Akira Tsuboiさんが語る福島共同診療所報告会レポート

Akira Tsuboi(@1876to1945)さんが語る福島共同診療所報告会レポート(at 03/10/2013)、松江寛人氏、杉井吉彦氏の発言等
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Akira Tsuboi @1876to1945

2013年3月10日、福島共同診療所の報告会に参加した。この時の見聞をすこしず忘備録をかねて呟いてゆくが、甲状腺の状態について実際に診療した医師からの発言を重要と思われるのでここでおおまかに書いておく。元国立がんサンター放射線診療医科長の松江寛人氏、杉井吉彦氏の発言。―

2013-03-13 15:44:22
Akira Tsuboi @1876to1945

―診療所にやってくる親御さんの多くの方が、県側の甲状腺エコーのやり方の「速さ」を口にするのだという。「15秒ぐらいで終わってしまったんです」、医師としては信憑性を疑わざるを得ない印象を口にする方もいらっしゃるらしいのだが、松江医師に伝えられる発言を総合すると5分程度であるらしい―

2013-03-13 15:47:51
Akira Tsuboi @1876to1945

―彼の放射線医療経験からすると、それは速すぎるのだという。「わたしの経験から言うと、15分がめやすなんです。」松江氏は言った。画像を見ながらつぶさに見てゆき、問題がなさそうなら15分より少し前に判断をつける。問題がある場合、5分程度長くなる。―

2013-03-13 15:51:23
Akira Tsuboi @1876to1945

―語られる5分程度の観察で、こまかなのう胞の有無を判別しているとは思えない、そう松江医師は言うのだった。ここで問題になるのが、こまかなのう胞の問題だった。「大きいものが二つ三つある、それならまだいいんです。」松江氏は言った。「こまかなものが泡のようにあるケースが見受けられます」―

2013-03-13 15:54:03
Akira Tsuboi @1876to1945

―松江氏は言った。それがなにを意味しているのか、松江氏、そして杉井氏もこの問題について同じ発言をされた。杉井医師の言葉を借りれば「ハチの巣状」になった甲状腺の問題。それは蓄積したヨウ素が甲状腺の構造を変えてしまっている可能性がある、というのだった。―

2013-03-13 15:56:31
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行−2013年3月9日、じぶんは仕事が夜勤で、仕事場に福島へ向かう装いで向かった。17時にはじまる仕事の直前に福岡の避難生活で世話になった知人と会い、自分の近況を話し、半年振りに上京したこの知人とせわしくなく別れた。幼少を過ごした会津の冬は知っているが、福島市は未経験だった—

2013-03-14 08:43:47
Akira Tsuboi @1876to1945

—世田谷は本式に訪れた春の陽気であたたかく、福島の寒さに合わせた厚着の服の中で、自分の身体は汗ばんでいた。絵を入れた1m半の筒、カメラ、服を詰め込んだリュック。N-95マスク、ガイガーカウンタ—、医師とある福島市の方にお渡しする資料。職場の人間には何事かと思わせる出で立ちだった

2013-03-14 08:49:45
Akira Tsuboi @1876to1945

—3.11から二年を経過した3月11日に、福島市で原発に抗議するデモが開かれる予定だった。11日は月曜だった。仕事をもつ人間に平日に動く事はむずかしい。前日の10日、日曜に日をずらし、日本のあちこちでは東京のものを含めて抗議集会が催されていた。—

2013-03-14 08:54:43
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島市でもそうした日をずらしての集会案が出ていたが、やはり3月11日というその日を無為に過ごしたくないという思いから、あえて平日のその日に、福島県庁を通過するデモが企画されたのだった。企画者は、福島市の女性だった。2011年12月6日から始められた経産省前テントの発起人だったー

2013-03-14 09:00:45
Akira Tsuboi @1876to1945

—テントはいくつかあって、そのうちのいわゆる女性テントというのがある。人間が産まれて来る日数、十月十日の間、経産省前の場所を占めるということをその女性は始め、福島市からそのテントへの往復生活をしていた。自分は2013年の3月11日を福島市で過ごす事にした。—

2013-03-14 09:07:10
Akira Tsuboi @1876to1945

-3月9日当日の夜勤は大禍なく、調べてみると一旦家に帰る時間はなかった。新宿と池袋で二度乗り換える必要があったのだが、懸案としてはなにぶん夜寝ていないものだから車中で寝てしまい乗り換え駅をやり過ごしてしまうことだった。一度そうして寝過ごすと14時の福島市でのに会合に遅れてしまう―

2013-03-15 13:28:13
Akira Tsuboi @1876to1945

―そうしてみると緊張の度合いが増してきて、結局行きの道程は寝ずに済んだ。うとつきながら見た車外は、大宮の手前あたりで空が明らかに粉っぽい、黄色じみて見えていた。新幹線に乗り込むと、禿頭の肥満したスーツ姿の男の脇がひとつだけ空いており、自分はそこに収まったのだった。―

2013-03-15 13:32:58
Akira Tsuboi @1876to1945

―後ろの席から泣く赤子をあやす母親の声がし続け、禿頭の男はアサヒスーパードライの大缶をひっきりなしに買いこんでは小便に立つ。どうにも眠ることができなかった。当日は大風が吹き、郡山の前になると新幹線は速度を落として運行せざるを得なかった。高速で流れてゆくいつも車外の様子は、―

2013-03-15 13:37:44
Akira Tsuboi @1876to1945

―そのおかげで自分の前に晒されるようにして流れてゆき、あらためて、一面の枯れた冬の田が広がるのを見るにつけ、街のありようの落差というものを感じざるを得ない。出立の3日ほど前にふと思い出して家の前の放射線量を測ると0.16μ/hだった。宇都宮でその母親は降り、自分は席を移動した―

2013-03-15 13:42:06
Akira Tsuboi @1876to1945

―二人がけの席にひとり座ることが出来、自分はガイガーカウンターを出して窓の淵に置いた。新白河で0.17だったが、郡山の手前の田園あたりに来ると0.33まで上がり始めた。郡山につくと、件の禿頭の男は降車した。駅では0.22まで下がる。曇天下の郡山の道は雨に湿っていた。―

2013-03-15 13:48:25
Akira Tsuboi @1876to1945

―傷をつけるように、窓に落下してきた雨粒が軌跡を残していた。飯を買いこむ時間も無く、車内販売のカート呼び止めた。花粉用の色付きの眼鏡の上に度入りの眼鏡をかけていた。足早に流してゆく女性販売員を呼び止め、物品をみようとするのだが、からだばかり残してカートは後部座席の陰で見えない。―

2013-03-15 13:53:51
Akira Tsuboi @1876to1945

―「ちょっとものを見せてもらってもいいですか」。女性販売員は”ほとんどおつまみしかありません”という言葉を繰り返しなかなか見せてくれないので言い、ポカリスウェットと、マカデミアナッツを買い、喰った。そうこうするう新幹線は福島到着をつげ、自分はN‐95を装着してホームに降りた。―

2013-03-15 13:58:19
Akira Tsuboi @1876to1945

福島行-三日前に予約していたとあるホテルは、ほぼ駅と隣接してあり、会場のコラッセふくしまもさほど遠くない場所にあった。この建物の五階の一室を目指して歩く途中で立ち止り、放射線量を測ると0.55μ/hあった。昨年の12月から当然ではあるが何も変化はなかった。―

2013-03-16 10:49:36
Akira Tsuboi @1876to1945

-日曜日ということもあり、駅前は三々五々人間が歩いている。花粉のせいもあり、マスクをしている人間が散見される。12月の時点でそうした人間はごくわずかだった。件のコラッセふくしまの五階の一室にむかうと人が集まってきており、総計で60席の椅子がその部屋に並べられていた。―

2013-03-16 10:52:23
Akira Tsuboi @1876to1945

-やがてその席はすべて占められ、座れぬ人間で部屋は充満した。東京のやわらかい風とは異なり、福島の冬風はやはり厳しかった。しかしそうして人が満ちてみると場は熱をもって、来ている物をほぼ脱がざるを得なかった。福島共同診療所の三カ月をたった段階での報告会。自分は一人の医師を探していた-

2013-03-16 10:56:00
Akira Tsuboi @1876to1945

-17日、丸木美術館の自分の展示期間中にじぶんが設けたトークイベントにその医師が出席してくれることになっていた。自分はまだお会いしたことが無く、顔も知らなかった。隣に座る方にその医師の名前を話して知っていると問うと、知らない、とのことだった。受付に確認すると未着だった。―

2013-03-16 10:58:52
Akira Tsuboi @1876to1945

-この会合の後すぐに診療所の医師たちは会議に入るため、会合の前の時間に折衝してくれ、と頼まれていた。自分は、当日の趣旨と時間割、もろもろを紙にして持って来ていた。結局医師と折衝は持てず、じぶんはもう一人の発対面の方に紙を手渡した。その日司会をしていたその女性は元福島市民だった。-

2013-03-16 11:01:47
Akira Tsuboi @1876to1945

-福島の一般現地人の方に来ていただくことがイベントの趣旨だった。さる筋から紹介されたその方は3.11時福島市におり、現在は娘さん二人と米沢に避難されている。福島市での仕事は続行され、米沢と福島市の往復生活をされている。長男さんは、転校を拒否され、だんなさんとともに福島市にいるー

2013-03-16 11:05:50
Akira Tsuboi @1876to1945

-家族が分断されながら生活されている。何の党派性はももたぬ一般人の彼女は、こどもさんたちの受験もむかえ、そうとうに色々と緊張を強いられる時期に遭った。そのために参加の交渉をはじめたのもぎりぎりまで遅らせていて、結局直接お会いして、意向を聞いてみることにしたのだった。―

2013-03-16 11:08:18
Akira Tsuboi @1876to1945

-その日の司会に気を張っいるであろう彼女に、趣旨を書いた紙を渡した。席に戻り、線量計を消そうといじくる隣の女性に素性を聞いてみると、最近静岡の伊豆半島西側で保養支援活動をはじめた方だった。はじめたはいいが運営の仕方がわからず、やはりつい最近こども福島ネットワークに参加したという-

2013-03-16 11:16:22
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