平安時代の大歌所と図書寮の、名も無き官人の日常

蘭陵王の動画を見た逆名さんのつぶやきから派生した深夜の「平安時代の大歌所と図書寮の名も無き官人の日常」妄想をまとめてみました。 はじめは陵王についての真面目な考察だったのですが…^^;。
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逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

RT>肝心の面がどうしても般若面に見えるのは何故なんだろう…。(1:37あたり)

2012-11-06 21:02:04
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

陵王の面といえば、頭の竜が、竜というよりガルーダに近いような気がする時がある。こういうのとか→ http://t.co/2gwZlvsw これの4つめとか→ http://t.co/L7fRYsf9 林邑楽=南方、インド系という思い込みがあるせいなのかも知れないけど。

2012-11-06 21:20:16
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

菩提僊那と仏哲が東へ旅した理由のひとつには、仏教の東漸という大きな流れがあった。ヒンドゥーに押されて、聖地を東へ求め、唐は五台山を目指した天竺僧は多かった。そして林邑も当時、インド文化圏にあった。林邑楽が東南アジアのインド系文化の色を遺していても不思議ではないと思っている。

2012-11-06 21:35:09
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 角度…?でしょうか?。以前描こうとラフった時も「これじゃ般若だよ~」とわしわし消して投げ出した記憶が…σ(^^;)。

2012-11-06 21:45:16
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

ただ『陵王』の原型は通典などに見える『大面』だし、恐らく北方系のものであったと思われる。由来どおり仏哲が伝えたというのなら、唐に在った時に彼が見覚えた芸能を伝えたということになるだろうか。では、面の造形も「大面」を忠実になぞったものなのだろうか?伎楽面の造形と比べてどうだろう?

2012-11-06 21:49:52
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 ( ゚д゚ )!さ、逆名さん!『陵王』って由来では伝仏哲なんですか?。じゃ、じゃあもしかして、奈良時代末期には、陵王はまだかなり限られた演目だったでしょうか?。某武官に舞ってもらうつもりだったんですが…。

2012-11-06 21:59:32
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 林邑楽は仏哲が伝え、開眼会がお披露目だったという話になってたと思います。ただ、それ以前に唐楽として「大面」が渡ってきていた可能性はあると思います。

2012-11-06 22:02:06
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

『此朝ヘ來様。未勘出。(略)蓮道譜云。此曲沙門仏哲傳ヘ渡ス。唐招提寺留置也』(「教訓抄」巻一 羅陵王)とあり。 @k_h_musume

2012-11-06 22:11:59
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 なるほどです…林邑楽としての伝来説ですね。先に唐楽として大面が伝わっていたとしたら、禁演にした玄宗皇帝以前のことのはずですよね…。以前、沙陀調について、西突厥の一部族との関係があるのではという一文を見かけての発想なんですが、これはちょっと考え直そうかな。

2012-11-06 22:26:02
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

なんかなー。散手の兜の竜の造形と比べても、やっぱりなんか違うような気がするんだよなあ。首に宝珠を着けた陵王面の竜ってあまり見たことない気がするし…。

2012-11-06 22:26:32
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

ただ、私の目が『地元では素潜りの名手として有名、歌って踊れて作曲振り付けも出来て面も彫れちゃう素敵なメイドインチャンパ沙門仏哲』妄想で曇っているのでにゃんともかんともw

2012-11-06 22:27:16
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

うーん…よく考えれば内教坊や大舎人寮で舞われるような舞じゃないよねえ…σ(^^;)無知丸出しで恥ずかしい。でも桓武が好きそうなんだなあ、蘭陵王。

2012-11-06 22:30:13
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume  古めの記述だと、『高野天皇のお気に入り』という記述は散見します。林邑楽は仏教芸能の色が濃く、菩薩や迦陵頻は明らかに法会用です。陵王は内容的にもその範疇に収まらなかったとは思いますが。

2012-11-06 23:26:01
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 わ、ありがとうございます!。孝謙称徳が…(*´∇`*人)確かになんとなく「女性が好きそうな舞楽」と思っちゃいます。←私の偏見かもσ(^^;)。

2012-11-06 23:35:51
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 私も思いました!(笑)>女性が好きそうな舞楽 「高野姫。殊ニ此曲ヲ好ヲハシマシケレバ。常ニ御前ニテ舞セテ。御覧アリケルニ…」(教訓抄同前)とか。舞台の入りで元は沙陀調調子を奏していたのに、彼女が「この部分は興を失う」と案摩の急に変えさせた、という話です。

2012-11-06 23:49:58
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

雅楽寮の人員の整理状況(類聚三代格など)から、衛府の武官が楽人としての役割を担うようになったのは、平安初期~中期ごろのようです。それまではやはり専ら楽戸によって行われていたのでしょうね。 @k_h_musume

2012-11-06 23:35:15
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 奈良時代後半にはもう大舎人寮の大舎人から大歌生が選ばれて、大嘗祭や新嘗祭のために修練していたのかと妄想してました…。というかそういう設定で書いちゃいましたorz。

2012-11-06 23:48:50
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume 大歌は外来楽舞ではなく、日本古来の歌舞の担当なので、昔から官人や皇族が関わっていました。諸王や臣下が臨時的に集まり教習したりする歌舞所(天平八《736》年には存在)と、公的機関としての大歌所(天応元《781》年までには成立)とありました。

2012-11-07 00:11:35
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 大舎人寮の職員として大歌生が存在したわけではなくて、大歌所の門下生として大歌生がいたんでしょうか。(゚ー゚*)。oO(久米歌や隼人歌のような感じで、畿内の大歌があったのかと思っていました)

2012-11-07 00:34:05
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@k_h_musume うーん。大歌所の長も「別当」ですし、舎人も兼業なのかなあ…。畿内の歌舞としては、大和地方の土着の「国栖(くず)」の歌舞や「倭舞」があったようです。

2012-11-07 00:52:34
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 吉野の国栖舞は天武の肝入りですものね。古事記でも時おり出てくる「夷振」などが大歌とされているようですが、大歌生が大舎人寮の管轄だったらしいので、勝手にそんな妄想をしていたのでした。(゚ー゚*)。oO(大歌所別当殿の本業がなんだったのかだなあ。)

2012-11-07 01:14:42
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

RT>これ…日本には『礼楽』は…本来的な意味では伝わってないんだよ。日本の雅楽は唐で宴饗楽とされていた類のもので朝鮮の廟楽の方が礼楽としては正統。(日本には祖霊を慰める為の歌舞がもう存在していたからだと思うけど)見せたのが宴饗の席だから良かったんだろうが、そこ突っ込まれてたら…。

2012-11-07 01:10:00
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

つくづく思うけど、日本人のお家芸は猿真似じゃなく、換骨奪胎。食べにくい骨(でもそこ取ると、ネタ元の方の人からすると『え…食べる意味なくない?』ってなる)は取って、どんなに手間でも綺麗に骨抜き。柔らかいとこだけちょい足しありで頂きます。そこがいやらしくて、凄いところ。

2012-11-07 01:17:57
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

でも、廟楽を神楽に代えて、律令下に祭祀を行った、という点では、決して外してはいないんだよね…。

2012-11-07 01:31:14
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

@sakana6634 確かに(*´∇`*)。良くも悪くも、学んだものを自分達の素材で都合良く作り替えてしまいますよね。奈良時代しかり、文明開化しかり。

2012-11-07 01:28:30