@kata_toshi 上野先生がはたして「デジタル教科書への危惧」について話してくれるのか不安になってきましたが,ハッシュタグ使わせていただきます. #DiTT
2010-08-21 13:53:58明治5年(1872)8月3日「学制」の配布.9月「小学教則」.ヨーロッパへの遅れの危機意識から,科学重視.カリキュラムの多くを数学・科学教材が占めた. #DiTT
2010-08-21 14:07:20下等小学は8・7級(現在の1年)から2・1級(4年生).そろばんのあつかいはほとんどなく,暗算を重視した. #DiTT
2010-08-21 14:09:15筆算の教科書『筆算訓蒙』.そろばんでなく,筆算.「この書は算術を,系統的に,しかも近代的なる教科書の形式において提供した,おそらく日本最初の著述」(小倉金之助『数学教育史』) #DiTT
2010-08-21 14:13:55明治6年4月『洋算早学』.和算と同じく,すぐに問題が出てくる.説明はあまりなく,教師付きで学ぶことが前提に思われる. #DiTT
2010-08-21 14:16:09そろばんを排除したかったのだが,これはうまくいかなかった.教師は和算出身者が多く,そろばんをつかわない算数を教えるのは難しかったため.明治6年,政府はそろばん使用を許可. #DiTT
2010-08-21 14:17:40算数教育をめぐる教育行政は試行錯誤.教育の内容は全国的に統一せず,各地の事情を考慮して指導する自由性を保証した.全国各地で教科書が出版された. #DiTT
2010-08-21 14:20:01上野清『訂正算術三千題』.これは政府の検定を通った.検定はいわゆる「教科書」に限定されなかったらしい.市販の問題集に政府のお墨付きが出る. #DiTT
2010-08-21 14:26:04明治23年10月の小学校令.市町村立小学校制度が確立.藤沢利喜太郎『算術条目及教授法』(明治28年).「従来本邦における算術教授法は,率ね理論を度外視し,唯唯問題を解くのみを事とす」.ペスタロッチの直観主義に反対し,ドイツ流の「教え主義」を支持. #DiTT
2010-08-21 14:31:26明治34年12月,教科書選定を巡る地方の汚職が発覚.菊池大麓,文部大臣を辞任.国定教科書の発行.国が教科書を管理するようになる. #DiTT
2010-08-21 14:35:36教師用の「黒表紙」は問題集.民間から,「国定準拠尋常小学校算術書」というものが出された.これは参考書だった. #DiTT
2010-08-21 14:42:14明治40年,義務教育年限が4年から6年に.明治43年には第2期の国定算術教科書が出される.第3期は大正期. #DiTT
2010-08-21 14:44:28昭和4年,塩野直道が第4期の算術教科書の作成にとりかかる.昭和10年使用開始「緑表紙」と呼ばれる教科書. #DiTT
2010-08-21 14:45:56「緑表紙」が使われたのは昭和16年まで.非常に短命だったが,当時の数学・数学教育近代化の中で作られ,後にも影響の大きかった教科書. #DiTT
2010-08-21 14:52:11上野「デジタル教科書の大きな問題は,いろいろきれいなものを見て,子どもが「なんとなくわかった」で終わってしまうのではないかということ」. #DiTT
2010-08-21 14:55:43上野「どういう教育をしたいのかをもっと議論したい.新しい時代に何を加えたいのか.緑表紙をよむと,そこから当時の社会情勢が見て取れる.」 #DiTT
2010-08-21 14:57:44上野「パワポを使って数学の話をすると,学生はなんとなく授業を聞いていて,ちゃんと理解していないことがある.板書をノートするときには,ちゃんと考えている.」こういうことが電子教科書で起こるのではないかと危惧しているようです. #DiTT
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