ゲームでプレイヤーを「演じる」こと、演劇で「役を演じる」ことの違いについて

ゲームでプレイヤーを「演じる」こと、演劇で「役を演じる」ことの違いについて議論してみました。 現在も#grpgにて、ゆるりと継続中。
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企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

現在は「規模」をクォリティとする面があり、日本製ゲームのように「味わいがあるが量が無い」というゲームは相対的に評価されにくい(モーグリで日本人選手は「トリック」では世界一なのに、走破のクリアタイム評価が高い採点法により勝てない、そういう状況に似ている)。

2010-08-19 08:44:33
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

規模を作るという事は、規格化、画一化して作業的に制作に臨まざるを得ないという事。家内制手工業を捨て、機械工場化を迫られるという事。ICOというのは無論、世界観やゲームの細かい部分まで手作りの温かみがある手作業の工芸品のようなゲーム。それが商品としてしっかり採算の取れる世界……

2010-08-19 08:47:41
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

そうであれば、日本のクリエイターはもっと手作り感のある、規模は劣るが味わいのあるゲームを作る事が出来るだろう、という話だよね。三上さんの話は。もちろん勘違いしてはいけない、手作りの工芸品と同じように工場製品にだって美しさや趣きはある。インダストリアルデザインという方向性。美感。

2010-08-19 08:51:10
O-Planning 企画屋一号 @opn1

@yas_kawamura せっかくの休みなら、ゲームでプレイヤーを「演じる」ことと、演劇で「役を演じる」ことの違いについて語ってみないか。

2010-08-19 08:51:48
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ゲームでプレイヤーを演じることと、演劇で役割を演じる事の違いは、単純で大きな差がある。プレイヤーは「自分の為に自分の内側へ向けて役割を演じる」。役者は「観客の為に外側へ向けて役割を演じる」。

2010-08-19 09:00:06
O-Planning 企画屋一号 @opn1

ゲームにおいてプレイヤーが「演じる」という意味は、ゲームデザインにおいて根幹の部分なので、いろいろな視点から掘り下げる必要があるのだけれど、大抵は忙しいので、従来のゲームデザインの「枠」を使って作っちゃうため、あまり考えない。けど、ゲーム不況の今、ちょうど考えるには良い時期かも。

2010-08-19 09:00:30
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

プレイヤーは誰かに何かを伝えたり訴えたりする必要はない。役者は思想家や演説家では基本的にはないから、具体的に何かを伝えたり訴えたりするわけではない。しかし役者は己の解釈を見る者に披露しなくてはならない。そしてその解釈は客に評価されるから、まっすぐ意味が伝わるだけではなく、

2010-08-19 09:04:09
O-Planning 企画屋一号 @opn1

@yas_kawamura 「内側に向けて演じる」ということは、ゲームは舞台装置としてだけでなく、自分の心理を反射する「鏡」的役割もあるんだろうか? (ちなみにそちらの話を全部聞いてから質問したほうが良いならそうします) #grpg

2010-08-19 09:04:17
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

印象に残ったり、面白おかしかったりしなくてはならない。

2010-08-19 09:04:49
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

本でも漫画でも音楽でも、「受け取る者」にとっては全て自分の心を反射する鏡であるはずだ。内に向けて演ずるという意味は、それがたとえ喜びであれ悲しみであれ怒りであれ、プレイヤーは「己のよいように」起きている事も起きていない事も補完し、関連付け、脳内でレンダリングしているという事。

2010-08-19 09:10:51
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

それが面白くなかったり、違和感があったりというのは、要はゲームで言うとちゃんとコリジョンのついた背景データが流し込まれなかったり、イベントフラグが立たなかったり、矛盾命令があったりしてちゃんと「脳内で動的世界が作動していない」っていう結果がそうさせるわけです。

2010-08-19 09:14:00
O-Planning 企画屋一号 @opn1

つぶやきを見ながら思った。ゲームを演劇と仮定した場合、プレイヤーという大根役者を、優れたスタッフが舞台装置、俳優、脚本を用意して、プレイヤーを一流の俳優にするという視点も面白い。 #grpg

2010-08-19 09:14:41
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

話を戻すと、俺が舞台演出の本が参考になると言ったのは、舞台演出家の前提として「芝居は役者のもの。だから脚本は配役の行動については書くがその心情については役者の解釈に任せる」という大原則を前提に「じゃあそれらをどう盛り上げて一個の舞台として結合させてゆくか」の手法を論じるから。

2010-08-19 09:18:46
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

つまり、演出家とは役者(主人公)と言うものがどう動くかについてはある程度許容した上で、物語を周囲から流し込むようにして結実させてゆく仕事なんですよ。※エライ先生の場合は必ずしもそうではないが だからゲーム作る人には参考になりますよと。

2010-08-19 09:21:00
O-Planning 企画屋一号 @opn1

なるほどw RT @yas_kawamura: つまり、演出家とは役者(主人公)と言うものがどう動くかについてはある程度許容した上で、物語を周囲から流し込むようにして結実させてゆく仕事なんですよ。※エライ先生の場合は必ずしもそうではないが だからゲーム作る人には参考に #grpg

2010-08-19 09:23:22
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

.@opn1 大根とは何事だ。プレイヤーひとりひとりは素晴らしい役者だ。何と言っても演じるのも自分、見るのも自分なのだから、他人の入り込む余地はない。そして本当に良いものなら、誰がプレイしてその過程を語っても、他人を感動させうる物語が醸成されるものが最高。まさしく傑作。

2010-08-19 09:23:53
O-Planning 企画屋一号 @opn1

@yas_kawamura 「プレイヤーは大根」は自分も実は悩んだ。でも、アクションゲームとか格闘ゲームにおけるプレイヤーは、ある程度ゲームスキルがないと「演じられない」ゲームになってきているので、反論覚悟であえて使ってみた。それについては、どう? #grpg

2010-08-19 09:26:29
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

ゲームは第一にプレイヤーに多くの「おいしい所」を譲ることを前提に考える。そうした場合おのずと作る側はいかにプレイヤーを導き、のせ、一番おいしい場面にあたかも自分から飛び込んだように仕組むかという発想が出来る。それが出来ない時、ゲームを止めてお仕着せのムービーで粉飾せざるを得ない。

2010-08-19 09:28:20
O-Planning 企画屋一号 @opn1

「演じる」というとRPGに限定されているイメージになるが、実際には、「パックマン」も「ゼビウス」も「演じている」。シューティングゲームにおいては、「演じる」要素を強めるために、自機にコックピットを付けざる終えないし、付けなければ演出にならない気がする。 #grpg

2010-08-19 09:31:51
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

.@opn1 「出来ない自分」も面白いものだ。むしろそういう設計になっているべき。アクションゲームは出来ない自分が苦心して技を反復、戦略を試行錯誤し、ある瞬間「殻を破る」。その時に得る新たな知覚、万能感というのはまさに良質の体験で「主人公の成長物語」だろう。

2010-08-19 09:33:08
O-Planning 企画屋一号 @opn1

@yas_kawamura なるほど、「できない状態」さえもが物語りの一つであると。それは説得力ある。だとすると、エンディングを迎えられないプレイヤーの不幸というのは、それも「物語」としてみても良いのだろうか?(これはこれで面白い) それとも舞台監督の問題か。 #grpg

2010-08-19 09:35:53
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@opn1 演じるというか、感情移入にも「距離」があると俺は思うよ。何も全てが「自分」にならなければ感情移入していない事にはならない。たとえばゲームで言えば「ファーストパーソン」「ショルダー」「ビハインド」「俯瞰」それぞれの「距離感の感情移入」というものはある。

2010-08-19 09:37:38
O-Planning 企画屋一号 @opn1

@yas_kawamura なるほど。「演じる距離」はゲーム特有? 舞台や映画ではない概念かな?(役者じゃないと分からないかな #grpg

2010-08-19 09:39:46
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@opn1 不完全燃焼というストレスはゲームには重大な問題となる。特に一つのキャラクターの物語がある場合、結末が見れないというのはストレス。まさか途中でやめたプレイヤーが「その後彼は幸せになった……」というようには解釈できないだろう。これが視点がもっとマクロなら話は変わってくる。

2010-08-19 09:41:10
企画屋@川村(ゲームデザイナー芸人) @yas_kawamura

@opn1 役者の出ない舞台、映画というのは考えにくい。ドキュメンタリーでさえも、たとえば氷山を延々撮るなどするものがあるが、あれは氷山というキャラクターの一生を追うものでそれなりに構成や展開は存在する。人が作るものには、やはり意図が介在する。介在しないものは理解されないだろう。

2010-08-19 09:44:51
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