前には、抽象的な語彙が不足するなどのために話題によっては外国語に頼らなければならなかった。#バーク講演会

2012-10-20 16:06:12
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

支配者の言語が用いられるというあからさまな権力関係により高位言語が規定されることがある。しかしそれよりも文化的ヘゲモニーの結果として外国語が好まれることがある。聴衆が理解できないのに祭礼の場でフランス語で話す事例など。#バーク講演会

2012-10-20 16:07:17
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

外国語が使うことは自分の言語が劣っているとか考える意識と結びついている。このような意識は近世欧州の宮廷では広く見られる。このような意識への反論もあらわれる。 #バーク講演会

2012-10-20 16:10:24
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

18世紀のフランス語は多くの地域で礼儀、文明、国際性、近代性を体現する言語がであった。レオパルディはフランス語の近代を決める測定器と述べている。#バーク講演会

2012-10-20 16:12:41