- jonathanohn
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脚本作りも難しいのは、事実を重ねて描写すること。つい意見をセリフにして語ってしまう。たとえば主人公が誠実な人だと描写したい。いい脚本はどういう事実があればその人が誠実と観客に伝わるかを考える。ダメな脚本は「彼は誠実な人よ」とセリフで脇役に語らせる。
2013-06-18 10:08:18RT言及: おお、これはまったくもって難しい問題です。事実を重ねて描写、というのはその重なる事実を、見る側が「自分の中に蓄積して解釈」する必要があります。これはそれなりにストレスのかかることですので、全部のキャラでやるわけにはいきません。見る側が負荷に耐えられませぬ。
2013-06-18 10:38:18悪役ですと、記号的な「ひゃっはー」パターンが多くあって、それが見る側の見てきた物語の蓄積から、「ああ、こいつは悪いヤツだ」を引っ張り上げやすいというのはあると思います。老婆を蹴るとか、目がつり上がっているとか、子供でも「色が黒いから悪いヤツ」とかの判断ができます
2013-06-18 10:43:12@bakagane 白い服を着て、丁寧な口調で語りかける輩の方にも吐き気を催す邪悪が存在するのですよねー しかも大抵そういうののほうが狡猾で陰湿、取り返しの付かないレベルだったりするし
2013-06-18 11:09:27@gagagajagao 最初の印象が悪い奴がひっくり返って良い人になるのは、危険は少ないのですが、良い人だったのがひっくり返って悪い奴になると、大ダメージですので、つい警戒しちゃいますね
2013-06-18 11:11:37「誠実な人」とか、「信頼できるヤツ」とかだと、記号化されたパターンはあまりなく、事実の蓄積で描写しようとすると、物語ごと、キャラごとに、えらく手間がかかりそうです。そこに作り手の腕のみせどころはありましょうが、その腕と描写の時間は他のところで使う必要があったりもしそうです
2013-06-18 10:45:58なのです(電)!つまるところ、見る側が「何を善」「何を悪」という風に評価するかなのです。「悪」は割合に共通認識があるのですが、「善」の共通認識は乏しいと思うのですRT @HighTaka: bakagane 評価なんて、主観者でかわるもんです。客観的にかためるのは無理がありますな
2013-06-18 11:03:47@bakagane @sweets_street 歴史書の「誠実な人」って、恩人のために仇を斬り殺したとかいきなりスプラッタじゃないですかヤダー
2013-06-18 11:11:37@bakagane もう少し細かい描写だと、「他人に援助を惜しまなかった」「人と争おうとしなかった」「約束に忠実だった」などがあります
2013-06-18 11:14:02@sweets_street @bakagane 個人に対する「誠意」は描写しやすいのですが、不特定多数に対する「誠実」は描写しにくいですわな・・・
2013-06-18 11:19:40@sweets_street 結局は、そこですねー。悪いことは、すぐ結果につながり、良いことは、なかなか結果につながらなかったり、曖昧だったりしちゃう。善行は、報われぬまま終わることを覚悟で積む行為であります。
2013-06-18 11:17:58@bakagane @sweets_street 期間も問題ですが「不特定多数にたいして誠実」となるとますます、説明的な描写意外にやると、それそのものを主題にする必要さえ出てくる話になってしまいますな。
2013-06-18 11:22:02@bakagane 三国時代の胡威という人が、「私は清廉であるという評判が立たないのを恐れるが、父はそういう評判が立つことを恐れた。だから父のほうが立派だ」と言っています。知られる=目に見える結果が出る善行はスタンドプレイになりがちですからね
2013-06-18 11:22:58@sweets_street 目に見える善行が、世間での評判につながり、引いては出世の糸口にもなっちゃう社会ですと、そういう風になるんでしょうね。いたしかたないところであります。
2013-06-18 11:25:11@bakagane しかし、善行が評判につながらないと、目に見えない善行が後日になって評価されることも無いのです。難しいですね
2013-06-18 11:26:57@Jiraygyo @bakagane たとえば皆に対して公平であろうとすると、すべての人に憎まれることも多いでしょうからね
2013-06-18 11:25:30