犬とオオカミの間~ 前日譚 暗い嵐の夜の話
@sasa_sep 銀の髪に瞳。褒められたことなど一度もなかった。母親の交際相手が髪を伸ばせ、売り物になると下卑た笑いを浮かべて腕を掴まれ、ベッドに押し倒されたのはいつのことだったろう。中三か、それより前か。暗い嵐の夜だった。必死で抵抗して台所へ逃げ、揉み合いになった。
2013-06-13 00:17:00@sasa_sep ガキが、手こずらせやがって。安っぽい男の、安っぽい台詞に思わず笑いがこみ上げてきた。刃物を最初に取り出したのは俺だったか、あの男だったか。気が付いたら、視界が真っ赤に染まり男の悲鳴が聞こえてきた。ああ、うるさい。痛みより、その感想が先だった。
2013-06-13 00:17:55@sasa_sep 腰を抜かしている男の脇を通り家を出た。母は、もともと俺に関心がない。いなくなったらもっと男と遊べると喜ぶだろう。母の連れてくる男達は皆八つ当たりの様に暴力を振るうか、先程の様に組み伏せようとしてくるかどちらかだ。うんざりする。ここではないどこかへ行きたくなる。
2013-06-13 00:19:22@sasa_sep どこをどう歩いたのか。傘も差さず、嵐の中当てもなく歩き続け、気が付けば港の方へと向かっていた。倉庫の方まで行けば多少なりとも雨風は凌げるだろうか。雨水と傷から流れ続ける血をそのままにふらふらと歩いている俺は不気味だったろう。…やあ、どうしたんだい。
2013-06-13 00:20:08@sasa_sep 最初自分にかけられている声とは思わなかった。君だよ。銀色の綺麗な髪の、坊や。……綺麗?俺が?声の主は俺の目の前にいた。黒い大きな傘を差し、一目で仕立ての良さが分かる黒いコートを身に纏った初老の男。長身痩躯だが、黒い瞳は冷たく射抜くような鋭さだった。
2013-06-13 00:20:59@sasa_sep 死神だ。そう思った。映画やドラマでよくいる、冥土への案内人。 不気味だが、怖くなかった。今のこの状況と地獄の違いなどないだろうとすら思った。怪我をしているね。それに、そんな格好では風邪をひくよ。着なさい。男はそう言うと、自分のコートを脱ぎ、俺に羽織らせた。
2013-06-13 00:21:31@sasa_sep 行く当てがないのかい。素直に首を縦に振ると、ではおいでと腕を引かれた。あの。いいから。そのまま引き摺られるように大きな屋敷に連れて行かれ、タオルを渡された。傷を見せなさい、誰にやられたんだい。俯いて黙っていると、言いたくないなら構いませんよと優しく言われた。
2013-06-13 00:22:33@sasa_sep うん、眼球までは達していないようだ。簡単に止血をしておこうね。…お医者さんなんですか。いいや、でも軍にいたからね、これ位なら出来るよ。軍人さん?昔の話だ、今はもう軍なんてないでしょう。とにかくシャワーを浴びてきなさい、風邪をひく。そこまでしていただくわけには。
2013-06-13 00:23:37@sasa_sep 悪いがね、僕は肺に病がある。君が風邪をひくと確実に僕はうつされる。かえって困るんだよ。行きなさい、言われるまま浴室に行き、シャワーを浴びる。いつの間にか用意されていた着替えに戸惑う。たかが行きずりに、ここまでしてもらう理由はない。
2013-06-13 00:24:23@sasa_sep 着心地の良いシャツを身に付け、最初に通された部屋へ戻ると男はゆったりと煙草を燻らせていた。ありがとうございます。うん。それで、あの、どうすれば。僕の言葉に、男は不思議そうに首を傾げる。どうすればって、何がですか。…だって、その為に連れて来たんじゃないですか。
2013-06-13 00:25:06@sasa_sep 男はしばし沈黙した後、笑い出した。子供が、何を言ってるんだい。別に取って食おうなんて考えて連れて来た訳じゃないよ。でも、じゃあ、なんで。そりゃあ、ずぶ濡れの子供がいたらこれ位しますよ。…子供?そう。俺が?そうですよ、何をそんなに驚いて。
2013-06-13 00:25:42@sasa_sep そんな風に扱われたことはもう随分昔で。坊や。俺の顔を覗き込みながら、男は言う。夜は長い、話をしましょう。…はい。うん、まずは互いの名前から。僕は後藤といいます。後藤有礼。君の名は。新藤那智です。そうか、綺麗な名ですね。言われて、頭を撫でられ涙が溢れてきた。
2013-06-13 00:26:23@sasa_sep 風が窓を叩く音で目が覚める。暗い嵐の夜。念の為、屋敷の中を見回ろうと体を起こす。昔の夢を見た。ちょうどこんな暗い嵐の夜、旦那様に拾われた時のこと。あの夜は泣きながら己の身の上を打ち明け、良い子だと頭を撫でられベッドに寝かしつけてもらった。
2013-06-13 00:27:09@sasa_sep 翌朝起きると、食べなさいと朝食が用意されていて、僕は買い物に行ってくるから留守番をよろしくと一方的に言われた。後から教えてもらった所によると、立石さんを呼び出し、二人で俺の家へ行き札束をいくつも投げて、息子さんをこれで売りなさいと旦那様は言ったそうだ。
2013-06-13 00:27:47@sasa_sep 帰り際この屋敷に立ち寄り、俺の顔を見た立石さんは、悪くない面構えだと呟き鍛えて欲しくばいつでも来るがいいと付け加えた。いいから枯れてくださいよ老害。貴様の買い物に付き合ってやったのだ、それ位良かろうと老軍人は磊落に笑った。
2013-06-13 00:28:38@sasa_sep さて、これで君は自由だ。違います、貴方が買ってくださったんです。俺の言葉に旦那様は笑った。何、別に善意だけでやったことじゃあないからねえ。…はい。ああ、言っておくが君の体をどうこうするつもりはないよ。そうじゃなくてね、この屋敷と庭の手入れをしてくれないかと。
2013-06-13 00:29:35@sasa_sep 思いがけぬ言葉に唖然とする。たったそれだけをさせる為に、大枚を叩いたと?人をいくらでも雇えるじゃないですか。そういう面倒なことをしたくないんだ。君が全部やってくれると助かるんですが。どうして、俺なんです。君は綺麗だから、見ていて楽しい。
2013-06-13 00:30:20@sasa_sep 嫌なら好きな所へ行くといい、働き口や勉強したいことがあるなら助けてあげよう。いいえ。もっと考えてから返事をしなさいよ。自分から言い出したことなのに、旦那様は苦笑する。いいえ、何でもします。…若い子は、何でも、とか簡単に言っちゃうから怖いなあ。
2013-06-13 00:30:50@sasa_sep 笑う顔は、どこか寂しげで、冷たい。軍人の頃の二つ名は死神少将。今は街の片隅で少し変わった便利屋の所長。それが俺が旦那様と呼ぶことになった男の素性だった。広い屋敷と庭の手入れは、最初は全く知識がないので大変だったがそのうち慣れてきた。
2013-06-13 00:31:30@sasa_sep 旦那様は今夜も便利屋のビルでお休みになっている。この酷い嵐の中お帰りになるよりは良いだろう。戸締りを確認してから、自室に戻る。便利屋の話は幾度となく聞かされたし、お前も来るかいと誘われたが断った。俺はここを守るのが仕事ですからと言うと嬉しそうに笑われる。
2013-06-13 00:32:12@sasa_sep このままあの人は一人で生き続けるのだろうか。こんな夜、ふと不安になる。お前の刃物のような空気が好きだと言いながら俺の体には全く触れることもない。むしろ、好きな子がいるなら僕のいない時に連れ込みなさいとまで言われる。お前は若いのだから、自然なことだよと。
2013-06-13 00:32:57@sasa_sep 誰かを思うことが、欲することが自然なのだとしたら。俺のこの気持ちは、自然なことなのだろうか。貴方を思うことは、触れられたいと願うこの気持ちは貴方に受け取ってもらえないだろうか。きっと笑ってかわされるに違いない。死に損ないをからかうなと。
2013-06-13 00:33:41@sasa_sep あの暗い嵐の夜に、俺がどれだけ救われたかなんて、貴方はきっと ご存知ないのだ、旦那様。窓の音がやけに耳に障り、寝付けずにいると枕元の携帯電話が鳴った。肺の病の発作が出られたか。跳ね起き、通話ボタンを押す。どうされました。おや早いね、こんな時間に起きていたの。
2013-06-13 00:34:11@sasa_sep 苦笑とともに発せられる声はいつものそれで、思わず肩の力が抜ける。風が酷いので、さっきまで屋敷を見回っていて。そうか、ありがとう。何かお困りごとですか。急ぎではないのだけどね。薬がそろそろなくなりそうなんだ、明日取りに行ってくれるかい。はい、畏まりました。
2013-06-13 00:35:12@sasa_sep ……それは口実でね。え?お前と会った夜のことを思い出したんだ。……俺もです、旦那様。そうか。はい。那智。はい。他にやりたいことや、想い人が出来たらこんな死に損ないなんぞ放り出していいんですよ。…いいえ。ずっとお傍に。受け取ってもらえなくても、触れられなくても。
2013-06-13 00:36:09