20121208 #NHK スペシャル「シリーズ東日本大震災 救えなかった命~双葉病院 50人の死」
#NHK SP「シリーズ東日本大震災 救えなかった命〜双葉病院 50人の死」福島県双葉病院。避難した高齢者230人のうち50人が亡くなった。「(バスの中で)座ったまま亡くなっている方がいた」池田シンさん83歳。「死んだ人がかわいそう。生きたかったろうって思います」
2012-12-08 21:02:16#NHK SP。災害弱者の避難の難しさを浮き彫りにした東日本大震災。全国各地で、寝たきりの高齢者を救助するための試みが行われている。静岡県の養護老人ホーム。高知県の病院。避難のさなか、最後まで生きたいと願いつづけた高齢者たち。50人の死は何を問いかけているのか。
2012-12-08 21:03:51#NHK SP。福島県大熊町。今も立ち入りが制限されている。福島第一原発から4.5km。双葉病院と介護保険施設がある。入院患者・入所者あわせて436人。約100人のスタッフがケア。地域の中核施設だった。2011年3月11日、震度6強の激しい揺れ。
2012-12-08 21:06:20#NHK SP。看護師の鴨川一恵さん。入院患者の避難を取り仕切った。この時、227人の寝たきりの高齢者がいた。電気と水道が止まった。犠牲者を一人も出さないようがんばろうとスタッフに語りかけた鴨川さん。翌日、病院に避難指示。1号機の格納容器の圧力が高まっていた。
2012-12-08 21:07:56#NHK SP。しかし病院にはワゴン車4台しかない。鴨川さん「施設外に避難することは、今までに考えたことがなかった。車で2〜3人ずつ近くの病院に運ぶしかない」県災害対策本部の石田仁さん。町には避難のために、国から50台の観光バスが提供されていた。
2012-12-08 21:09:19#NHK SP。住民の数を確認しながら、バスに割り当てていく。その時、双葉病院のスタッフが駆け込んできた。病院に400人以上の患者が取り残されている。石田さん、50台のうち5台を病院へまわした。12日正午、観光バスが双葉病院に到着。しかしバスに医療設備はない。
2012-12-08 21:10:32#NHK SP。そのため、寝たきりの患者を観光バスに乗せることはできない。「体を起こすことがどれだけ命を縮めるか」乗ったのは、自力で歩ける209人。認知症、精神疾患の人も多い。スタッフの多くも同行。鴨川さんもバスに乗る。また病院に戻って来られると思っていた。
2012-12-08 21:11:54#NHK SP。しかし1時間後、1号機で水素爆発。避難先の中学校についた鴨川さんたちは、再び戻ることができなくなった。病院には3人のスタッフと227人の寝たきりの高齢者が残された。濱地トモ子さん77歳がいた施設の2回、ひとつの部屋にベッドが集められた。
2012-12-08 21:13:39#NHK SP。濱地さん「もう俺は年だからいつ死んでも構わないんだ、なんて言ってたバアちゃんもいたけど、迎えに来るって言ってたからそれまでがんばろうねって」3人だけのスタッフでは十分なケアができず、2日間で3人が亡くなった。
2012-12-08 21:14:48#NHK SP。看護師の金山有次さん。あの時、病院にとどまるべきだったのではないか、と今も悩む。しかし本当にとどまる勇気はあったのか。「命を落とすかもしれないし。悔しさもありますかね。自分の家族より長く過ごしている人たちですからね。それを置いていくというのは辛かった」
2012-12-08 21:16:19#NHK SP。寝たきり高齢者をどう避難させるのか。高齢者の受け入れ先の確保に悩む災害対策本部。3月13日、原発から20km圏内に避難指示が拡大。5つの病院・施設。残された754人の多くが寝たきり高齢者。寝たきりと告げるだけで、受け入れを拒否されることも。
2012-12-08 21:17:53#NHK SP。双葉病院の227人、いわき市の高校の体育館に受け入れ。14日、9台のバスを病院へ。医療設備の整った車両は手配できず。鈴木市朗病院長、ここでのケアは限界だったと。「生命の危機のある人を優先した」搬送の妨げになると、点滴はすべて外した。座席はすぐに埋まった。
2012-12-08 21:19:29#NHK SP。9台のバスは、満杯になるとすぐ出発。鈴木院長たち3人のスタッフは、全員を運び出すためにまだ病院の中にいた。「一言誰か、と言われたらひとりスタッフを乗せたけど、別々になることは考えてなかった」高齢者95人と3人のスタッフが残され、バスには高齢者132人。
2012-12-08 21:20:44#NHK SP。バスは、受け入れ先の高校とは反対方向の、医療福祉事務所へ。放射性物質が体についていないか検査しなければならなかった。そこからまた移動。移動距離は200kmを超えた。濱地さん「ここで死んでいられないな、と」14日午後8時に高校に。出発から13時間。
2012-12-08 21:23:37#NHK SP。鴨川さんも高校に到着。バスに乗った瞬間、絶句。3人が亡くなっていた。「座ったまま亡くなっている方。姿が見えないと思ったら、座席の前後のシートの間にすっぽりとはまって亡くなった方もいた。この前まで名前を呼んでくれて、話できている患者さんたち。悲しかった」
2012-12-08 21:25:01#NHK SP。お年寄りたち、底冷えする体育館に寝かされていった。2日間をここで過ごすことに。福島県から派遣された竹村真生子医師。寝たきりの人がいるとは告げられていなかった。ほかに現場にいた医師は1人だけ。簡単な点滴しできかなかった。「名前も病気もわからない」
2012-12-08 21:26:10#NHK SP。この体育館で11人が亡くなった。お年寄りたちは、県内各地の病院へ搬送。そこで8人が亡くなった。災害対策本部の石田さん、体育館で亡くなった11人の中に、石田さんの家族もいた。99歳の祖父・正さん。100歳の誕生日を皆で祝おうと約束していた。
2012-12-08 21:27:53#NHK SP。避難住民への対応に追われていた石田さん、祖父と対面できたのは死から1週間後だった。「じいちゃんごめんなって言うのが精一杯でした。どうしようもないですよね。どうしようもないんだけど…」病院に残された95人の高齢者たち、16日未明に自衛隊が救出。
2012-12-08 21:30:00#NHK SP。9月、中央防災会議。寝たきりの高齢者などの避難計画を予め策定するよう自治体に求めた。広島県、行政と関係者が連携し、高齢者を避難させる体制を作っている。呼びかけたのは、広島大学病院の谷川医師。双葉病院の高齢者の検査にあたった。避難のあり方を見直す。
2012-12-08 21:32:37#NHK SP。10月28日、初めての合同訓練。直下型地震がおこった想定で、病院の高齢者を避難させる。被災した施設の情報を集中させ、避難が必要な人数や症状を把握。災害コーディネーター(医師)が、最も効果的に搬送できる手段を決める。救急車やヘリを最も必要な所に送る。
2012-12-08 21:34:49#NHK SP。被害がさらに広域に及んだ場合、どう対応するのかはこれから検討。谷川医師「個々人の能力を超える部分は、ふだんから準備をして、仕組みを作っておくことが大事」
2012-12-08 21:36:07#NHK SP。首都圏では、さらに難しい対応が迫られる。千葉県、順天堂大学浦安病院。入院患者650人の約半数が、自力で歩けない。病院は、これまで被災した負傷者を受け入れる体制整備に力を入れてきた。しかし震災時、液状化によってライフラインが寸断し、患者の避難を考える。
2012-12-08 21:37:33#NHK SP。首都直下地震で被害を受けたことを想定し、患者を遠くに避難させることを考える。静岡県にある系列病院に運ぶ計画。陸上交通が麻痺する恐れがあり、車での長距離移動は考えにくい。会議では、海上輸送も視野に入れることが提案された。県や市と協議。
2012-12-08 21:39:09#NHK SP。スタッフ自身が被災者になった時、どこまで患者に寄り添えるのか。双葉病院では、家族のために病院を離れた人も少なくない。2歳の息子のために帰宅した、看護助手の阿部みゆきさん。震災翌日の朝まで病院に留まり、患者の水分補給を担当していた。
2012-12-08 21:40:18