「臨床心理の知識と技術があることがクライエントに役に立つというエビデンス」への疑問

斉藤清二先生が「臨床心理士試験により測れるもの」http://togetter.com/li/400005 のツイートの内容から、「エビデンス」という言葉の誤用と、治療者の養成のあり方について語ります。
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斎藤清二 @SaitoSeiji

「臨床心理士試験により測れるもの」http://t.co/CZK4Up02というまとめがあり、興味を持って読んでいたら「臨床心理の知識と技術があることがクライエントに役に立つというエビデンスがあり、それらを身に着けているということを証明するのが資格なのです」という記載があった。

2012-11-04 14:41:52
斎藤清二 @SaitoSeiji

細かい文章表現にこだわりたくはないのだが、「臨床心理の知識と技術があることがクライエントに役に立つというエビデンスがあり・・」というところに引っかかった。<え、そんなエビデンスって本当にあるの?それをきちんとエビデンスとして実証するのはかなりたいへんな研究が必要だぞ>と思った。

2012-11-04 14:46:40
斎藤清二 @SaitoSeiji

エビデンスという概念は、少なくともEBPやEBMを前提にして論じているのであれば、「個々の患者(クライエント)についての臨床判断を行うために利用される、経験的に実証された情報」と定義できるだろう。

2012-11-04 14:51:21
斎藤清二 @SaitoSeiji

問題はいくつかあるのだが、その一つは「知識と技術を持った治療者は、そうでない治療者よりも、クライエントに良い結果(outcome)をもたらす」ということは、一見当たり前のように見えるので、わざわざスタディが行われているかどうか、はなはだ疑問だということである。

2012-11-04 14:56:53
斎藤清二 @SaitoSeiji

例えば、優れた知識と技術を持つことが事前に証明されている臨床心理士複数名と、複数名のそうでない臨床心理士を用意して、十分な数のクライエントをくじ引きで無作為に割り当てて担当させ、効果を比較するというような研究デザインを本当に組めるのだろうか?(たぶん無理w)

2012-11-04 15:03:28
斎藤清二 @SaitoSeiji

むちゃくちゃを言っているように思うだろうが(実際むちゃくちゃなのだが)、「エビデンスがある」と断言するからには、少なくともそういうレベルのスタディを念頭におかなければならない。できれば複数の研究結果が一致していることが望ましい。しかし倫理的、実際的な理由でそれは不可能だろう。

2012-11-04 15:06:46
斎藤清二 @SaitoSeiji

で、結局何が言いたいのかというと、「臨床心理の知識と技術があることがクライエントに役に立つというエビデンスがあるから・・」というような言説は正しくないし、そもそも非専門家向けのハッタリに等しい言説であり、むしろ専門家集団への信頼を失わせるように働く言説だということなのである。

2012-11-04 15:11:50
斎藤清二 @SaitoSeiji

「エビデンスに基づく実践(EBP)」を理解している人であれば(専門家である必要はない。EBPは専門家と非専門家のパートナーシップを指向する)EBPとは「エビデンス」と「治療者の臨床能力」と「患者の意向、文脈、価値観」を臨床場面において統合することであるということを知っている。

2012-11-04 15:16:32
斎藤清二 @SaitoSeiji

「治療者の知識、技術、態度」は、エビデンスによって保証されるものというよりは、「治療者の臨床能力」として、治療者の訓練、教育によって身に着けるべきものである。それはその集団が専門家として社会から認められるために、専門家集団によって確立されるべき自律的規範であり、倫理である。

2012-11-04 15:20:41
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji 1つお聞きしたいのですが、カウンセラーは治療者であると思いますか?

2012-11-04 17:12:50
斎藤清二 @SaitoSeiji

@toaru_tsukichi 国分先生は①カウンセリングは心理療法よりも対象が広範囲。②心理療法は病理的パーソナリティ-を,カウンセリングは健常的パーソナリティ-を対象とする。③心理療法は治療することを目的とし、カウンセリングは自己実現を援助する。とまとめています。

2012-11-04 17:26:18
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji もちろん人によって定義は異なると思いますよ。僕はただ斎藤先生の定義づけを聞いてみたいなと思ったんです。 国分先生の定義付け、あくまで「人間関係」という考えが素敵ですね。

2012-11-04 17:27:07
斎藤清二 @SaitoSeiji

@toaru_tsukichi しかし、上記のような考え方には当然異論もあり、カウンセリングと心理療法をほぼ同義ととらえるような考え方もありますし、心理療法をより広く定義する考え方もあります。よって、カウンセラーが治療者であるかどうかについては、一義的な結論は出せないと思います

2012-11-04 17:27:58
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji こんなことを言うとおこがましいかもですが、カウンセリングは健常的パーソナリティ-を対象、自己実現を援助するというのは、僕のカウンセリング観と近いかなと思いました。ただ自己実現が顕在的なものだけか潜在的なものもなのかなど、別の疑問は出てきますが。。

2012-11-04 17:30:50
斎藤清二 @SaitoSeiji

同意します。ただカウンセリングの目的を「行動変容を目指す」と表現することについては、やや限定的すぎるかな、という感じはもっています。@toaru_tsukichi 国分先生の定義付け、あくまで「人間関係」という考えが素敵ですね。

2012-11-04 17:32:46
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji その通りですよね。言葉というものはだからこそ難しいなと思います。 カウンセリングを、広範囲に捉える人間と狭範囲に捉える人間が、前提をすり合わせずに意見をぶつけ合ったら、傍から見ればただの喧嘩ですものね。。

2012-11-04 17:33:22
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji 僕もその意見に賛成です。 それに、「相手の行動の変容を試みる」というのは、その人間関係の主導権がカウンセラー側に置かれているように思います。クライエント側に置くべきと考えているわけでもありませんが。スポットライトはクライエント側に当てたいなと思います。

2012-11-04 17:36:54
斎藤清二 @SaitoSeiji

@toaru_tsukichi ずいぶん昔になりますが、国分先生が、『医学界新聞』という媒体に、『臨床心理士だけがカウンセラーか?』という記事を投稿されたことがありました。かなり挑発的な内容でしたが(笑)。

2012-11-04 17:38:26
斎藤清二 @SaitoSeiji

@toaru_tsukichi 河合隼雄先生は、心理療法を 「悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮を持ちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること」と定義しました。

2012-11-04 17:42:01
斎藤清二 @SaitoSeiji

@toaru_tsukichi 河合先生の心理療法の定義によれば、心理療法を行うものは「援助者」であって「治療者」ではないということになります。国分先生のカウンセリングの定義との差はさほど大きくないと私は思います。国分先生は河合先生を「永遠のライバル」と呼んでおられましたが(笑)

2012-11-04 17:44:27
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji 本当に挑発的ですね(笑)でも、その通りだと思います。 その記事は今でも読むことができますか?

2012-11-04 17:59:27
月知 @toaru_tsukichi

@kiyosusinri なるほど、ありがとうございます。是非読んでみようと思います。 1つお聞きしたいのですが、mymanaさんは、カウンセリングに対する考えをどのように身につけられたのですか?主に臨床経験からですか?

2012-11-04 18:04:16
月知 @toaru_tsukichi

@SaitoSeiji なるほど。 ただ河合先生は「専門的な訓練を受けた者」とカウンセラーについて言及されているわけですね。専門的な訓練というものをどう想定されていたのか興味がありますね。

2012-11-04 18:09:52
斎藤清二 @SaitoSeiji

河合先生は臨床心理士制度の創設者ですから、当然臨床心理士の訓練を想定していると思いますが、基本的には事例についてのスーパービジョンを重視しておられました。@toaru_tsukichi @SaitoSeiji 専門的な訓練というものをどう想定されていたのか興味がありますね。

2012-11-04 20:36:27