東日本大震災:遺族と、捜索者と、記者

西岡研介さんによるツイート
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西岡研介 @biriksk

東日本大震災で、津波に娘さんを奪われたご両親。娘さんのご遺体は3月末に被災地沖合6キロの海中で見つかった。娘さんを荼毘に伏してから1年と8カ月、「娘の遺体を見つけ、私たちの元に帰して下さった(海上)自衛隊の方に一言、お礼が言いたい…」との思いを抱えておられた。

2013-01-21 11:15:16
西岡研介 @biriksk

(承前)このご遺族とお付き合いを続けている「ふたつの震災」の相棒、松本創 @MatsumotohaJimuからその話を聞き、「ダメでもともと…」と旧知の海自幹部にお願いしたところ、娘さんのご遺体を引き上げた掃海艇がたまたま、その幹部の知り合いの隊に所属していた。(続)

2013-01-21 11:16:56
西岡研介 @biriksk

ちなみにこの海自幹部も震災発生後から数週間にわたって別の被災地での洋上捜索に従事していたが、行方不明者を見つけきれなかったことに今も心を痛めている自衛隊員の一人だ。(続)

2013-01-21 11:21:51
西岡研介 @biriksk

そしてようやく昨日、この幹部をはじめ、何人もの海自関係者に労をとっていただいたお蔭で、ご両親を、娘さんを引き上げた掃海艇にお連れすることができた。(続)

2013-01-21 11:23:02
西岡研介 @biriksk

(承前)ご両親の車に同乗し、掃海艇が停泊する基地に着くと、正門前には幹部と部下が制服・制帽に黒ネクタイ姿で待っていて、敬礼で出迎えてくれた。そして車を止め、ご両親とともに掃海艇に向かうと……(続)

2013-01-21 11:23:56
西岡研介 @biriksk

(承前)掃海艇の甲板には、艇長をはじめ乗組員が全員、制服・制帽に黒ネクタイ、セーラー服姿の乗組員は黒いリボンをつけ、敬礼姿で並んでいた。この光景を目の当たりにした時、思わず胸に熱いものがこみ上げてきた。隣を歩くご両親は甲板に向かって何度も頭を下げ、目を潤ませていた。(続)

2013-01-21 11:24:23
西岡研介 @biriksk

(承前)訓練やミッションで何カ月もの間、自宅を留守にし、家族と離れて過ごす乗組員にとって、帰港中に巡ってくる数少ない「日曜日」がどれほど貴重か。それが分かるだけになおのこと、彼らの心遣いに胸が熱くなった。(続)

2013-01-21 11:24:41
西岡研介 @biriksk

(承前)ご両親を艇内にお連れすると、席を外し、船を降りた。僕のような〝よそ者〟が立ち会う席ではないと思ったからだ。(続)

2013-01-21 11:25:12
西岡研介 @biriksk

(承前)その後、ご両親は約1時間にわたって、娘さんを取り戻してくれた艇長や乗組員らにお礼を言い、捜索当時の様子を詳しく聞いて、掃海艇を降りてこられた。帰りも「海の男たち」は、ご両親を最敬礼で見送ってくれた。帰り道、ご両親の表情は行きのそれより幾分、晴れやかに見えた。(続)

2013-01-21 11:25:29
西岡研介 @biriksk

(承前)震災をはじめ、大災害や事故に遭い、家族を失った遺族にとって、家族がどこで、どの様な最期を迎えたのか、そしてどういう様子で見つかったのかということを、細かく〝知る〟ということは、身内の死を受け入れる、それを悲しむ上でとても大切なことなんだと改めて認識した(続)

2013-01-21 11:28:28
西岡研介 @biriksk

(承前)と同時に、それらを〝知る〟ことのできない震災の行方不明者家族にとって、それがどれほど辛く、苦しいものか……ということを思い知らされた一日だった(了)  

2013-01-21 11:30:06