『映画の魔』(高橋洋、青土社、2004)からの抜粋 まとめ (順次追加されます)

『映画の魔』(高橋洋、青土社、2004)から抜粋しつぶやきとして投稿したものを順次まとめていきます。気が向いた時に抜粋をしますので、更新がいつ終わるかはわかりません。また、本書からの抜粋以外にも、このまとめの内容と関係しそうな情報や私見などを加えることがあります。この点はご了承ください。  ※これはわたくしの興味に従った偏った抜粋集ですので、本書をお読みになることをお勧めします。少しでもこの分野に興味のある方々の助けとなれれば幸いです。 拝   ⇒関連まとめ 『ホラー映画の書き方』からの抜粋 http://t.co/fEITts9v
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

『映画の魔』(高橋洋、青土社、2004年)がいま届きました。

2012-12-19 21:15:59
KAZUHIRO ARAI @majuzub

『映画の魔』(高橋洋、青土社、2004年)は買ってよかった。すばらしかった。 ありがとうございます。

2012-12-20 13:31:15
KAZUHIRO ARAI @majuzub

『映画の魔』は映画というより「映像の魔」であり、文理融合の種本でもあるよ。 

2012-12-20 17:55:17
KAZUHIRO ARAI @majuzub

書籍『映画の魔』の抜粋もつぶやきたいな。今夜から少しずつやるかな。

2012-12-23 20:16:07
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「何人にも利益をもたらさぬ犯罪  その目的はただ一つ、不安と戦慄を広めることのみにある。」    犯罪の支配 - 映画:高橋洋の『ソドムの市』 http://t.co/Xp7SIuL6 @sodomunoichi

2012-12-23 21:02:43
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「魔」とは「映像が現われた瞬間、そこで切り開かれたある異常な感覚領域に介在するもの」(『映画の魔』高橋洋)

2012-12-23 21:11:36
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「澁澤龍彦の「ショックについて」(『スクリーンの夢魔』所収)を初めて読んだとき、私はいても立ってもいられない興奮を覚えた。この六〇年代に書かれた文章は映像が人を殺す可能性について言及していた。」(『映画の魔』高橋洋)

2012-12-23 23:46:51
KAZUHIRO ARAI @majuzub

【承前】「イメージや音響をフルに用いて、もしも最大限のショックを人工的に誘発するような、おそろしいスペクタクルを演出するならば、映画によってひとを殺すことなど易々たるものであろう」「単に死が写っているのではなく、死をもたらすものとしての「映像」」。(『映画の魔』高橋洋)

2012-12-23 23:47:47
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「澁澤が語っているのは、「聞くに堪えない不快な音」「見るに堪えない残酷かつ醜悪なイメージ」の「目まぐるしい交代」による「ショック死」であって、ここではもっぱら肉体への生理的なテクニカルな刺激が死をもたらす要因とされていた。」(『映画の魔』高橋洋)

2012-12-23 23:50:00
KAZUHIRO ARAI @majuzub

1958年当時『吸血鬼ドラキュラ』の観客は口を血まみれにした役のアップだけで悲鳴をあげた。「画面に血を見ることが珍しかったこの頃、かかる「踏み越え」はそれだけで十分な「ショック」をもたらした」 ※ただし「踏み越え」には時代の限界あり―恐怖の慣れの問題 (『映画の魔』高橋洋)

2012-12-23 23:53:48
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「「ああ、こわかった!」と言われると、それは怖かったんじゃなくてビックリしただけだろ!と突っこみたくなる。」「「ショック」という言葉が言い表そうとしている、その一番奥底にあり言葉を支えている脅えとは、魂の破滅の可能性ではないか。」(『映画の魔』高橋洋)  

2012-12-23 23:55:31
KAZUHIRO ARAI @majuzub

※「ショック」は生理的肉体的な反応のレベルを超え、魂の領域に属するものになる。 →「恐怖はショックを介して見る者に取り憑き、否応なく後に引きずる。見る前と見る以前の認識を変更する。「ああ、怖かった」では済まないのである。」(『映画の魔』高橋洋) 

2012-12-23 23:55:48
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「見た以上は後に引きずり、家に帰ってからも恐怖が続く決定的な存在こそが幽霊であったことは言うまでもない。幽霊を見た者は「ああ、怖かった」などとは決して言わない。」(『映画の魔』高橋洋) 

2012-12-23 23:58:02
KAZUHIRO ARAI @majuzub

【承前】どうなるのか? 例:この世の者ではないと判る何かを識別した瞬間、記憶がとんだ。 「恐怖とはこのような生々しい体験であるという認識を、私(たち)は幽霊という「ショック」を介して世間に伝えようとした。」(『映画の魔』高橋洋) 

2012-12-23 23:58:45
KAZUHIRO ARAI @majuzub

「映画の恐ろしさはトコトン“出来事”からしか始まってくれないことにある。つまりどんな高尚・深遠なことも“出来事”にしてしまわなければ表現できないのであり、そしてそのことが、もはや映画とは言えぬもの、あのカタマリを呼び寄せるのではないか。 (『映画の魔』高橋洋)

2012-12-24 16:34:10
KAZUHIRO ARAI @majuzub

【承前】映画は徹底して通俗なのである。通俗とは本来、既存の通念の枠内に収まることを指すのだろうが、私はあらゆることを“出来事”化し、つまり見世物化する映画の獰猛さを通俗と呼びたい。 (『映画の魔』高橋洋) 

2012-12-24 16:35:23
KAZUHIRO ARAI @majuzub

【承前】 見世物という通念の側から観客を撃ち、あのカタマリを、天国から地獄までをまるごと触知させる、その可能性をこめた通俗に私は賭けたいと思っている。映画はそれ自体としては決して仰ぎ見るものではない。“出来事”という通俗の地べたをはいずり回るものだ。 (『映画の魔』高橋洋) 

2012-12-24 16:36:05
KAZUHIRO ARAI @majuzub

【承前】 映画をめぐる一部の言説は、時として映画を仰ぎ見るものとして抑圧的に働いてしまった。・・私は映画なぞ仰ぎみない。私は映画のただ中にいる。そして私は、もはや映画とはいえぬものの予感に身を焼かせるのだ。」 (『映画の魔』高橋洋) 

2012-12-24 16:36:35
KAZUHIRO ARAI @majuzub

これは人類学、人類学映画にとってもとても重要なことかもしれません。

2012-12-24 16:37:52
KAZUHIRO ARAI @majuzub

『ホラー映画の書き方』からの抜粋、引用(字数制限のための改変あり。誤字脱字もあり)等を基にした連続つぶやき動画つきホラー映画小史です。動画がついているのでより理解しやすいかもしれません。お役にたてれば幸いです。 拝 http://t.co/fEITts9v

2012-12-26 22:45:24
KAZUHIRO ARAI @majuzub

書籍『映画の魔』のなかで紹介されている映画『THREE MEN AND A BABY』に写り込んだ謎の少年の姿。35秒から数秒間 http://t.co/wrFRjrRo

2012-12-27 02:09:30
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KAZUHIRO ARAI @majuzub

1987年「スリーメン&ベビー」で出演者ではない(霊?)男の子が映っているそうで... http://t.co/BQgb5ebi _  「現在発売中、もしくはレンタル中のソフトには写ってないらしいですよ。一時期その話題で騒然となり、のちの発売分は編集してカットされたそうです」

2012-12-27 02:10:01
KAZUHIRO ARAI @majuzub

【閲覧注意】実際に霊が映ったTV番組・映画:哲学ニュースnwk http://t.co/R6x0NLbr @nwknewsさんから

2012-12-27 02:10:26
KAZUHIRO ARAI @majuzub

子どもの時にここに掲載されている少年隊の歌に紛れ込んだ声は聴きました。何度も同じところを再生してやっと聴こえたのですが、その瞬間のゾッという背筋が凍った感覚はいまだに憶えていますね。「謎の声や音、霊の声が紛れ込んでしまったCD・レコード」http://t.co/XOijB6am

2012-12-27 02:16:49
KAZUHIRO ARAI @majuzub

何度聴いても聞き取れなかったのですが、一度聞き取れてからは、明瞭に聞き取れるようになり怖かったですね。「かっちゃん」(植草 克秀)という女性の声だったです。 ここにも載っています。http://t.co/RciTu6gM

2012-12-27 02:20:03