「医学とはどんなものか」について考えをまとめた

医に関する話題で、「根拠ある数字を出せ」という発言の意味がどうも理解されないので、下敷きになる「医学とはどんなものか」を、自身の思考の整理を兼ねてまとめてみた。 エビデンスに基づく医療だとか、インフォームドコンセントにつながる話のはず。 最後に、これを書くに至った話題について、個別見解を補足として載せた。
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くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学は科学だ。いわゆる西洋医学と呼ばれていた現代医学が、他の医療と比較して特徴的なのはその一点につきる。

2010-09-18 03:09:50
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

治癒に通常三ヶ月かかる怪我が、ある治療で二ヶ月で治るようになった。五年生存率が30%の病気が、投薬で40%になった。そういった定量化できる事実のみを根拠に、効果のあるものを積み重ねていったものこそが医学だ。

2010-09-18 03:10:08
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学が信じるのは、事実に裏付けされた数字だけだ。数字がでるなら、手段の出自は問わない。漢方薬でも、臨床試験で数字が出せたものは、病院で普通に処方されている。鍼灸には保険もきく。精神状態の変化で治療効果が有意に変わるなら、牧師神父のカウンセリングだって受けさせる。

2010-09-18 03:10:17
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学には、人の温かみはない温かみでは病気は治らないからだ。いや、それによる精神状態の変化で抵抗力や痛みの耐性が上がることは数字に出ているので、効果は否定しない。が、意図して再現できないのであれば、独立した治療法として使えない。医学が追求するのは、効果のある使える治療法だ。

2010-09-18 03:10:29
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学の信頼性は突き詰めれば、数字が信頼できる事に担保されている。新薬の承認審査に限らず、評価試験は二重盲検で行われるのはそのためだ。観察者個人すら信用せず、効くのかどうかだけを正当に評価するためだ。数字の信頼性をないがしろにしたなら、もうそれは現代医学ではない

2010-09-18 03:10:35
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

信頼できる数字が出るのであれば、理由は後付でよい。それどころか、理由はより効率のよいものを探すために必要なだけで、特定の治療法単体で見た場合、必要ですらない。ジェンナーの種痘は典型だ。牛痘罹患が天然痘予防になる効果が重要で、その機構を説明する免疫学は後からついてきた。

2010-09-18 03:10:45
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学は、必要であるならば負の作用も容認する。創傷による大量出血に対し、清潔でないことは血管の結索をしない理由にならない。脳腫瘍の切除のために、聴覚の喪失などは許容される。医薬品においても、その薬効が必要ならば、重篤な副作用があっても処方される。

2010-09-18 03:10:51
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

人体は複雑なバランスで成り立っているので、ひとついじれば他所にも影響が出ることは珍しくない。それは医薬品の副作用の原因になる。バイアグラは元々心臓薬として研究されていた。その頃、ED改善は副作用だった。今ではそっちが主作用だ。血管拡張促進に違いはないのに。作用と副作用は表裏だ。

2010-09-18 03:11:00
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

同様に、医薬品が毒になることは問題ではない。薬が人体に影響を与えコントロールするものである以上、不適切な使用をすれば、取れているバランスを崩すのは当然だ。糖尿病に必須のインシュリンも、正常な人に投与すれば低血糖を引き起こし、時として死に至らしめる。

2010-09-18 03:11:07
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医薬品に副作用が見つかり、認可が取り消されること自体は問題ではない。認可の時に考えうる妥当な検査において問題のある副作用が見つからなかったならば、制度の不具合ですらない。認知されていない問題に対処はできない。認可の取り消しはむしろ、チェック機構が正常に機能した証拠だといえる。

2010-09-18 03:11:15
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

例を挙げよう。薬害エイズ問題において、非加熱の血液凝固因子製剤が販売使用されたこと自体は問題ではない。当時、エイズは知られておらず、加熱製剤という選択肢もなかった。問題なのは、エイズが確認され、加熱製剤が作られたにもかかわらず、危険と判明した非加熱製剤を使い続けたことだ。

2010-09-18 03:11:21
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

より良い医薬品が開発されたならば、あるいは見過ごせない問題点が見つかったならば、そこで使用を停止すればよく、それ以前の使用は問題ではない。より良いとは効果が強いことではない。朝顔の種は下剤として効果が強すぎ使われなくなった。かといって、使用が不合理であったとは言えない。

2010-09-18 03:11:30
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医薬品に認可取り消しが起こることは、医学の信頼度を減じない。過失による見落としなら、認可検証の仕組みや運用に問題があったに過ぎない。隠れた重篤な副作用が認可後に見つかって被害者が出て、薬の開発者が自責の念に駆られたとしても、科学的システムとしての医学の正当性とは関係がない

2010-09-18 03:11:37
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

認知されていないリスクは評価できないので考慮されない。数字として出てこないなら、それはないのと同じだ。裏返せば、数字として出てくるならば、正体が呪いでも神罰だとしても、症状には対処する。電子顕微鏡がなかった時代でも、濾過性微生物としてウイルスが認知され、対策が研究されたように。

2010-09-18 03:11:44
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

繰り返す。学というシステムが見るのは数字だ。出てくる答えも確率だ。手術の成功率90%なら、10%失敗する。五年生存率70%なら、30%は五年内に死ぬ。全てを確実に助ける保証を、医学はしない。しかし、治療の効果の確からしさは、過去の実績が保証する

2010-09-18 03:11:50
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学が数字を提供するシステムだからこそ、受ける医療の正当な選択ができる。五年生存率30%の病気をかかえて生きるか、成功率50%で失敗は死の手術を受けて完治するかの選択ができるのは、確率と結果を明確に提示できるからだ。過去の実績に担保された、信頼度の高い確率と結果が。

2010-09-18 03:11:56
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学はリスクと効果を数字で提示するシステムであり、治療方法を強要するものではない。リスクを正しく評価した上で選択しないのは自由だ。輸血の拒否が問題になるのは、法や倫理という別のシステムの要求だ。医学は単に、治療できないことによる、死亡も含めた危険性の上昇を提示するに過ぎない。

2010-09-18 03:12:02
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

重要なのは数字だ。効果の確率だ。定量的な実績だ。数字こそが有効度を評価する唯一の指標だ。そして、正しく選択するための唯一の基準だ。

2010-09-18 03:12:08
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

主題ここまで。医学とは何かという最低限の前提の話。以降は補足と個別の話。

2010-09-18 03:13:13
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

医学はシステムで、医療は現場という使い分けで書いた。医療に温かみや信頼関係は絶対必要。医療は人に依存するからミスもある。制度運用の問題による不都合もある。しかし、それらの改善にはやはり、リスクマネジメントなどの別のシステムがどのみち数字で評価し分析する。

2010-09-18 03:13:20
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

無介助分娩などの自然回帰をしたければすればいい。しかし、自然に帰るということは、医学が勝ち取ってきた結果を放棄するということを意味する。そのことにより、どの程度の割合でどのような負の結果を引き起こすかは、医学というシステムが無感動に提示する。

2010-09-18 03:13:25
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

ホメオパシーは代替医療などと呼ばれるが、現代医学に代替となるものは存在しない。医学は、効果があるのであれば、どんなものでも取り込むからだ。医学に組み込まれないということは、それが効果が定量的に証明されていないか、副作用が大きすぎるか、本当に効果がないかのどれかだ。

2010-09-18 03:13:33
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

薬効があることをうたうなら、必ず治験が必要だ。正しい手続きによる治験がされていないならば、その効果は単なる使用者の感想にすぎず、医学が認める効果ではない。それは、レメディだろうが、大麻だろうが、他国で使われている薬品だろうが、他の何かだろうが同じだ。

2010-09-18 03:13:39
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

日本における医薬品の認可は、海外の評価に依存しない。他国で認可されているものでも、国内で改めて治験を行う。薬害エイズや乾燥硬膜のように、日本の審査が問題であることもあるが、他国で同様の事態が起きていないとは言い切れない。他国の認可の正当性は、誰も担保してくれない

2010-09-18 03:13:48
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe

海外の論文や治験結果は薬効の根拠たりえない。論文を書いた人間、治験を行った人間を信用する根拠がないからだ。二重盲検が観察者をも信用しないのと同様に。少なくとも、人体に薬としての効果があるものを日本で認可するのであれば、日本の新薬試験をパスする必要がある

2010-09-18 03:13:55