クレーの『造形思考』の英訳タイトルって何だったっけ。独語原題が "(なんちゃらかんちゃら)Denken" だったてことは覚えてるんだけど。
2013-06-15 15:35:35@t_hayashi ああ、なるほど。しかし関係ないですけどクレーの作品見て「可愛い」とか「無邪気」とかって感想を持つ人ってすごいですよね。感じ方は人それぞれですけども。
2013-06-15 15:43:25@tsurock ぼくはどっちかって言うと、「笑いながら人殺す」みたいな「不気味さ」をクレーの絵に感じますけど、ここで感じる「不気味さ」は、「無邪気さ」と表裏一体なのかもしれません。
2013-06-15 15:46:11@t_hayashi なんていうんだろう、獣とかじゃなくて昆虫とかホヤとかの無脊椎動物が進化した怪物みたいな印象があるんですよ。意思の疎通ができない。
2013-06-15 15:48:29@tsurock ぼくはクレーの絵を「フラット」と感じることが多いんですが、そういう「フラット」な感じが不気味なのかな、とも思います。世にある大抵のことは、どちらかに針が振れているのが常態で、フラットなもの/ことなんてないわけですから。
2013-06-15 15:54:49@tsurock 「普通」といい「凡庸」と言っても、それは事物のごく限られた一側面について、ある「幅」を持った特性として言われていると思うのですが、人のなすことは「人がなす」という一点ゆえにある「傾向性」を持ってしまうので、完全な「普通」も「無作為」もむずかしいでしょうね。
2013-06-15 16:04:41@tsurock ただ、「普通」と「凡庸」は分けて考えるという立場もありえて、たとえばぼくらは「ふつう」に「箸にも棒にもかからない」って言ったりするじゃないですか、そういうものを「凡庸」って言ったり。(そして、凡庸さもある閾値を超えると、ぜんぜん「凡庸」じゃなくなる)
2013-06-15 16:07:14@t_hayashi そこらへんの言葉の問題も難しいですよね。ただ自分は才能なんてものはみんな持ってて別に珍しく何ともないし才能だけで勝負できる人はなんかの奇形だと思ってます。むしろ才能の限界、無力さを悟るところからすべて始まると思うので。
2013-06-15 16:08:51@tsurock 「無個性」ってことで言われてるのはじつは「半端に個性的」ってことなんですよね。両極どちらかのエクストリームに針を振れさせるのも、あるいは、「真ん中」で針をじっとさせるのも、ひとしく困難なことですから(ただ、比べれば「エクストリーム」のほうが簡単?)。
2013-06-15 16:09:41@tsurock ぼくは「中途半端な才能」ってのはあまり「才能」とは呼びたくなくって、それのエクストリームな現れだけをそう呼びたいという気持ちがあるんですが、そう規定された「才能」(つまり、エクストリームなそれ)を有してるような人は、やっぱりどこか「人外」な雰囲気がありますよね。
2013-06-15 16:12:24@t_hayashi そうそう、ごく一握りですよ。才能の保有者は。自分は尊敬しつつそういう人には関わると大変なので積極的に距離を起きます。凡人が天才の演技しているのが一番痛々しいですよ。
2013-06-15 16:13:47@tsurock ああ、そういう「フリ」ってのは痛々しいですね。ただ、「キチガイのフリをするやつはすでにキチガイだ」って言葉がありますけど、「天才のフリ」をそれなりの長きにわたって貫徹できたら、ある意味「天才」だとは思います。(が、どういう意味で「天才」なのかはよく分からない)
2013-06-15 16:15:37@t_hayashi まあ続けられたら、ですよね。大概の人は疲労骨折みたいにどんどんメッキが剥がれて。壊れていて、かつ創作とかできなくなっちゃう。
2013-06-15 16:16:49@tsurock じつにつまんない結論になっちゃいますけど、各自身の程を知って、自分のできうる範囲でできうることをするってのが、最終的に自分にとっても、その成果物を享受する周りにとっても満足度の高い結果が出ると思います。
2013-06-15 16:18:59