山本七平botまとめ／【鉄格子と自動小銃③】／流血事件の背景にある「恐怖」と「”判断”と”事実”の区別がつかない人間」

山本七平bot @yamamoto7hei

1】…恐らく地獄船の我々に幸いした事は、まず第一に当時船倉にいた者は皆、自分の判断と客観的な事実とは別だという事を否応なしに叩き込まれた者であった事だろう。哲学者はいなかったであろうが、一方的断定を事実にしてしまう者は既にこの世にいなかった＜『ある異常体験者の偏見』

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2】そして判断と事実の違いを本当に知って「女影らしき者、発見」という言葉が当然の事のように口から出る者だけが、生き残れる者だったからである。 もう一つ幸運だったのは…私はこれが大きな要素と思っているが――奇妙にイラついたり、すぐカッとなったりするタイプもいなかった事であろう。

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3】そういう人は、例外はあろうが、もう皆死んでいた。従って恐るべき飢餓、船倉という異常な環境、どこへ連れて行かれるかわからぬ不安、食物を支給されない不安、高熱・下痢・潰瘍という異常な肉体的苦痛の中でも、人々は、終始ある種の冷静さを持ちつづけていた。

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4】いわば興奮性・雷同性のある人間は既にいなかった、といえる。 これに比べると、今日のさまざまな「騒ぎ」が私には逆に非常に異常に見えてくる。 そしてこれで「飢餓」という事態にもし直面したら、「日本丸」の船倉は一体どうなるであろうか、という思いもする。

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5】しかし当時の我々にも非常に危険な点も確かにあった。それは指揮官も責任者もおらず、何一つ組織といえるものがなかったことである。…アメリカ側が組織的抵抗を恐れて、故意に我々をばらばらにし、…いわば「つきまぜた」ような形にした面も確かにあった。

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6】…しかしこれは逆に危険な面も出てくるのであって、いわばこの無秩序でしかも精神的にも生理的にも異常なところへ突発的な事故――たとえば発狂した者が不意に護衛兵の銃を奪うというようなこと――が起り、それが相互の関係の緊張状態が極点にまではりつめているような場合だと、（続

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7】続＞冷静にこれが処理できなくなって、暴動の突発とその鎮圧といったような形になって、全く無意味な流血へと転化するからである。 そして相互に被害者を出す。 山田旅団で起ったことは、おそらくこういったことであろう。

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8】この場合、「事実」は何の説得力ももってくれないのである。 この中国人の捕虜の置かれていた客観的な事態は「捕虜を北岸に輸送して釈放する」ということであった。これは事実であろう。 鈴木氏が、それが入城式の夜であったと語っていることが、それを証明している。

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9】南京戦に参加した古い下士官や兵士の話をきくと、彼らはみな南京入城で戦争は終ると信じていたのである。 新聞は南京目がけて「破竹の大進撃」などと書きたてたが、本当は彼らは、故郷に向けて走っていたのであって、南京はその一里塚にすぎなかった。

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10】「南京まで行きゃクニに帰れる」いわば南京は「クニ」の入口であった。また上層部もある時点まではこれで戦争が終ると判断していたようである。 従って「戦争は終るんだから捕虜は釈放してしまえ。ただ南岸じゃ騒動でも起されては厄介だから、北岸まで運んで釈放しろ」ということであったろう。

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11】従って暴動の起る五分前に「船が来たゾー」という叫びがあがれば、何も起らなかったであろう。 そしてここに何か事故があったとするなら、それは陸上部隊と舟艇隊との連絡不備ということだけであろう。

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12】だがこういう客観的な事実をいくら詳細に調べても、この事件の実態は出て来ないし、またその発端が、だれかが発作的に護衛兵の銃を奪ったからだとか、あるいは単に護衛兵の不注意からする暴発が契機となった、ということがわかっても、それはこの事件の解明にはならないであろう。

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13】では、なぜこういう事件が起ってしまったか、それは、私にとっては、自分の体験から推断する以外にないが、私が出来うる限り自分の状態を正確に記そうと思うのは、戦争の勃発、特にその発火点には、これらのケースと、基本的には非常に似たものがあると思うからである。

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14】まずわれわれのおかれた客観的状態は、後からいろいろと調べたり、アメリカ軍将校に直接聞いたりして再構成してみると、山田旅団の場合と同様、これまた実に単純きわまりない事件、いわば「舟艇と陸上部隊の連絡不備」といったような事故にすぎないのである。

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15】…通常は陸路によるトラック輸送で…朝食後出発、夕食は途中の仮設収容所でとる。翌朝その仮設収容所で朝食後出発し、夕食はカランバンで取る、という形になっていた。ところが、それでは到底輸送がまにあわなくなった。施設には限界があるから、輸送が間に合わねばあふれてしまう。

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16】そこへ船が来て、空船でマニラヘ回航されるというので、これ幸いと…捕虜をつみこんだのはいいが、今まで陸送しかしておらず、食糧は次の収容所で支給されるから渡す必要がないのと、次々に現われる捕虜を収容するのが手いっぱいで、つい食糧を渡すのを忘れたというのが真相らしい。

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17】こういうことは、戦場では少しも珍しいことではないのである。二日、三日補給がなくても、それはあり勝ちなことだし、第一われわれは、大本営から一粒の米も補給してもらったことはないのだから。 このこと自体は、何も捕虜だから軽視したのだといえることではない。

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18】だがその原因をたどれば、捕虜の収容で一番困る問題は、それが終戦または停戦で不意に発生し、しかも何名になるか見当がつかないことにある。 「バターンの死の行進」の最大の原因は、二万五千と推定していた捕虜が七万五千おり、これがどうにもできなかったということが主因で、（続

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19】続＞これも「捕虜だから」特にどうこうしたとはいえない。戦場では、善悪いずれの方向へもそういう特別扱いをする余裕がないのが普通である。 我々の場合もそしてまた山田旅団の場合も、非常に似たことで、いずれも捕虜だからとか、そこにいたのが残虐人間だったからだということではない。

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20】バターンの場合と似ているが、大体終戦時に日本軍が何名生き残っているのか、それはだれも知らないのである。 軍司令部ではもちろんわからないし、各師団司令部でもわからない。もし全軍が掌握できているなら小野田少尉のようなことにはならない。

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21】…そういうわけで人数は全然わからないのだが、アメリカ軍は一応これを約七万と推定し、七万人分の糧食・給水設備・被服・収容施設・輸送手段を二週間で作りあげた。 これを私に話したのはＨという大尉だったが、全く不眠不休の突貫作業だったそうである。

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22】これは形はかわっても山田旅団の場合に、兵隊が一生懸命、捕虜の為に食糧を集め不眠不休で一万人分の飯を作ったのに似ていよう。 だが同じ不眠不休でもアメリカ軍の作業力と物量があって初めてこれだけの作業ができる事で、ツルハシ・モッコ・飯食炊さんの日本軍では初めから到底不可能である。

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23】第一、不意にあらわれた七万人に、糧食だけでもすぐさま支給する予備能力などは「緒戦の大勝利」のときの日本軍でもない。 アメリカ軍は余力があったとはいえ、七万の推定が大きく狂って、残存日本軍は１１万余いた。四万余があふれたわけである。

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24】七万人までは例の「ジュネーヴ条約」の何とかやら通りだったが、私はこの四万余の口だったので、半裸で裸足で空カンをぶら下げ、土の上に寝るという生活が、無事収容所についた後もつづいたわけである。

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25】そして私の捕虜生活の第一歩、仮設収容所から船倉への段階で「糧食なし」という状態におとしいれられたのも、いわば四万余の余波で仮設収容所が「てんやわんや」の状態だったのが、最大の原因であったらしい。 これは確かに事実である。私はそう思う。