+なぜ憲法には「人」ではなく「個人」と書いてあるか。

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Koji Matsui 松井孝治 @matsuikoji

5月29日参議院憲法審査会。土井真一教授の発言の白眉(のひとつ)は憲法13条の「個人として尊重される」の「個人」を「人」と条文修正することには慎重であるべきであることの立論。以下連続ツイートにてご紹介します。

2013-06-15 08:46:34
Koji Matsui 松井孝治 @matsuikoji

ありがとうございました。感謝です。5月29日の参院憲法審査会議事録全文はこちらでお読みください。@takenoko_k http://t.co/fFGQxyLgai

2013-06-15 09:18:31
林 信長 @H_Nobunaga

「すべて国民は、個人として尊重される。」は翻訳すると「すべて国民は、その人が個である特性を尊重される。」という意味。様は”人”性を尊重しているのではなく(国民は”人”なんだから当たり前)、人のidividualityを尊重している。むしろそう書き直すべき。

2013-06-15 13:11:58
林 信長 @H_Nobunaga

”個人の権利だと認められているものは決して私的なものなのではなくて、公共的な役割を果たそうとする国民がその役割を果たしていくために必要だと認められている権利もたくさんあるわけです。”(土井真一郎氏) →遠回しだが、公共の福祉より個人の権利が概念的に上位にある、と述べている。

2013-06-15 13:16:00
林 信長 @H_Nobunaga

「現実」には個人はコミュニティ(国家、社会)を無視して生きていくことなどできない。にもかかわらず、「理念」としては憲法は個人をコミュニティの上位におく。このイデアル/リアルの区別が大事。憲法はつねにイデアルについて語るべき。”現実に即した憲法”、を突き詰めれば憲法は意味を失う。

2013-06-15 13:21:33
林 信長 @H_Nobunaga

憲法には目指すべき社会の基本設計が書いてある。立法された法律が違憲とされるのは、その基本設計から大きく外れる方向性をもつものだ。自衛のための戦力保持が憲法9条に即違反しているといえないのはそのため。ただ、もし自衛隊を国際紛争解決のための戦力に発展させようとするなら違憲だ。

2013-06-15 13:31:21
林 信長 @H_Nobunaga

憲法はめざすべき社会の基本設計であるから、現実に対応するために憲法を変えるというのは、現実に対応するために立法して対応する、ということの何十倍も重大なことだ。ルールを単に変えるのではなく、「われわれがあるべき姿」の理想(イデアル)を変更することになるのだから。

2013-06-15 13:34:16
林 信長 @H_Nobunaga

だから憲法を変更するにあたって、交通ルールを変えるように「現実に即して」なんていう場当たり的なやり方はありえない。社会が目指すべき理念を変更するのだから、現実の(国際)情勢とはまったく関係なく、その必要性とあらたな理想像の可否がイデアルな次元で議論されないといけない。

2013-06-15 13:38:59
林 信長 @H_Nobunaga

憲法の条文にある”個人”を公共の福祉の観点から”人”に変えるという、という自民党の改憲案も同じ。現実には公共の福祉の観点から人権が制限されることはある。それは現実(リアル)の法律の中で可能なかぎり”例外”運用すればいい話であって、理想(イデアル)である憲法を変えてはいけない。

2013-06-15 13:45:23