渡邊芳之先生@ynabe39の「「自分のことを他人に叱られなくてすむ社会」は忍耐と寛容によってしか維持できないよなあ。 」

「自分が不安にさせられたことに怒っている」だけなのに「人々に不安を与えるのはけしからんという意見を言っている」と思っていることは多いよね。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

「自分を不安にさせるな」という感情や希望と「人々を不安にさせるべきではない」という道徳や倫理とはずいぶん違うことなんだけど,だいたい区別はされていないね。

2012-12-05 09:24:56
渡邊芳之 @ynabe39

「自分が不安にさせられたことに怒っている」だけなのに「人々に不安を与えるのはけしからんという意見を言っている」と思っていることは多いよね。

2012-12-05 09:27:02
渡邊芳之 @ynabe39

躾がなってないならあなたはその「子ども」を直接叱るべきで,親を叱ってもしょうがありません。「親を叱る」というのは「(不十分な躾で)自分を不快にさせたことを責めている」だけであって「子どもの躾をしている」とか「子どものためを考えている」のではないですからね。@shuKAYA

2012-12-05 09:34:31
渡邊芳之 @ynabe39

先生にもクラスメートにもいじめられていましたよ。 RT @yoshikotori: なべ先生みたいな人が、小中学校の学級会にいたら面白いと思う。どんな生徒だったんだろう。

2012-12-05 09:35:04
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「躾が不十分に見える子どもが障害を持っている」ということは稀有な例でもなんでもなくどこにでも日常的にあることなんだけどね。

2012-12-05 09:36:39
渡邊芳之 @ynabe39

ここでも求められているのは「自分が不快を我慢するための物語」「自分がいい人になるための物語」であることがわかる。物語を提供する責任はある程度はこちら側にもあると私は思っている。

2012-12-05 09:45:44
渡邊芳之 @ynabe39

それも「つけろと言われたのでつける」のでなくこちらから「配慮を求めるためにつける」のであればある程度は許容可能かなと思います。 RT @tomatosukisuki1: 障害のある子供にはそれとわかるバッジを着けさせるべきだとか言い出す『躾けフェチ』が出てきそうで恐ろしいです。

2012-12-05 09:46:48
渡邊芳之 @ynabe39

大学にはあまり行きませんでした。 RT @yoshikotori: 大学生時代はどうだったんだろう。「面白い学生さん」だったのではなかろうか。それとも心理学=変人が集まる学部(失敬w)だったのだろうか。(これは哲学科にも言えるだろうw)

2012-12-05 09:47:13
渡邊芳之 @ynabe39

まあ難しい点はいろいろあります。 RT @daihiko: 初心者マークとか高齢者マークの発想ですね。 RT @ynabe39: それも「つけろと言われたのでつける」のでなくこちらから「配慮を求めるためにつける」のであればある程度は許容可能かなと思います。

2012-12-05 09:49:23
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「他人の子どもがうるさいときにその子どもを叱ることができなくなった」ことが根本的な問題なんだろうなあ。

2012-12-05 11:50:07
渡邊芳之 @ynabe39

まあ「他人のことは他人のこと」としておくことで自分も他人に叱られずに快適に過ごせるわけだ。

2012-12-05 11:56:57
渡邊芳之 @ynabe39

他人のことにしてないからだよ。 RT @keiroh: また怒られた。他人のことは他人のこととしておいても怒られます。

2012-12-05 11:59:09
渡邊芳之 @ynabe39

そうだとすればやっぱり「自分のことを他人に叱られなくてすむ社会」は忍耐と寛容によってしか維持できないよなあ。

2012-12-05 12:01:05