菅直人の息子とゆかいな仲間たち

以前から気になってたのでnoiehoieさんが連続でつぶやいたのをまとめて見ました。
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菅野完 @noiehoie

民由合併以前、菅直人の息子グループは「青年部」とか称していろんな事務所に出入してた。その猖獗の害がピークに達したのが2003年の衆院選挙。「青年部(笑)」が各選挙事務所に出した通達は「自民党みたいだから辻立ちやめろ」「下品だからポスター貼るな」という噴飯モノの連続だった(つづく)

2010-09-18 13:50:30
菅野完 @noiehoie

(承前)そんな2003年の衆院選で俺は個人的行きがかりで民主党候補の選挙事務所で事務方を手伝っていた。親父が地方議員してて子供の頃から選挙に慣れてるっていうのも買われたのか、裏方の仕事も任せてもらった。そんな選挙戦終盤のある日、菅直人の息子とゆかいな仲間たちはやってきた(つづく)

2010-09-18 13:51:54
菅野完 @noiehoie

(承前)菅直人の息子とゆかいな仲間たちがやってきたその田舎の選挙事務所は、生憎俺以外、全員不在。事前に予定を見てないってだけでも噴飯モノだが、応接はせねばならん。招き入れて開口一発向こうから出た言葉は、「下品。甚だ下品。駅から事務所までの間、ポスター貼りすぎ」という一言(つづく)

2010-09-18 13:53:52
菅野完 @noiehoie

(承前)その時点でブチ切れてる俺は、落ち着くためにも「すみません。まず、名刺交換しませんか?」と促して名刺交換をした。みな揃って「小宮山洋子事務所」の肩書き。中には、「SFC在学中」とかいう名刺を平気で出してくる馬鹿もいた。(つづく)

2010-09-18 13:55:32
菅野完 @noiehoie

(承前)名刺交換直後、その「SFCの学生」が発した「さっきも某県某区の候補者を呼び出して、同じこと注意したんですけどね」と言う一言で俺の怒りは頂点に。その某県某区の候補者が還暦を越えた方だってことを思い出したからだ。応接室の後ろでは俺の怒りを察した皆がそわそわしだした(つづく)

2010-09-18 13:57:03
菅野完 @noiehoie

(承前)時計を見るとそろそろ候補者の街宣車が帰ってくる時間。それまでに片付けなきゃいけない。で、この怒りをこの馬鹿学生にぶつけなきゃいけない。必死にチラシ配りをしたり、辻立ちの用意をして汗かいてる皆に示しがつかない。机蹴ったろうかと思ったが、そこは自重。一計をめぐらした(つづく)

2010-09-18 13:58:31
菅野完 @noiehoie

(承前)応接テーブルの上にあった紙とペンを差し出し「私の名前をそこに書いてください」とお願いした。誰も書けない。「そりゃ書けないでしょう。名刺交換直後に名刺をしまうという無礼は指摘しませんが、書けないはずです。初対面ですもん。それと同じことを今うちの候補者はやってます」(続く)

2010-09-18 13:59:59
菅野完 @noiehoie

(承前)「うちの候補者だけじゃなく、日本全国でいろんな候補者が同じことをやってます。小宮山さんのようにテレビに出てる人は別です。仕事をやめて国政に参与せんと飛び出した無名の候補者は名前を書いてもらおうと必死に頑張っています。それを皆さんは下品だと嘲笑される。」(つづく)

2010-09-18 14:02:20
菅野完 @noiehoie

(承前)「そんな事してる限り、民主党に天下が転がってくるはずがない。あなた方は害悪以外のなにものでもない。そんな青瓢箪みたいな理屈を振りかざして全国行脚してる暇があれば、湘南藤沢キャンパスで女のケツでも追っかけたほうがよほど世の中のためです。」(つづく)

2010-09-18 14:03:53
菅野完 @noiehoie

(承前)「そろそろ東京行きの長距離バスの時間です。さあ、汚い面を有権者に見せることなくとっとと帰ってください。」 とここまで一気にまくし立てたところで、ゆかいな仲間たちは震えながら帰っていった。その時、SFCの学生が言った「覚えてろ」という捨て台詞が忘れられない(つづく)

2010-09-18 14:05:41
菅野完 @noiehoie

(承前)で、その「覚えてろ」が今、かえってきたんだろう。民由合併のお陰であの青瓢箪連中は一旦冷や飯を食わされた。それは喜ぶべきことだが、いまその連中の天下が再び始まった。きっとこれは、反革命だ。青瓢箪民主主義はこれからますます猖獗を極めるだろう。嘆かわしい。

2010-09-18 14:06:57
菅野完 @noiehoie

その前に、あれだ。みんな忘れかけてるだろうから民由合併のころの時系列のおさらいをしておいたほうがいいかもな。 民由合併が2003年の9月で、あの年の総選挙が10月だったってことを踏まえていただくと、青瓢箪達が如何に焦っていたかってことがよくお分かりいただけると思う。

2010-09-18 13:32:02
菅野完 @noiehoie

なので2003年の総選挙は「選挙マシンとしての小沢事務所」はまだ稼働してない。それに小沢自身もあの頃は好々爺を演出していたので、まだああいう青瓢箪を駆逐するには至ってなかった。ただ青瓢箪達は「喧嘩の弱い奴」の常で鼻だけは効くので、「あ。俺たちヤバイ」と感づいて必死だったんだ。

2010-09-18 13:34:40
菅野完 @noiehoie

そんな古い時代のお話でした。

2010-09-18 13:34:59
菅野完 @noiehoie

いたいた。あおっちろい顔して立ってた。「ゆかいな仲間たち」を追加したのでオミットした  @sanada64: 修正前は「菅直人の息子は震えながら」とありましたが、結局その場に菅直人の息子はいたんでしょうか。 RT @noiehoie: ゆかいな仲間たちは震えながら帰っていった。

2010-09-18 14:19:14