渡邊先生@ynabe39の「ツイッターで読む価値があるのは、@の宛先がついていないつぶやき」
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昨晩から糸井さん、高橋さん、川崎さんなど著名人がそれぞれとても重要で本質的なことをつぶやいていた。これらのつぶやきの特徴は、誰かとの対話ではなく全く一方的につぶやかれ続けたことだ。
2010-08-15 07:39:52ツイッターが対話の道具としては2chより劣っていることはしばらく前から感じている。ツイッターを続ける為には誰かへの意見でなく自分の意見、それも一方的に伝えたい意見を持つことが必要であるように思える。
2010-08-15 07:42:39私がフォローしている極小数の人々(現在わずか77人)の大半も有名無名を問わず「自分の意見を一方的に主張する人々」だ。私はツイッターでは対話よりも誰かが勝手に述べる意見を読みたい。
2010-08-15 07:48:28@をつけると、議論の責任が宛先に委ねられて無責任になる。何を書いても「だってワタナベ君が先にそう書いたから」という言い訳が可能になる。
2010-08-15 07:52:19個人が自分の責任を明確にしてつぶやいた意見と、同意または注目を示すRT。これがツイッターの本質だ。自分の意見を書かずとも、RTも意見表明となるからだ。
2010-08-15 08:02:09いつも極論だと言われるから「極論ですが」とへりくだるのが癖になってるだけで、正直自分では自分の意見が極論と思ってることはまずないですw
2010-08-15 08:07:41なにしろ「自分は違う」「そうでない例がある」という例外を持ち出して極論に反論しようとしないでほしい。それは無意味。こっちは極論だと言ってるんだから。
2010-08-15 08:16:50そう書いて気づいたんだけど,学者ってネットなんかできるずっと前から世界の仲間たちと文字だけでコミュニケーションしてきたんだよね。それでも時々は対面して会話することが必要になる。だから学会の大会で集まりあうんだな。「年次大会のデジタル化」なんて誰も言わないもんな。
2010-08-15 08:22:12古くはniftyやBBSでも,2chでもmixiでもツイッターでも草創期の熱心なメンバーに研究者が多かったのは,もともと彼らが文字コミュニケーションの世界に生きる人々だからなんだな。
2010-08-15 08:25:52学会の年次大会というのは研究発表することより「集まりあう」ことが目的なんだということは1990年の日心大会を都立大でやったときにわかった。それ以来私は学会開催では懇親会に最大の精力を注ぐようになった。
2010-08-15 08:34:35前にも書いたように,何年かが経ってその大会について覚えていることは懇親会だけということはよくある。これは学会の本質をよく表している事実だ。
2010-08-15 08:36:03しばらく試してみるだけでも,同じことを@つけて述べてた時にはみな「誰か特定の個人との対話だな」と思ってRTもコメントもつかなかったものが,@なしだとRTされたり「この人嫌いだな」などとコメントされたりしている。@を取ることで責任の所在が私になっている。
2010-08-15 08:45:45大学院に入った時にある先生から「他の学者から嫌われるようになれ」といわれて実践している。というか一生懸命やっていたら自然とそうなった。誰にも嫌われず憎まれずということは「研究していない」「自分の意見を言っていない」ということだから。
2010-08-15 08:47:21