為末大さん@daijapanの「【私の知らない私が知っているという事】について 論理的な答えより直感の方が越えているのではないかと思う時がある。」
今サブリミナルマインドという本を読んでいて、すごく面白い実験が出てくる。右脳と左脳をつなぐ脳幹をいうモノを切断された患者が出てくる。左視野で見たものは右脳に、右視野で見たものは左脳で判断され、普通であればそれが脳幹でつながるのだけれど彼らはそこがつながらない。
2013-02-26 08:08:33右視野に花と出せば、患者は花を見たと答えそして花のカードを拾う事ができた。所が左視野、右脳で見たものは患者は何を見たか答える事ができなかった。言語化は左脳が行うから言語化できず、そうすると患者は見えなかったと答える。
2013-02-26 08:10:45面白いのは、それでも無理矢理どのカードかを拾ってくれと患者にいうと結構な確率で正解を選ぶのだそうだ。そしてなぜそれを選んだか患者は説明できない。更に同時に、例えば右視野に花、左視野にシャベルと出すと花とシャベルを取る。理由を聞くと患者は花を植える為にシャベルがいるという説明をする
2013-02-26 08:13:34自分が自分と認識する場合、それは意識をしている自分までで無意識の領域は自分とすら意識できない。でも無意識の領域は結構大きく、この実験にあるように無意識で行動が起きる。そして人間はその行動を見て後で、行為の意味づけをするような所があると書かれている。
2013-02-26 08:15:38競技をする時細部から離れてぼんやりすればするほど動きは滞りが無くなっていった。昨日、卓球の平野さんと話をした時もぼんやり眺めた方が自然に反応すると言っていた。スポーツのような高速で反応しなければならないものは、意識的な自分より無意識な自分に身体を明け渡した方がうまくいく事が多い
2013-02-26 08:17:32【終わり】論理的な答えより直感の方が越えているのではないかと思う時がある。もしかして直感とは無意識の自分の論理的帰結なのではないか、そんな事を考えた。私の中にあるもう一人の私をどう扱うか。僕はそこに競技の鍵があるのではないかと思っている。
2013-02-26 08:22:27ありがとうございます。そうです脳梁でした RT @totchanbouya: @daijapan それ、「脳幹」ではなく「脳梁」ではないかと
2013-02-26 08:22:48ありがとうございます RT @mototchen: 関連する以下のまとめを作成していますのでお知らせします。 渡邊芳之 @ynabe39 先生による、われわれは自分の行動のほんとうの理由を知らないことについて http://t.co/f7P49eY2Ry
2013-02-26 09:19:09