曹操はフェミニスト?
- rotritter3594
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そもそも曹操さまは女好きだから女を大切にしたのですねwなにしろこの時代の女性(特に未亡人)は夫が亡くなると後追い自殺するとか顔や自身を傷つけて貞操を守るのが美徳とされてきたのに、財産は分け合えとか再婚しろとか職を身に付けろとか神経質なほどに細かい気配りで惚れずにはいられないw
2012-12-27 22:58:13曹操さまは宗教や思想にはこだわりが無いが、儒教は漢の臣下として必須だから、仏教は当時の新興宗教の一つとして、黄巾賊の太平道は邪教、五斗米道は民の信仰が篤いので容認。しかし晩年は道教に傾倒していたと思われますな。現実主義的な考え方とアンチ儒教的な所が自分の考えに合っていたからかな?
2013-01-03 20:19:36@rotritter3594 私もこの一節を以前見て、正史の曹操像を知りたいなと思いました! …遺言って、側室たちの行く末まで案じて手に職つけろ的な助言してたのって確か曹操でしたよね!?(´;ω;`)
2012-12-27 22:34:52@fjhrbldg そうですよー!正史の曹操さまは本当に気が細やかなのです。遺言文に後宮の女官に「組みひもを編む内職を身に付けろ」とか夫人達は「遺産を分け合って再婚しろ」とか、この時代の権力者とは思えないほど細かい気配りのある内容でグッときますよ!!
2012-12-27 22:42:27@rotritter3594 そうだったんですね!!夏侯令女とか相当な電波ちゃんて思っていたのですが、当時では貞節を守るために顔を傷付けるのが美徳…というのは初めて知りました(>_<)
2012-12-27 23:07:10@jyu508 未亡人で引く手数多なのにも関わらず、鼻と耳を削ぎって・・・!まさに烈女ですね。
2012-12-27 23:09:49曹操さまは女好きで手が早く気が多いけど、遺言文の内容からも分かるように一度自身が愛した女性を捨てたとか寵愛が薄れたという記述が全くないのですよな。丁夫人に愛想を尽かされて出て行かれた事はあるけどw
2012-12-16 14:58:29正史でも曹操さまと卞氏の馴れ初め話が乗っていないのが残念。歌妓といえば当時としてはあまり身分が良くなく世間的には歓迎されないはず。曹操「そなたの奏でる曲に乗せてワシの作った詩を歌ってみてはくれまいか・・・?」卞氏「まあなんという素敵な詩。喜んで」などというスイートな妄想(´q`)
2012-12-16 14:49:08@rotritter3594 史実だと無職になったから卞ちゃんと一緒に里帰りした、てあった記憶が。たしか卞ちゃんが曹操より5才下だっけ?
2012-12-16 14:51:39@re101000 おおっそうだったのですか!ということは、曹操様が洛陽で北部尉やっているときに卞氏と何らかのきっかけで出会ったという事になるんですかね?
2012-12-16 14:55:05卞氏は歌妓という身分だったからこそ他のやんごとなき奥方や貴婦人とは違い、世間の苦労を人一倍知っているから人の心を捕まえるのが上手く気配りがよく出来て良妻賢母だったのだと思うよ。ワシが思うに曹操様が得た人材のなかで一番の才能を持つ人間こそ卞氏その人なのではないかなーと。
2012-12-16 15:12:11曹操と卞氏がちょっとケンカした場面がひとつだけ史書にのってる。卞氏が弟を引き立ててくれるように曹操に頼んだら、曹操が断って、だったら金銭や絹をやってくれるようにと頼んだら、曹操が「おまえがこっそり盗んでやっている分では不足なのか」と言った。きっとその夜はそそがなだめてセッ(略)
2012-12-16 14:08:56曹操高陵で発掘された人骨が60歳代男性(曹操本人)と50歳代女性と20歳代女性(双方共に出産経験あり)とのことなので、60歳になっていてもまだなお健在であったことがわかりますな←
2012-12-16 14:15:15それともまたもや人妻か未亡人かwww曹操さまって本当は性格が陽気でプレイボーイなラテン系のノリな気がするwww
2012-12-16 14:20:18列女伝とか読むと、夫が死んだ後再婚させられそうになって、それを拒んで自殺したり顔を自分で醜く傷付けたりする例が多い。貞節を守った美談として語られる話だけど、曹操さまが「わしが死んだらおまえたち再婚せいよ」と妻や妾に言い含めていたのは、そういう事例に胸を痛めたからかもしれないな。
2012-12-03 20:57:17@sosokan 特に自分が愛した女性たちが傷つくことをとても心配していたのでしょうね。遺言書をみてもこの時代の男性には大変珍しく女性に対する気遣いや優しさがあるところが、本当にますます曹操様に惚れてしまいますねぇ~(*´ω`*)
2012-12-03 21:05:02権力者ともなれば女のことなんざ「路傍の花」(笑)のごとくポイポイですが、なんといっても曹操様は違うぜ!!浮気性の女好きですが何しろ「寵愛が薄れた」とか言う記述もなければ、宛城の件で愛想を尽かして出て行った丁氏のことや後宮の女性たちの今後の身の振り方のことを最期まで気にしていたしw
2012-12-03 21:14:11曹操が関羽から杜氏を横取りしちゃった後、関羽は兄じゃと張飛に男泣きにうったえたんだろうと思うよ……。張飛が秦宜禄(杜氏のもと夫)に「妻を奪い取った男に仕えるつもりか!?」と言っているから。しかしその理屈だと関羽も「妻を奪い取るつもりだった男」なのだが。
2012-12-03 21:27:05@sosokan もしかしたら杜氏の方がみずから先に曹操様を選んだのかもしれませんよ?www
2012-12-03 21:29:41曹操さまの後宮は未亡人と連れ子の救済施設になっていたのではないかという事は以前からツイートしておりますが、まず子どもを「おじちゃんのところに来るかい?」といって遊びながら口説き落とし、次にその母親を「子どもたちもなついているようだから、ワシのもとに来るか?」と落とすのではないかと
2012-12-01 22:38:26蔡文姫の話についてワシは無双6で初めて知ったのだけど、正史が主流となりつつある本場中国ではメジャーな話なのですな!これは女性関係であまり良いエピソードが無い曹操様(笑)にとっての唯一の美談ともいえるプラトニックラブ(?)であるからして、多く取り沙汰されるのではないかなーと思い。
2012-11-18 18:37:20曹操が蔡文姫を自身の妾にしなかった理由は、恩師の蔡ヨウへの義理や己の立場ゆえ再婚相手を紹介するに留まっただけではなく、ただプラトニックな関係でいたかったからと考えるワシはロマンチストすぎじゃね?www
2012-10-20 20:16:02【追記】『魏武帝遺令』抜粋「餘りし香は諸夫人に分かつべく與う。 諸々の舍中に所爲無くは、 履の組を作るを學びて賣る也。 」(訳)「残っているお香は夫人たちに分けあたえてやりなさい。夫人たちのうちで宮廷でやることのないものは、くつのくみひもの作り方を学ばせて売らせなさい。 」
2013-01-21 12:59:58