講師:篠原資明 演題:村上隆をめぐって
本日京都工繊大で聴講してきた篠原資明「村上隆をめぐって」について。「アート・メディア・テクノロジー」と題された連続講演会の第一弾で、学内の「デザイン史」という授業の一環だったこともあって、学生がけっこう多かったです。→
2013-01-08 22:12:08――そんな文脈(?)で開催された講演会ということもあって、全体的には村上氏の代表作を追っていきながら解説していくという入門編的色彩がどちらかと言うと強かった次第。まぁ今の学生の世代だと、そもそも氏の作品を見たことがない人も多そうですから、これはある意味仕方ないかもしれない→
2013-01-08 22:12:28→篠原氏は1989年から94年まで東京藝大で教鞭を取っていましたが、その際に当時博士課程にいた村上氏の博士論文「意味の無意味の意味」の査読者の一人となったそうで(ちなみに主査は加山又造)、そういう縁もあってか、氏の90年代前半の仕事を見る機会がなかなか多かったとのこと。→
2013-01-08 22:12:58→92年には当時横浜にあったベリーニの丘ギャラリーでの企画展(第一回トランスアート・アニュアル)のキュレーターとして村上氏の作品を展示したり、佐賀町エキジビットスペースで共作(篠原氏は詩人でもある)したりと、個人的なかかわりも多かったという。→
2013-01-08 22:13:22→そういう視点から見たとき、そこにはやはりポストモダン(という名の80年代的問題系)への拘泥が見出されるのではないかというのが、当時も今も氏が村上氏の作品(や企業活動)に対して抱いている見解だそうで。
2013-01-08 22:13:45→例えば村上氏の出世作(?)である《DOB君》にしても、篠原氏はマンガなどの影響とともに、ジャン・コクトーやジョルジョ・デ・キリコなどの影響を指摘していたし、〈スーパーフラット〉にしても、→
2013-01-08 22:14:14→日本美術史(狩野派や「奇想の系譜」((C)辻惟雄))の文脈との対質という以上に、同/前時期のポストモダン(ポストモダニズム)の残響が、そこには見出されるのではないか――というわけですね。それはいかに氏がこの時期の/に至る日本現代美術を罵倒しているにしても、そうではないか、と。
2013-01-08 22:15:02→あと、デ・キリコを介して村上氏のニーチェ的性格を指摘したり、篠原氏が大阪でのスモールビレッジセンター(小沢剛、村上隆、中ザワヒデキ(、中村政人)各氏のユニット(?))の展覧会に見に行った話などが話題になってました(とりあえず了)
2013-01-08 22:15:22