濱口竜介の「はじめのことば」 5.5 即興の理想的なかたちとは

今年(2013年)9月に「即興演技ワークショップ in kobe」を開催するにあたり、映画監督濱口竜介が目指す、即興演技の理想的なかたちについて考察したツイートをまとめました。
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濱口竜介 @hamryu

おはようございます。『あまちゃん』も終わりの時間…。1日の始まりに少し五月蝿くして恐縮ですが「即興演技ワークショップ in Kobe」(http://t.co/bJgd9LETDm)についての話、少し間が空いてしまいました。体調が優れないのと、移動が込んでいたのが理由ではありつつ

2013-06-17 08:32:51
濱口竜介 @hamryu

…それ以上にまとめようとすると、言葉が反発する、みたいな感覚を味わってます。「違う、そうじゃない」と。 関西での特集上映まで2週間を切って、この話ばかりしてもいられない、という気分なのですが、どうもそうも行かないようで、終わりを求めずやってみたいと思います。

2013-06-17 08:33:22
濱口竜介 @hamryu

前回は、「普通に会話」をしていてやってくる濃密で粘度のある時間について話しました。「間違うわけはない」という感覚の中で、会話の始まりから終わりまで行き着くこと。それは即興の一つの理想的な地点です。

2013-06-17 08:36:15
濱口竜介 @hamryu

「聞く」ことが「話す」ことを手助けするのは、その「聞かれている」という感触が「話す」側の「言ってはいけない」を具体的に消して行くからです。普段の会話が「言ってはいけない」の地雷原とすれば、地雷が取り除かれたフィールドで、話し手が感じる自由は想像を越えてあまりあるものです。

2013-06-17 08:36:45
濱口竜介 @hamryu

地雷が取り除かれた自由なフィールドで、話し手は初めて自身の「言いたい」ことを言葉として発見し、直につかむことがあります。話題にした迷いや恐れのない声のクリアさは、発見した言葉を最短距離でつかみに行ける直接性から生まれるのかも知れません。

2013-06-17 08:38:01
濱口竜介 @hamryu

「話す」側として感じるのは「まさかこんな言葉になるとは思わなかった」という驚き、もしくは「こんな言葉(の連なり)があるのか」という発見の感覚でしょうか。漠然としていた感覚が、問われ、聞かれるうちに思いもよらない言葉となって現れるとき、そのことに驚きながら、納得したりします。

2013-06-17 08:39:59
濱口竜介 @hamryu

もし進んで「即興」を採用する人がいるとすれば、その人は誰よりもこの発見の感覚を愛しているのではないかという気がします。ただ面白いもので、こうした時間は本性的に不意打ちとして起こるし、起こっている間は意識できないし、それがなぜ起こるか事後的に、正確に判定するのは難しいです。

2013-06-17 08:44:31
濱口竜介 @hamryu

ただ、不思議なほど、「さあ、即興をやろう」とすると、こういう事態は起こらない。と言うか即興を計画すること自体が、即興が生まれる場を殺してしまう。そんなジレンマがあるようです。だから「即興演技ワークショップ」と銘打たれたそれは何より即興から遠のく可能性もまたあるのです…(!)

2013-06-17 08:45:13
濱口竜介 @hamryu

では不意打ちを食らい続けるためには、発見を続けるには一体どうしたらよいか。それを考えるのに、一つ置いて来たままにした問題があります。日常空間であれ、演技空間であれ、聞くのは一体誰か?ということです。この辺りはまた明日…もちっと早い時間か深い時間に。

2013-06-17 08:46:59