うちの親伝説・GHQ

終戦後の日本。占領軍GHQで働くことになる。そこで初めて触れる「本物のアメリカ」は父にとって衝撃的だった。 時代順では「うちの親伝説・芋倉」「うちの親伝説・渡米」よりも前に来ます。
105
studio ET CETERA @studio_etcetera

【向山】うちの親伝説・GHQ編、今夜スタートです。戦前からアメリカと英語と英文学に憧れ、戦時中はそのアメリカを「敵国」として受け入れることを余儀なくされ、戦後に米軍GHQで通訳として焼け野原の東京を駆け回った、今年九十歳になる父の若き日の物語です。

2013-04-05 16:56:26
studio ET CETERA @studio_etcetera

【向山】親から話を聞いて、資料を集めて、ある程度書きためているのですが、基本的にリアルタイムでツイート連載していきます。どのくらいの長さになるか分かりませんが、今までで一番長くなりそうので、春の数週間、かつての日本に思いを馳せながら、気長に気楽に付き合ってもらえたら幸いです!

2013-04-05 16:56:43
studio ET CETERA @studio_etcetera

*この連載は父と母とその周囲の人から伝え聞いた話を元に、ぼくが再構築したものです。実話ですが、細部に間違いがあるかもしれません。また、一部の場所・人物の名称は変更しています。御理解の上、御了承下さい。

2013-04-05 20:31:09
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ1】少年の頃、父は仕事で米国と日本を行き来する三人の伯父の家に遊びに行くのが好きだった。伯父が持って帰ってくる英語の雑誌を見るのが楽しみで、伯父から聞く異国の話にいつもワクワクしていた。――時に昭和10年。戦争の足音が近づく日本でのことだった。

2013-04-05 20:29:24
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ2】伯父たちは、父がただ雑誌の写真を眺めているものだと思っていた。でも、ある時、父が伯父に「ボブスレーって何?」と聞いたことから、伯父は驚く。「おまえ、この記事が読めるのか?」と伯父は聞き返した。父は内容を知りたい一心で、辞書片手に文字を追っていたのだ。

2013-04-05 20:29:35
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ3】長い時間をかけて何が書いてあるのか解読したものの、「ボブスレー」だけは辞書に載っておらず、何か想像もできなかったので、伯父に聞いたのだった。伯父たちは多少驚きながらも「そんなに好きなら、いつかアメリカに行くといい」と父に告げる。父は大きく目を見開いた。

2013-04-05 20:29:45
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ4】この雑誌の向こうへ行けるかもしれない。まるで夢のような話だった。人生の大きな目標が決まったような気がした。――しかし、太平洋戦争の近づく当時の日本で、それが限りなく不可能に近いことだと、父はまだ知る由もなかった。(つづく)

2013-04-05 20:29:56
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ5】できたばかりの「羽田飛行場」の存在を知った父は、いつしかその名前に入った「羽」の一文字に憧れるようになった。その「羽」を手に入れれば、世界へ旅立てる気がした。しかし、思いと裏腹に、学費が払えず、父は商業学校(現在の中学)を中退せざるを得なくなる。

2013-04-06 21:46:15
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ6】父は勉強が好きだった。特に本が大好きだった。そんな父にとって、仲のいい級友と別れ、学校を辞めて働きに出ることは辛かった。思い描いていた道はあまりにもあっさりと目の前で崩れ去り、衣食住のためだけに必死に働く毎日が始まった。

2013-04-06 21:46:28
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ7】それでも、アメリカがあきらめられず、父は伯父の会社に勤めることになる。それはただの工場だったが、そこの製品はアメリカへとつながるものだった。縋る思いで父は働いたが、アメリカの排日政策は募る一方で、細いわずかな道さえも無情に閉ざされていった。(つづく)

2013-04-06 21:47:22
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ8】伯父は父にこう告げた。「人が一年でやることを十年かけてでもやれ。おまえならできる」それを信じて、父は必死に働き、一ヶ月一円の現金給与を頼りに、再び商業学校の夜学に通い始める。それも途切れ途切れに数ヶ月ずつ、いくつもの学校を渡り歩くというものだった。

2013-04-07 13:36:39
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ9】英語の勉強を続けた。でも――戦争はもう、すぐそばまでやってきていた。昭和18年、「学徒出陣」で徴兵検査を受けた父は、脚気と乾性肋膜炎で戦場に行くことを一度は免れる。しかし二年後、6月1日、追い込まれた日本は、徴兵を延期した者も戦局に動員することになる。

2013-04-07 13:36:50
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ10】父は徴兵され、東部第八十八部隊に入営した。アメリカはいつの間にか「敵」になっていた。軍隊で待っていたのは雑誌の世界とはほど遠い――あごが外れるほど殴られ、罵られ、理不尽な仕打ちを受け、靴の中に血が溜まるほど行軍させられる毎日だった。(つづく)

2013-04-07 13:37:01
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ11】戦地へ赴く日が近づく中、父は6キロ行軍に先立つ斥候に任命される。その途中、あまりの苦しさに近道をしようと、川を横切って対岸に出た。あまりの疲労で父はたまたま川岸で畑仕事をしていた家族のやかんの水を勝手にごくごくと飲み干してしまう。

2013-04-08 09:42:19
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ12】走り去ろうとした父が振り返ると、その家族は自分に向けて手を合わせていた。若い娘さんも必死に祈るように手を合わせていた。「そうか。自分はもう仏さんなのか」と感じて、これから国のために死ぬのだと思うと、不思議なほど平穏な気持ちになった。

2013-04-08 09:42:31
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ13】第一線への出動迫る中、昭和20年8月14日、突然、父たち学徒初年兵は「明日召集解除する」と告げられる。夕飯のあと、鬼古参兵から「何か歌ってくれ。軍歌でなくていい」と言われ、一人ずつ故郷の歌を歌うと、上官は神妙な顔で拍手をした。

2013-04-08 09:42:43
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ14】翌15日朝、いきなり「おまえたちは今日から自由だ」と言われ、父たちは「娑婆」に解放された。父はその「自由」という聞き慣れない言葉に違和感を覚えながら、壊滅した甲府から小平へ避難していた家族の元へと帰る。何が起きたのか、分からなかった。(つづく)

2013-04-08 09:42:58
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ15】父が家に辿り着いたのは午後一時。その日の正午に敗戦を伝える天皇陛下の玉音放送があったことだけは知っていた。しかし、その内容を聞く力さえ残っていなかった。妹に「何か食べさせてくれ」とだけ頼み、久しぶりにちゃんとした食事をとった。

2013-04-09 09:45:06
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ16】故郷山梨の町は空襲で焼けていた。18歳で嫁に出た妹は、敗戦のその日、久しぶりに帰ってきた英語が得意な兄に、コーヒーを沸かす機械を見せて「これ、パーコレーターというんだよね?」と聞いた。父は「そうだよ」とだけ答えたあと、泥のように眠った。

2013-04-09 09:45:29
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ17】夜になって目を覚ました父は、電灯の光に驚いた。それまで灯火管制で黒い布のかけられた電灯が煌々と明かりを放っているのを見て、それが希望の灯に見えた。「また勉強できる。家族と一緒にいられる」そう思うと、やっと生きている実感が戻ってきた。(つづく)

2013-04-09 09:45:45
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ18】戦争は終わったが、衣食住すべてが足りなかった。幸いにも両親・兄弟がすべて無事だったので、食料を生産するため、家族で必死に武蔵野の大地を耕し始めた。道具もお金もなかった。残っていたのは、頭の中の英語の知識だけだった。

2013-04-10 15:27:27
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ19】敵国としての戦争を経験したあとも、父の英語への、そしてアメリカへの憧れは消えることなく大きくなっていた。アメリカに行くことなど、もはや想像もできない夢となっていたが、それでも父は農作業の傍ら、学校の夜間部に戻り、再び英文学の本を読み始めた。

2013-04-10 15:27:49
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ20】朝から午後三時まで畑で農作業をして、そのあと、夕方から学校に通い、夜の十時頃まで学校で勉学に励んだ。体は辛かった。でも、学問は楽しかった。学べるだけで幸せだった。きつくても好きな時に休憩できる。軍隊に比べれば、それだけでも天国だった。(つづく)

2013-04-10 15:28:20
studio ET CETERA @studio_etcetera

【うちの親伝説・GHQ21】初の赤ちゃんが家族に誕生していた。まだ生まれて間もない甥っ子がかわいくてかわいくて仕方がなくて、なんとしても家族を飢えさせるわけにいかなかった。父だけではなかった。家族みんなに、妹の赤ちゃんが未来の象徴に見えていた。

2013-04-11 12:41:19
studio ET CETERA @studio_etcetera

【GHQ22】畑を耕しても、肥料がなかった。化学肥料など存在せず、人糞が最高の肥料の時代だった。父は破棄された近くの旧陸軍経理学校の共同便所に具合良く発酵している「堆肥」がたくさん残されている事に気が付くが、学校は米軍の管理下にあった。

2013-04-11 12:41:29
1 ・・ 5 次へ