日本国憲法第97条の誕生経緯をざっくりと追ってみた
- daseofficer
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現行憲法第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
2012-11-29 19:37:48同じく現行憲法 第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
2012-11-29 19:38:13ちなみに11条と97条の原型はここね GHQ草案 外務省の仮訳 http://t.co/ZhQv0e5m このGHQ案の第三章「人民の権利及び義務」のなかの9条と10条ね (続
2012-11-29 19:48:36GHQ草案 第九条 日本国ノ人民ハ、何等ノ干渉ヲ受クルコト無ク、一切ノ基本的人権ヲ享有スル権利ヲ有ス。 (※句読点は惰常さんが適当に入れました)
2012-11-29 19:51:27GHQ案第十条 此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ、人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ。時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ、永続性ニ対スル厳酷ナル試練ニ克ク耐ヘタルモノニシテ、永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ。(句読点追加)
2012-11-29 19:53:09外務省「…わかりづらいなおい! なんだよ『時と経験の坩堝(るつぼ)のなかにおいて永続性に対する厳酷なる試練に耐え…』って!文学作品かよ」 …って言ったかどうかは知らないけど、とにかくまあ法律の条文にはそぐわないってことで、これをGHQから貰った日本政府はこうアレンジしました(続
2012-11-29 19:57:23それがこれです → 日本国政府 3月2日案 http://t.co/XFXSm4TS で、さっきの文は日本側で文面をほぐして、同じく第3章(権利・義務)の第10条に入れられました ※この時点で9条はあの戦争放棄条項になってる (続く
2012-11-29 20:05:15GHQ案を元にした政府3月2日案 第十条 国民ハ、凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。 此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ、其ノ貴重ナル由来ニ鑑ミ、永遠ニ亙ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベシ。 (※句読点は惰常が追加)
2012-11-29 20:06:32だいぶすっきりした感。GHQ案よりよっぽどわかりやすい。この案を持って、3月4日、当時の松本国務大臣たちは総司令部へ向かった。
2012-11-29 20:13:09GHQ「なんでここ(10条)変えたの?」 日本側「こんな(総司令部案のような)歴史的・芸術的な表現は日本の法文の体に合わないっすから」 GHQ「わかった。おk」 と了承を得て一件落着。 ・・・・・・と思いきや
2012-11-29 20:17:31その後、3月2日案を巡ってGHQと日本側でいろいろ議論・討論・交渉・調整を経てできたのが、3月5日案 http://t.co/2OGYedsv これが要注目。3月2日案には無かった「第十章 最高法規」が設けられてる
2012-11-29 20:26:373月5日案 第3章(権利・義務) 第十条 国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。 此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ、永遠ニ亙ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベシ。
2012-11-29 20:28:37おなじく3月5日案 第10章(最高法規) 第九十四条 此ノ憲法ノ日本国民ニ保障スル基本的人権ハ、人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ、此等ノ権利ハ過去幾多ノ試練ニ堪ヘ、現在及将来ノ国民ニ対シ、永遠ニ神聖不可侵ノモノトシテ賦与セラル。
2012-11-29 20:29:43現行憲法にほぼ近づいたわけだけど、どうして94条がここで入ったのだろうか。なんか「人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ、此等ノ権利ハ過去幾多ノ試練ニ堪ヘ…」とか、最初のGHQ草案にあったのと似てる文面が復活してるし
2012-11-29 20:31:36こっから、「日本国憲法を考える」/ 西修 (文春新書,2000年9月25日に第3版発行) の文章を引用させていただきます
2012-11-29 20:39:06“この案(※3月2日案)を持って…(中略)…総司令部の了承を得た。それで一件落着と思いきや、しばらくしてから、「実は、あの条文(※現97条の原型)はホイットニー将軍が自ら筆をとった自慢のものだから、何とかしてほしい。” (引用つづくよ)
2012-11-29 20:52:00引用つづき】“せめて後の章にでもいいから入れてもらいたい」と逆に総司令部のほうから懇願されたという(佐藤達夫『日本国憲法誕生記』法令普及会,一九五七年)。そこで、その意思をくんで第十章の『最高法規』に一部が移されることになったのである。”(ここまで引用)
2012-11-29 20:52:51さっきの引用続き “総司令部民政局長のコートニー・ホイットニー将軍は、自分の自慢策がのこったことにいたく満足した。三月五日の夜遅く、総司令部内で前夜からの徹夜の作業が終了したとき、ホイットニー局長が大いに安堵の表情をしめし、佐藤氏らの手を何度もにぎってお礼をいった。”(引用続)
2012-11-29 21:09:58引用最後 “佐藤氏は、いったいどこの国の憲法を手つだいにきたのかという錯覚をおこしそうになったくらいだったという(同書)。” 引用終わり
2012-11-29 21:10:37文中で西修さんが引用してる 『日本国憲法誕生期』っていうのはたぶんこれ http://t.co/uf9eVqZr 残念ながらわたしゃ持ってないです。だれか買って(ぁ
2012-11-29 20:54:47佐藤達夫さんは当時の内閣法制局の官僚で、日本国憲法作成の一線に居た人のようです http://t.co/lFMjKOXa
2012-11-29 20:57:13