「フタバから遠く離れて」製作秘話

映画「フタバから遠く離れて」の製作秘話をトゥギャリました。
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『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

舩橋淳監督に「映画の制作エピソードを教えて下さい」と言ったら、早速、メールで送られてきました!公開まであと少しですので、「制作秘話」としてツイートします。

2012-10-08 22:44:25
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【映画「フタバから遠く離れて」制作秘話その1】福島県双葉町に興味を持ったのは、2011年3月30日埼玉県加須市にある旧騎西高校という廃校に同町が役場機能ごと移転したというニュースを聞いたのがきっかけだった。(監督舩橋淳)

2012-10-08 22:44:41
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その2】ちょうど避難する距離を福島原発から20㎞、30㎞、80㎞どれが安全かと議論されていた時期。双葉町は丸ごと250㎞避難した。最も遠くに避難した町。正しい判断と思い、興味を持った。(監督舩橋淳)

2012-10-08 22:44:53
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その3】福島第一原発の電力はほぼ100%関東圏に送られていたことを311以後初めて知った。 自分が日々使う電気のために、自分が被災するならわかるけど、他人(福島県の避難住民)が被災しているという状況がどうも納得ゆかなかった。(監督舩橋淳)

2012-10-11 14:27:31
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その4】311によりクランクイン目前だった新作が撮影中止に追い込まれ、テレビの震災映像を見る毎日だった。政府は「健康へただちに影響はない」といい、メルトダウンを否定。一方、アメリカNRCやフランスの発表する放射能拡散予測では東京近郊も赤い雲に覆われていた。(監督舩橋淳)

2012-10-11 14:27:46
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その5】そんな国内外の情報格差とぼんやりと日本を覆う放射能雲への不安の中、双葉町が福島県の市町村で唯一県外へ避難=最も遠くへ避難したという報せを聞いた。まずは現地に行ってみようと、キャメラも持たず埼玉県加須市の旧騎西高校を訪れた。2011年4月初旬のことだった。

2012-10-11 14:28:06
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その6】2011年4月に避難所へいって初めて分かったことは、地震・津波から避難したという実感の方が原発事故よりもむしろ大きいこと。どれだけ揺れや水流が怖かったかを語る人は多かったけど、水素爆発が怖かったと体感を語る人は少なかった。この希薄さこそ怖ろしいと感じた。

2012-10-11 14:29:44
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その7】井戸川町長は原発推進派だった。福島第一7・8号機建設を推進し、現に2011年4月に着工予定だった。震災で全てが流れ、変わってしまった。撮影時は意識はしていなかったが、映画は町長の変遷を捉えた大事な記録になっていった。(監督舩橋淳)

2012-10-11 14:29:56
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その8】双葉町避難所には最初40人以上のマスコミが屯していた。僕もその一人に混じっていた。着の身着のままで逃げてきた方々に「お気の毒ですね、今のお気持ちを聞かせて下さい」とキャメラを突きつけることに戸惑いを覚えた。それが作品の「距離を置く」スタンスとなっていった。

2012-10-20 12:44:31
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その9】 自分がさも避難所で生活しているかのように観客に感じて欲しい。そのためには、避難民を「お気の毒な方々」という枠に当てはめる誘導尋問ではなく、人々が本当に感じていること、考えていることを聞かなければならない。そう思い、辛抱強く撮影を続けた。(監督舩橋淳)

2012-10-20 12:44:40
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その10】 最初の頃のインタビューやフッテージはあまり使えなかった。みんな身構えてしまうので、心を許してくれない。しかし、2ヵ月が経ち、僕も町民も町長も顔なじみになってきたときに、ぽつりぽつりと本音を聞かせてくれる瞬間に出遭えるようになった。(監督舩橋淳)

2012-10-20 12:44:53
『フタバから遠く離れて 第二部』 @futabakara

【制作秘話その11】 東電に対しての怒りは勿論ある。しかし、今まで町は原発により潤ってきた。「東電さま、今まで有り難うございました」と思わなきゃならんという元作業員の方もいた。町民は複雑なジレンマに陥り、見通しの立たない避難生活を堪え忍んでいる、と僕は感じた。(監督舩橋淳)

2012-10-20 12:45:02