• iwri
    松岡正剛氏の千夜千冊「モモ」( http://bit.ly/aKQEXN )と「エンデの遺言」( http://bit.ly/abH6kR )を読んだ。流石に松岡氏のまとめは見事だが、僕には不満点が色々あった。
  • iwri
    端的な事実誤認を指摘しておくと、エンデは6歳の時にシュタイナー学校に入ったのではない、シュヴァービングのヴィルヘルム小学校だ。ただ、小学校の担任のリーゲル先生がアントロポゾーフだっただけだ。
  • iwri
    エンデとシュタイナーとの関わりは、父・エトガーの間接的な影響を考慮に入れたとしても、エンデ自身が語るように25,6歳の頃、自ら「歴史兆候学」と「自由の哲学」を買い求めた時点を始点にすべきだ。
  • iwri
    もう一つ、僕としては「誤読」と言わざるをえないのだが、「鏡の中の鏡」の主人公はモルではない。「許して僕はこれより大きな声では喋れない」と「冬の夕暮れ、雪におおわれたはてしない…」で示唆されているのは、むしろ一つの円環構造だ。
  • iwri
    僕の不満点の一つは、松岡さんは今年は精力的に資本制について取り上げているので(僕も色々参考にしている)、その観点から見ると仕方が無いのかもしれないが、あまりに経済思想の側面からエンデを捉えすぎている、つまりエンデの見かたが(モモ以外の作品評価のレベルで)一面的すぎるとは感じた。
  • iwri
    ちなみに、エンデ関係の本だと、社会有機体三層論となっていて松岡さんもそれを踏襲しているけれど(子安美知子さんも三層としている)、原語はDreigliederungなのでシュタイナー関係の本のように三分節論という方がイメージとしても正しい気がする。
  • iwri
    「…そもそも、始めることのできる唯一の点は、そこにしかありません。つまり精神生活において、です。出発点にできるのは、いつも精神生活です。そこで新しい意識を創造する試みです。私が本を書くのも、まさにそれを願ってのことなのです。」(エンデ:エンデと語る)
  • iwri
    先程の引用が、社会三分節運動の困難について子安さんと語ったとき、子安さんが「内面の変容」が重要ではないか、とエンデに問いかけた時のエンデの答え。僕はこの点は、エンデを理解する上で絶対的に重要だと思う。
  • iwri
    久々に、エンデマニアらしいツイートをしたwwちなみに、エンデの経歴についてはペーター・ボカリウスの伝記「ミヒャエル・エンデ 物語のはじまり」を参照しています。
  • iwri
    「鏡の中の鏡」について、ここ2日ほど多少のアイデアを思いついたので、似たようなものがないかCiniiで検索したけどなかった、というか、モモ論ばっかりだった。一つ、「鏡の中の鏡」論があって、それはまあ面白そうだったけど(全部読んでない)。
  • iwri
    僕の最近の考えでは、端的に言って「鏡の中の鏡」はボルヘスの「Everything and Nothing」で語られるシェイクスピア像のような構造を持っているのではないか。ちなみに、ボルヘスのこの作品は、エンデが影響を受けた本を選んで収録した「私の読本」にも入っている。
  • iwri
    エンデ関係の論文をCiniiで検索したりしているのだけど、切り口はともかく、あまり思想的な思考枠組みとかは採用されないのね。趣味人たる僕は、基本的にはエンデの語ったことを参照しはするけど、アカデミックには思想的強度にかけたりしないのだろうか…。
  • iwri
    エンデがシュタイナー同様に重視し、研究したと言われるフリードリヒ・ヴァインレープについてのウェブサイト。こういうの読めるようになればねぇ。独文界隈のエンデ研究者は、こういうの重視しないみたいだけど、僕は重要だと思う。 http://bit.ly/9ygCtM
  • iwri
    おそらく、エンデの言語に関する考え方は、ヴァインレープに負っているところが多いのではないか、と推測している。数は少ないだろうが、日本のエンデ研究者がここに着目しない理由がわからない。
  • imaishi7
    貴重な情報ありがとう @iwri  フリードリヒ・ヴァインレープ
  • iwri
    @imaishi7 いえ、とんでもないです。ヴァインレープについてはエンデも殆ど言及していたことがなくてボイスとの対談くらいなのですが、ボカリウスの伝記によれば、かなり詳細に研究していたようです。対談でヴァインレープの著作を通して、聖書の概念に初めて納得がいった、と言っています。
  • iwri
    そーいや、松岡正剛さんが取り上げたせいか、何やら「エンデの遺言」が再評価?されてるっぽいが、「警鐘」の方はあんまり話題に上がらないね。こっちは具体例集みたいな感じで、「遺言」とはちょっと違うけど。
  • iwri
    対談等はともかく、エンデが言ってるからって「モモ」を貨幣の比喩だけで読むのは、作品の理解として貧しくないだろうか、と最近考えていたり。
  • iwri
    あと、検索した論文とか読んでると、エンデの言葉を大量に引いてたりして、別の理論枠組みを使ったりしてない論文とかあるけど、それってエンデの言いたいことと見せかけた権威付けだよね、とか。どうせなら、エンデと無縁の理論とか援用してやってくれた方が面白い。
  • iwri
    僕は最近考えるんですが、多分本質は見えないんですよ。「鏡の中の鏡」と同じ。もしくは、ボルヘスの「Everything and Nothing」 RT @Geisteswelten: エンデって、何だか側面的に捉えられるコトが多いわよね。本質はもっと別のトコにありそうなのに。で…
  • iwri
    @Geisteswelten つまり、エンデの目指したSpielの芸術の体現がその「見えなさ」で、側面というより自分自身(読む人)の鏡像なんじゃないかと。
  • Geisteswelten
    @iwri 見えないトコロにこそ本質がある?それを読み取るのは至難の業。
  • iwri
    @Geisteswelten そうですね。ボルヘスはシェークスピアはすべての登場人物の中にいるが、どこにもいないみたいな話を書いてますけど、そんな感じです。これは、僕が最近考えてる「鏡の中の鏡」の構造的なイメージです。
  • iwri
    そういえば、僕はなんで大学時代キルケゴールなんて読んでたのか不思議だったけど、思い返せばエンデが「誘惑者の日記」に言及していたからだったな。
  • iwri
    「老化するお金という概念が私の本『モモ』の背景にあることに気づいたのはあなたが最初でした。」(エンデの遺言)。なんか僕は覚え違いをしていたようなのだけど、エンデは背景って言ってるんだね。それとも、「モモ」とお金について他の対談かなんかで読んだのかな。流石に記憶にない。
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