こがばあ様82歳ツイート「戦争体験part4【選択・指令】~未来に禍根を残す恐れのある選択をしてはならないと

82歳になられたこがばあ様。語り伝えなくては、という切なる思い・・・渾身の連ツイpart4
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こがばあ @kosato80

先週は細かく配慮して発言したり行動したりすること多く無い脳味噌振り絞りカス頭に。でも間を縫って食といのちを題材のミュージカル観たり詩を書いたり。濃い日々。それはそのようなことを選択する自由があるからこその日々でもあった。で、予告ばかりだった戦争についての第4回目を書き始めます。

2013-02-24 16:12:29
こがばあ @kosato80

戦争第4回【選択・指令】①今、私達には色々なことが降りかかっている。それぞれの人の数の何倍も、種類は恐らくその数だけ、良いこともそうでないことも。そしてその中には自分では制御できないことが多い一方、自分で選び取ったものも多いに違いない。昭和一桁まではどこの家にも楽しみがあった。

2013-02-24 16:23:30
こがばあ @kosato80

【選択・指令】②その楽しみは子どもにとっては毎日下校後にランドセルを放り出して友達と遊ぶことだったり大人にとってはたまにハイカラな洋服を着たり野球やテニスに興じたり豊穣な文化があった。金持ちか貧乏かなんていう境目なしに自分の楽しみを選んでいたしお金のかからない楽しみもあった。

2013-02-24 16:33:38
こがばあ @kosato80

【選択・指令】③私は病気ばかりして寝たまま一日中ラジオを聴いていることが多かったけれど、子どもが聞いていても飽きなかった。落語・漫才・浪花節・西洋音楽・童話・童謡などなど。それが一変したのが日中事変の前ごろから。子どもには理解できない言葉が緊迫した口調で語られることが多くなった。

2013-02-24 16:40:36
こがばあ @kosato80

【選択・指令】④ラジオから聞こえるアナウンサーの口調は今北朝鮮のTVで厳めしくニュースを読み上げる女性アナとよく似ていた。放送局は今のNHKだけ。第1と第2があって、殆ど第1を聞いていたから、ニュースが多かったのかもしれない。情報源は唯一のその放送と新聞。どちらも同じようだった

2013-02-24 16:47:14
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑤その頃の状況をさして、この戦争は聖戦であり必ず勝つと、洗脳あるいはマインドコントロールされていたのでは、といわれる。それは教育にも罪があるとも。このところその点について記憶を研ぎ澄まして当時の大人たちのようすを考えているのだが、ちょっと違うのではないか。

2013-02-24 16:59:34
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑥勿論、言われるままに鬼畜米英とか一億玉砕などの言葉を信じていた人達もいたのはたしか。でも多くの大人たちの顔がさめていたのもたしか。召集令状が来たと挨拶にきた叔父や又従兄弟たちの表情も高揚とか悲壮というものではなかった。言葉すくなに玄関先で帰っていった。

2013-02-24 17:08:54
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑦疎開先でのことだから見送る祖母も叔母達も沈痛な顔だった。決して洗脳されてはいなかった。第一、父親が自分を保っていた。当時ある大学の予科で英語を教えていたので教え子が別れにくる。いつもと同じようににこやかにじっくりとお喋りをし送り出す。そのあとは書斎に籠もっていた

2013-02-24 17:16:10
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑧疎開するまでは学校でも軍国主義的なことはあまり言われなかった、少なくとも昭和16年12月8日までは。ラジオで「大本営発表」として赫々たる日本の戦果が連日報じられるようになったのはその前頃からだったように思う。情報の選択肢は無い。信じようと信じるまいと報道は一つ。

2013-02-24 17:24:40
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑨放送局も新聞社も指令のままに報道する。指令に背けば投獄、一族あるいは一社の運命が握りつぶされる。心ある人達はどれほどの悔しさを秘めて指令に従ったことだろう。それにしてもあのアナウンサーの滑舌はよかったなぁ。毎日24時間警戒警報と空襲警報で命の危険にさらされる中、

2013-02-24 17:32:07
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑩マイクの前に立つのも必死だったろう。聞く側は命の危険の真っ只中に24時間いるのだから思考力も判断力も鈍っている。空腹がそれに拍車をかける。昭和20年も半ばになれば生活も正常ではなくでくの坊みたいに指令どおりに動くしかなかったのではないか。で、指令を下す側は?

2013-02-24 17:41:09
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑪選択の余地の無い指令を下す側は、当初は高を括っていたに違いない。聖戦の名の下に戦争を始めさえすれば勇猛果敢な日本軍が勝利をおさめて国土を広げ富を我が物にと。これぞ情報不足。あたら膨大な命を失った。これを教訓としなければその「人柱」に申し訳がたたない。

2013-02-24 17:49:04
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑫終戦の二日前、疎開先に父が東京から来た。母にひそひそと話していた「もうじき終る。よかったね」と。ラジオの勇ましい話しか聞いていなかった私は親不信に。15日、飢えと混乱の中で聞いた終戦の詔勅。私は父がなぜあのタイミングで終戦近しを知って来たのか知りたかった。

2013-02-24 17:58:20
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑬どこでそういう事実を知ることが出来たのか。訊きたい訊いておかねばと願いながら遂に訊けなかったことが悔やまれる。一般的には色々ルートがあったのだろうが私は父のルートが知りたかった。

2013-02-24 18:05:31
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑭指令、ということで考えると、2011、3月11日の震災のとき町民を救うために自らの命の危険を忘れて避難の放送を続けたあの女性の「指令」。選択の余地の無い指令。戦時中にラジオから流れ続けた指令との違いを考える。何を守るための指令か。どんな責任のもとに発する指令か…

2013-02-24 18:15:03
こがばあ @kosato80

【選択・指令】⑮冗長なものになってしまいましたがこの回はこれで終わりにします。人生の中で、場面によりますが複数の選択肢がある現在、未来に禍根を残す恐れのある選択をしてはならないと強く思い、書きました。膨大な量の各分野の情報への選択眼も大切と思う昨今です。お読み頂き感謝いたします

2013-02-24 18:28:45