【所縁の地レポ】高千穂神社に行ってきました【八百十五年ぶり】
- Shigetada_bot
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さて、100名越えの実家(深谷)重忠公園、200人越えの二俣川再訪に引き続き300名越えの今回は、唐突に日向の聖地、高千穂へと飛びましたぞ。
毎回フォロワー数のキリ番越えを指摘最初にした方に、訪問地指名権をお渡ししているのですが、頼家さまがなんと三度連続w もう近場では物足りなかったのでしょうか、初の本州を飛び出した所縁の地を……ええ、武蔵の国の重忠。実は九州には意外にご縁があるのですぞ。ご覧アレ。
そういえば、今回の高千穂訪問、ついでに我が娘の嫁いだ島津忠久の所縁の地、鹿児島県の出水市に立ち寄ろうかと思っていたのだが……結局、熊本から高千穂によった足で大分は佐賀関〜伊予に豊後水道を渡ると言う流れになってしまった。(薩摩に入ったらしろくまが食べたかった)
2013-06-12 22:32:01↑ ちょうどヒスチョリアにて篤姫をやっているのを流しつつのまとめ開始。島津家の話題が耳に入って来る。そう島津家初代の島津忠久は私の烏帽子子であり、その正室は私の娘であった。
記録には残っていないが、日向へ向かう際に、もしかすると娘の顔を一目見ているかもしれない。時期などを考えてもありうるのだ、覚えてないのが残念だが。
なぜ高千穂か、というと高千穂神社に残っていると聞いた、私が頼朝さまの代参として献じた狛犬と、そこで植えた杉の木の様子を見るためにちょっと気合いで足を伸ばした。というか気合いが要る土地だった、高千穂。
2013-06-12 23:02:39あの時は、下関から入ったのだったか、袖の湊からだったか、赤江港からだったか、はっきりとした記憶はない……ともかく、最終的に阿蘇の側から高千穂へと向かった。今回も似たような方から行ったな。前夜に但馬→京→(唐突に)熊本、というルートだったものでな。
2013-06-12 23:03:52初めて行こうと検討している人は、大変良くまとめられている高千穂観光局のサイトがあるので、これを見ていくと良いと思う。各地からのアクセス、九州でのアクセスなど、ほぼこれで情報は足りる。→ http://t.co/Nf8UKNtq9x
2013-06-12 23:09:50あの当時だと、高千穂の周辺は菊地氏が阿蘇神社と結んで本拠としていたのだが、基本的には鎌倉側からは大友氏に力を持たせていた。私も郎党の本田近恒の子息らが島津と大友に仕えたので、それらを頼りにしたものだ。
2013-06-12 23:14:20あの時も馬で渡るには五ヶ瀬の鞍岡から阿蘇外輪の馬見原へという道を通るようにしていたよう思う。多分近世までこのあたりが一般的な道だったはずだな。早朝に熊本を出て、阿蘇で地獄温泉に入ってさっぱりして向かった。けっこう寒かったりするから温泉寄ると良いぞ。
2013-06-12 23:22:31と言うわけで、阿蘇山からもうずっと山を越え山を越え……と言う感じで、高千穂についたらいきなり高千穂峡だった。絶景きた。 http://t.co/AatMBWXIlK
2013-06-12 23:25:52やはり神々しい感じしますよな。この水系は。この断崖は十万年前とも言う阿蘇の火砕流堆積物による。 http://t.co/jkG9UH48wd
2013-06-12 23:30:15柱状節理と言って、溶岩の固結の際に生まれる、規則性の高い岩体だ。それが五ヶ瀬川の侵食で、彫刻のようになった。ま、当時みたら神の仕業としか見えぬ。十万年前からの事だから本当に神の仕業かもしれんし。 http://t.co/tdzpa1H7cl
2013-06-12 23:34:32ということで高千穂峡の絶景から徒歩10分程の距離にある高千穂神社へ。ここも早めの時間に行ったから良かったが、日も高くなる10時頃に神社をおりて来ると、大きな観光バスが乗り付けていた。
まあ何事も早めに越した事はないな。
ちなみに『平家物語』巻八の緒環の段では、「日向国にあがめられ給へる高知尾の明神」その正体は大蛇というよな……あれ? 私……いま気付いたよね。へえ。大蛇か。 #製鉄民
2013-06-12 23:42:56まあともかく、高千穂神社は天孫降臨の地とも言われ、古くからの信仰の地だった。私の頃から見ても古くから、という時代。それで頼朝さまが天下泰平祈願に私を代参として遣わしたのが、建久年間。多分吾妻鏡の欠巻の時期に当たる。
2013-06-12 23:52:53吾妻鏡の欠巻は全巻の中で十年分あるのだが、そのうち頼朝さま薨去を含む建久七年〜九年(1196 年 2 月 1 日〜1199 年 1 月 27 日)がないのだ。
色々な憶測もあるが、ともかく私はこの時期に高千穂へ参じているのだと思われる。島津家へ私の娘が行った年が建久七年、頼朝さまが大姫さまの入内のために心を砕いていた時期でもあり、それらの願いを持ってここ高千穂の神にも頼ったのであろう。
私が訪れた建久年間だと土持氏が関わりを深くしておったが、土持氏は宇佐八幡の社人であったかな。ちなみにこの時期より熊野信仰が入って来たはずだ。もう少し後の世には熊野社領になったのだと思う。私の死後なのでいまいちわからんが。
2013-06-12 23:47:54この時に多くの宝物を献じたのだが、現存するものは鉄製鋳造の狛犬である。頼朝さまの奉納だが、うちで作ったもんだ(自慢)。重要文化財になっておる。 http://t.co/7inOcB8k15
2013-06-12 23:56:04ちなみにこの狛犬、社殿両側にあるにはあるが、硝子戸の中なのとわざわざ札たててる割にすげえ見づらい置き方だから注意な。一般の狛犬位置の建物前ではなく中なので、よく探してくれ。 http://t.co/viqi12l348
2013-06-13 00:00:24そして、私の手植えの秩父杉だが。見事な大木に育っていたぞw うん、立派だ、これなら樹齢八百年くらいだな。立て札の説明文も幾つかあって丁寧な感じだ。しかし、これだけ遠い地で、後の時代に私の名前が堂々あると嬉しいが不思議な気分だ。 http://t.co/Ho8F7mXdPV
2013-06-13 00:03:49秩父杉、引きでみるとこんな感じだ。しかし境内には、このクラスの巨木がちらちらある。落ち着いたよい土地だ。 http://t.co/UtqbEhqPDC
2013-06-13 00:06:32秩父杉と狛犬については、立て札にまとめてあったが、ざっくり言うとまあそんな感じだな。ただ、坂東武者など縁なき日向の民が観て、ピンとくるものなのかはわからん。頼朝さまの事は誰でもわかるから、良いか。 http://t.co/drLSz9re7t
2013-06-13 00:10:02