梶原一騎の方法論-ジャンプマンガにもふれて

梶原一騎の方法論と現在のジャンプの限界について。あるいはmantrapriさんの「なんでいっちゃん考えられて書かれた梶原作品が、熱血なんて考えられてない言説によって消費されなきゃならないんだよ」という義憤。
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mantrapri @mantrapri

マンガ史の中で云々言っても、結局西洋文学史にアプローチしなければ根本的なところでの梶原一騎分析はできない。ましてや構成における超克もできないんだろう。結局のところ。

2013-05-20 19:39:04
mantrapri @mantrapri

梶原一騎の「人物を心情やイデーの象徴として描きながら、ロールでもある」という作劇法は、文学から援用が多い。 結局、漫画史の中だけで通じるキャラクター論では、梶原一騎の焼き直ししかできないし、深化はしない。

2013-05-20 19:42:07
mantrapri @mantrapri

ということでシェイクスピアは基本として、ユゴーとかバルザックとかフランス文学史も抑えないと梶原作品のメカニズムは分からなそうだし、キャラクター論といっても印象批評に終始しそう。

2013-05-20 19:46:55
mantrapri @mantrapri

夕焼け番長以来見られ、牧場によって集大成する。善意か悪意か、ねじくれた形で主人公の首を閉めつづける「牧場的なモノ」の執拗さはユゴーあたりから来ている気もするし…。

2013-05-20 19:48:19
mantrapri @mantrapri

たとえば牧場的なモノが延々と続いた中で出てくる「反牧場的存在」の岩清水くんだって、従来の評論では誠の恋のライバルとして捉えられているだけに見える。あれは逆死亡フラグともいえる存在で、登場すれば必ず奇想天外な方法で愛と誠を助ける、不可解なデウスエクスマキナなのに。

2013-05-20 19:51:50
mantrapri @mantrapri

本人の不祥事やスポ根の文脈で梶原語りを繰り返すと、人物に課せられた緻密なロールと、伏線を作るのではなく蘇らせる空前絶後の天才・梶原一騎の才能というものが取りこぼされつづけるままだと思う。 そして新人たちが作劇の際に梶原一騎という豊穣なる泉から魂を組み上げることを忘れていく、と。

2013-05-20 19:56:39
mantrapri @mantrapri

「梶原一騎より文学的素養がないのに、容易くスポ根語りに落とし込んでんじゃねえ」と思う。

2013-05-20 19:58:21
mantrapri @mantrapri

梶原一騎的なマンガの伏線の作り方で行けば、作品の完成度は上がるが、作品の耐用年数に限界が生じる。それは長くて20巻ほどだろう。それ以上の延命は、おそらくできない。 だから現在のマンガの多巻化には対応できないとも思う。でも、主人公の主人公としての強度って、多分それが限界だよ。

2013-05-20 20:38:25
mantrapri @mantrapri

これを超えてしまうと、主人公を脇役として扱う側面が増えていく。中心にいさせつづける限界は20巻。だからドラゴンボールも20巻のベジータ戦で悟空の強度は終わり、ナメック星の叙述は悟飯やベジータに移る。

2013-05-20 20:40:43
mantrapri @mantrapri

21巻からのドラゴンボールは構造としてベジータによって延命が図られている。キン肉マンも黄金のマスク編以降はトーナメントという多重主人公で、延命をはかっている。

2013-05-20 20:41:51
mantrapri @mantrapri

ジャンプ作品の多くは主人公の保険を、クローンを用意しながら20巻以降の延命を図る。最近は、最初から主人公のクローンを複数配置した形で、延命前提の物語作りをする。なので新人たちは主人公のクローンが序盤で複数用意されたマンガを通常のものとして学び、コケる。

2013-05-20 20:44:04
mantrapri @mantrapri

バクマンでは「不本意な長期連載はしたくない」と言っているが、もう少し不本意な長期連載では主人公のキャラクター強度が落ちるというところまでふみこんでほしかった。それは作者と編集者の問題だけではなく、ドラマツルギーの問題でもある、と。

2013-05-20 20:46:36
mantrapri @mantrapri

現在のジャンプで少年マンガらしさを蘇らせるみたいだが、果たして、梶原一騎のキャラ強度を蘇らせるのか?また、主人公のクローンを用意すること前提の作劇を改めるのか?

2013-05-20 20:48:28
mantrapri @mantrapri

主人公のキャラ強度より先に劣化するのは「主人公の目的」である。これは抽象的なものにして、その都度解釈がえをする。 巨人の星なら、「巨人の星を目指す」という目的は抽象的で、その中には甲子園も、プロ入りも、優勝も、打倒川上野球も、なんでも入る。これが「母を探す」とかだと、もたん。

2013-05-20 20:55:58
mantrapri @mantrapri

いや、ある意味もつかも。たとえば母を探し終えた後、母はとんでもない外道だったことが判明。俺は「実態の母ではなく、心の母を探す」と抽象的な方向へシフト。そして一通りそれが終わったところで「母は本当は善人かも」として、和解という名の母を探す。これで、耐久年数は倍はもつ。

2013-05-20 20:58:35
mantrapri @mantrapri

で、今のマンガに足りないのは「最初の目的」に抽象概念を引きずり出してまでも、こだわることである。そして梶原一騎は初志貫徹の天才である。抽象概念をひねくり出しても、文字を誤読しても、初志から、次の目的を引きずり出す。

2013-05-20 21:00:27
mantrapri @mantrapri

この目的に、文字に、概念に拘るところに梶原作品の他にない美しさがあるし、拘りがある。 そしてこれを模倣したジャンプ作品にはかくまでの「目的への執念」がない。状況に対応する形で目的は変わるか、矮小化されすぎてしまう。

2013-05-20 21:02:43
mantrapri @mantrapri

キャラと初志へ拘るためには、最初にセッティングしたこの二つをあらゆる修辞をもっても延命させるテクニックと概念への拘りが必要になる。梶原一騎の文学的素養とは、その二つへのあくなき拘りで、かつそれが一話完結の作品でなく、終わりへと向かう、引き返せない作品で貫徹させ続けたところにある。

2013-05-20 21:06:39
mantrapri @mantrapri

で、目的の耐久年数を増やすためには、その都度別のストーリー回しと飾り付けと落とし方が必要になる。梶原一騎はこれわ自分のオリジナリティはおろか、既存の名作から引っ張ってきている節がある。パターンを漫画から探してきているのではなく、文学から持ってきている。

2013-05-20 21:09:18
mantrapri @mantrapri

しかし現今の策品の多くは目的を新登場のキャラクターに頼りすぎている。新しいキャラクターが起こすハプニングによって目的が作られているパターンが非常に多い。 梶原作品もそうなのだが、主人公の人格ではなく、目的との化学反応を起こすことを、けして忘れない。

2013-05-20 21:11:25
mantrapri @mantrapri

梶原作品の新キャラは、常に主人公の「目的」との対立を前提に作られている。そしてその対立の結果、変容した主人公の目的との対立として、次の新キャラは設置される。 梶原作品はキャラクターだけでなく、目的のビルドゥングロマンスなのだ。

2013-05-20 21:14:22
mantrapri @mantrapri

梶原作品のキャラ造形は、常に目的との関係で配置される。特にライバルにおいてそれは必然。主人公と主人公のクローンたち連合対敵という現行の主流では、目的という引力と新キャラの関係は弱くなる。なぜなら主人公と縁もゆかりも無い敵が多すぎるからだ。 だが、この作り方は決して群像劇ではない。

2013-05-20 21:17:09
mantrapri @mantrapri

そして主人公の目的とぶつかった末に敗れたものたちも、二度と出てこないわけではない。巨人の星の花形や左門は敗れても常に飛雄馬の両脇侍の如く、彼に向かってゆく。これは今の主流である「かつての敵が味方に」というものではない。

2013-05-20 21:20:17
mantrapri @mantrapri

こういうキャラ造形やキャラ配置って、今見てもあまりない。「常に戦うことで解説の役割をするライバル」。彼らはけして馴れ合うことはない。外側にいることで飛雄馬の目的を形作りつづける。

2013-05-20 21:26:00
mantrapri @mantrapri

花形や左門のような「発明」も、現今では「馴れ合わないライバル」というふうな矮小的な形でしか受け継がれず、世間には目的を外部規定する者たちという梶原独特の「キャラ造形」だとは理解されていない。

2013-05-20 21:26:44