質が変わっていることだけは確かですけど質が下がっているのかどうかは判断しにくいです。もちろん「勉強」は確実にできなくなってますが。RT @75souko: でしょう?でも学生の質は明らかに下がってる。
2010-09-07 10:51:39大学に行くことが収入の増加につながらないならなおさら貧困層の進学率を上げねばならない理由はないですよね。そもそも「教育機会の均等」が叫ばれるのは教育格差が収入格差につながると考えられているからで,そうでないのなら大学など行かずに早く働く方が格差是正にプラスとなるかもしれない。
2010-09-07 10:56:23大学に行っても就職できなくなったことで,初めて日本の大学は大学のほんらいあるべき姿に近づいていくのかもしれない。まあ大変なハードランディングにはなるだろうけれど。天下国家を論ずる時には自分の雇用のことはあえて考えないことにする。
2010-09-07 10:59:40とはいえ大卒者の就職難の影には高卒者のもっと深刻な就職難があるわけで,進学せずに早く働くという選択肢もなくなっている。だから究極的には今朝から論じてきたことは教育の問題ではなくて雇用や経済の問題。
2010-09-07 11:04:34@_5H 経済発展で学力的に進学できる人は全員進学できるようになったこと,その「進学できる」のレベルが大学の増設によって著しく下がったことが問題なんでしょうね。私らの頃は私より頭がよくても大学に行かずに就職する人が身の回りにもたくさんいましたから。
2010-09-07 11:07:17でも昔の「勉強しない大学生」の勉強しなさ加減は今の学生では想像もできないと思います。それでも卒業できたし。今の大学は昔よりずいぶん厳しいんですよ。RT @75souko: ですね。 RT @atsushitoyoda: 出来の良いのと悪いのが2極化している気がしますが。
2010-09-07 11:16:53「日本人の主食はコメだ」という人に「いや私はパンが主食だ」と言うことは無意味なだけだが,「私はパンが主食なんだから日本人の主食がコメだというのは間違いだ」というのは明らかに間違っている。
2010-09-07 12:37:55@ynabe39 本来的にいえば、親の収入如何にかかわらず高等教育の機会を広く与えようというのを理想としているのですから、大学卒業後の収入云々(しかも単なる統計数字)をもって進学率を論じるのはおかしいと思います。
2010-09-07 17:15:42私が問うているのは「それがなぜ理想とされるのか」なんです。それは「卒後の収入」と無関係なんですか? RT @herosugar 本来的にいえば、親の収入如何にかかわらず高等教育の機会を広く与えようというのを理想としているのですから....
2010-09-07 17:18:41@herosugar 大学に行くことが収入に結びつかないなら,大学進学の機会に不均等があってもそれほど社会的な問題にはならないと思います。貧しいと進学できない,学歴がないともっと貧しくなる,ということを防ぐための教育機会均等なんじゃないでしょうか。
2010-09-07 17:25:03@ynabe39 「大学進学=学者になること」ではありません。高等教育の機会均等は、言うまでもなく、各個人の能力を生かすためです。それは個人の収入が高いとか低いとか言った矮小化された話ではなく、社会全体の理知的レベル、あるいは活力の観点から議論される話です。
2010-09-07 21:06:52@herosugar 「各個人の能力が発揮される」「社会全体の理知的レベル,あるいは活力」などは何で判断されますか? これまで大学教育がそれらを実現してきたということは,何によって証明されますか?
2010-09-07 21:12:01@herosugar 大学に進学するひとりひとりの学生が「社会全体の理知的レベル,あるいは活力」の向上のために大学に来るのですか? 私が今朝からずっと論じているのは「大学進学の費用を個人負担する」ことについてです。社会のために必要であれば費用は社会が負担すべきではないですか?
2010-09-07 21:14:15@ynabe39 「学問=収入のため」でもありません。理想をいえば、各人の資質に応じてその能力を発揮できることを目指すものでしょう。わかりやすい話、天才的数学資質を持った人が、親の貧困故にその能力を見出すことが出来ずに終わるなどということは、その社会の大きな損失でしょう。
2010-09-07 21:16:18@herosugar ですから「各人の資質に応じてその能力を発揮した」ことの結果は一般に何ですか? なお「天才」の例は「わかりやすい話」ではなく「不適切な特殊例」です。
2010-09-07 21:20:19@herosugar 何度でも言いますが,大学に進学してくる「個人」は,社会のために大学に来るわけではありません。何らかの意味で自分のために来ます。それと全体として大学や大学教育が存在することが社会に与える意義とは別のもので,混同すべきではありません。
2010-09-07 21:22:19“@ynabe39: 「『各個人の能力が発揮される」『社会全体の理知的レベル,あるいは活力』などは何で判断されますか?」 それは全くトートロジ的な質問で、その答え、あるいはその目標のために今迄論じている訳です。
2010-09-07 21:50:32@herosugar トートロジーというのは「恒真命題」のことで,質問と答えとの関係が絶対に正しくなければいけません。答えの与えられない問いがトートロジーであることはありません。
2010-09-07 21:53:46