高島章氏の「君が代不起立の神学的・法学的考察」
- hidekuroiwa
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@BarlKarth 「命令だ!」とか言われて節回しの変な曲を歌わされたり,ピアノ演奏をさせられたり,何かをやらされたりするのは根本的に嫌なんです。そういう人は多いでしょう。
2012-10-31 23:20:52国家権力から命令を受ける・命令に従わないと制裁を受けると言うことはしばしばある。しかし,そのような命令は何らかの「納得できる理由」があることが多い。
2012-10-31 23:50:12しかし,「日の丸・君が代」については「納得できる理由がない」と考える人が多い。しかも,その命令に従わなくても,国家や公共にたいした実害はない。
2012-10-31 23:50:43きわめて雑な言い方になるが,「なぜ法に従うべきなのか」といえばそれは「他者加害禁止」という自然法的原理に集約される。「人に迷惑を与えない行為」を法で禁止してはいけない。公務員が日の丸を拝まず君が代を歌わなくても誰にも迷惑はかけない。
2012-10-31 23:57:37その上,日の丸・君が代は日本固有の特殊歴史的経緯から「いやだ」と思う人も少なからず存する。そのような「いやだ」という感覚は「そのような考えを持つ人の立場に身を置けば」それなりに納得できる。
2012-11-01 00:02:06@BarlKarth 他者加害禁止は論語にある。更に「お互いに愛し合いながら生きましょう」という聖書的原理から福祉国家的原理が基礎付けられる。
2012-11-01 00:13:54「誰にも迷惑をかけない行為は国家権力によって規制すべきではない」と言うのはきわめて素朴な命題だが,「法的命令の正当性」を考えるにあたって忘れてはならない原則である。このような見地か「日の丸・君が代」問題を考えるべきであろう。
2012-11-01 00:16:46「日の丸君が代問題」を呟くと 秋原葉月さんがBLOGOSでネタにするかもしれないが,以上の私の呟きに反し私は自然法論者でもないし,「実質的法治国家・法の支配」という概念は支持していない。
2012-11-01 00:26:23君が代問題を呟いていたら,論理学者(倫理学や法学にも詳しい)から<良心的兵役拒否」と同様、「良心的国歌斉唱起立拒否」も認められるべき>との指摘を受けた。これは良い着想だ。
2012-11-01 12:39:51聖書の言葉,信仰的良心に基づいて,国家の義務である兵役を拒否する教派は古来からあった。メノナイト・アーミッシュ・フレンド派(クエーカー)である。ブレザレンも同様だったかな? エホバの証人も同様。
2012-11-01 12:51:08良心的兵役拒否の問題(聖書の言葉のファンダメンタルな適用による国法上の義務の拒否)は古くからある問題のようで,ルター派のアウグスブルグ信仰告白16条は,これに対する一つの考えだろう。http://t.co/VdmekHBY
2012-11-01 12:54:09さて,「君が代不起立」に対する批判で一番協力なのは,「手前勝手な良心とやらで職務命令をきょひするのは何事だ。それでは秩序を保てないし,生徒にも示しが付かない」というものだ。この批判はそれ自体正当なものというほかない。
2012-11-01 12:58:39私は前の呟きで「法的強制の正当性は『他者加害禁止』にある」旨を述べ,「君が代不起立はこの原理から見て正当性がないのではないか」ということを述べた。しかしそうは言っても,
2012-11-01 13:04:51公務員が職務上の命令を受けた際に,法哲学的革新や思想良心の自由を根拠として,これを拒否することを認めるのは,さすがに不味いだろう。
2012-11-01 13:05:14http://t.co/jZZeH5dz 良心的兵役拒否者は、かつて、国賊、売国奴、非国民、脱走兵、反逆者、臆病者、のろま等々、屈辱的な言葉で罵倒・侮蔑され 良心的兵役拒否と「君が代不起立」の共通性は,上記の点にもある。
2012-11-01 13:14:15で,結論なのだが「君が代不起立者」には良心的兵役拒否者が代替職務(奉仕活動等)を命ぜられるのと同様の制度を設ければどうかということだ。例えば,廊下のぞうきん掛け等である。
2012-11-01 13:29:16