「大東亜戦争」と「アジア植民地の解放」について 《山崎雅弘》

表題に関連して思う所を書いたツイートをまとめてみました。
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山崎 雅弘 @mas__yamazaki

「大東亜戦争はアジア植民地の解放戦争だった」と主張する人は、靖国問題で日本が中韓両国に攻められている時、日本の味方をするアジアの国がただの一つも出てこないという現実を直視すべきだと思う。解放の定義にも色々あるが、当事者が「解放してもらった」と思っていないなら、それは解放ではない。

2013-06-19 20:09:00
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

太平洋戦争末期、ビルマ(現ミャンマー)では独立運動の指導者アウン・サン少将がビルマ人部隊を率いて日本に反乱を起こしたが、ビルマ独立運動を助けた特務機関の少数の日本軍人だけは「攻撃対象から外せ」と命じた。彼らは特定の個人には感謝したが、自分たちを裏切った日本政府には感謝しなかった。

2013-06-19 20:09:29
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

「大東亜戦争はアジア植民地の解放戦争だった」との主張は今でも一部で根強いが、1942年4月11日に陸軍省軍務局は『南方軍政建設の方針』と題された通達の中で、アジア占領統治の基本方針を次のように定めている。「大東亜戦争は白人対有色人種の民族戦争ではないから、枢軸国人【続く】

2013-06-19 20:10:19
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

【続き】(親独的中立のヴィシー政府下仏印のフランス人)まで一概に『白人』として排斥し、米英の企図している人種戦争の形態に導かれないようにすることが必要である。しかし東亜の指導権はあくまで日本が持っているのであるから、わが統治を妨害するような行為は厳重に取り締まらねばならない」

2013-06-19 20:10:27
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

日本は1940年から1945年3月までの5年間、仏印から統治者のフランス人を追い出して「フランスの搾取に苦しんできたインドシナ諸国を解放」しようとはしなかった。逆に「松岡・アンリ協定」(1940年8月30日に松岡洋右外相とヴィシー仏政府のシャルル・アンリ大使の間で成立)に【続く】

2013-06-19 20:11:54
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

【続き】従って「仏印が日本軍の駐留を承認する代わりに、日本は仏印総督のインドシナでの主権を認める」姿勢をとることで、実質的に「仏印におけるフランスの植民地支配」を承認した。米軍の仏印上陸の可能性が生じた1945年3月になって、日本軍は自国のために「仏印の白人」と戦う姿勢を見せた。

2013-06-19 20:12:02
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

仏印とは、現在のベトナム・ラオス・カンボジアの「インドシナ三国」のこと。ベトナムでは、日露戦争でロシアの南方進出を阻止した日本に感銘を受け、ベトナム青年を日本へ留学させる「東遊(ドンズー)運動」が20世紀初頭に始まったが、日本政府は仏政府に配慮して、これらの学生を国外へ追放した。

2013-06-19 20:13:25
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

日本軍が通達した「アジア占領統治の基本方針」や実際の統治状況を見る限り、大阪市長兼新興野党共同代表の言い方を借りれば、アジア植民地の解放に個人として尽力した日本軍人は少数存在したが、「国家の意志として」アジア植民地を本質的な意味で解放しようとした事実は「存在しなかった」と言える。

2013-06-19 20:15:35
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

日本が「大東亜戦争」を始めた直接の発端は、米政府による対日石油禁輸であり、日本は米国に代わる石油の産出地として蘭印(現インドネシア)の油田を自国の支配下に収めるために戦争を始めた。その意味では対オランダ戦が「主」であり、対米英戦は蘭印侵攻を成功させるための「副」に過ぎなかった。

2013-06-19 20:16:26
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

1943年5月31日の御前会議で承認された「大東亜政略指導大綱」で、日本政府は蘭印を「永久に帝国の領土とする」と規定していました。蘭印から日本へ石油を輸送するルートが遮断された1944年9月、日本政府はようやく蘭印の独立を承認する方向に転じました。@roppeita_mansei

2013-06-19 21:31:54
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

「大東亜戦争はアジア植民地への侵略戦争だった」という認識は、当時の日本軍人の行動や思想を全否定する「自虐史観」を意味しない。現実に存在しなかった事実を「存在しなかった」と認識する思考は「(意図的な)自虐」とは全く関係が無い。事実と無関係に紡ぎ出される「物語」は「史観」ですらない。

2013-06-19 20:17:27
山崎 雅弘 @mas__yamazaki

「日本人であることを誇りに思いたい」なら、欺瞞に満ちた日本政府や軍の戦争指導ではなく、南大佐や柳川中尉などの勇気ある個人の存在をこそ誇るべきだろう。彼らは、軍上層部の無理解や「妨害」にも屈せず、現地の人々と心を通わせ、彼らと接点を持った人物が戦後のアジア諸国で指導的地位に就いた。

2013-06-19 20:18:12