- H_Nobunaga
- 1048
- 0
- 1
- 0
「現代のフランス思想が、総じてニーチェやハイデガーの解釈論であるのも理由のないことではない。というのもニーチェやハイデガーの思想に、ファシズムとして現象した暴力の本質的な思想があるからにほかならない。」(千坂恭二氏) ->慧眼だな。もう少し広くいえば「権力論」だと想う。
2013-06-22 19:40:03思想家がその特質をもっともあらわすのは、内容じゃなくて内容の変化。映像の美が実は編集のタイミングにあるのと一緒。ハイデガーでいえば「存在と時間」からナチス体験を挟み、コペルニクス的転換を行う「ニーチェ講義」というトランジションが大事。”ダイナミクス”と言ってもよいと思う。
2013-06-22 19:47:57作家は編集よりも内容を重視することが多い。映像でいえば、一枚の絵(内容)の”デキ”にこだわるのが作家だ。でも、批評家はそこに巻き込まれてはいけない。作りあげられた絵についていくら言葉で語ってみたところで、その絵以上には雄弁に多くを語れない。むしろ、絵と絵のつなぎに注目すべき。
2013-06-22 19:53:21思想も同じ。一つの思想の内容について、あれこれコンテキストを探して微細に論じるのは、どんなに手間がかかっていても単なる「感想文」。思想の中で思想がその「色」や「場面」を変化させる無意識の瞬間を的確に捉えるのが思想に対する批評。
2013-06-22 19:56:40要は小説を読んだり、映画をみたりするように一つの思想を「読める」(楽しめる)かどうか。批評の対象としての思想は、何かものを考えるための方法論的教科書ではない。
2013-06-22 19:58:29内容よりも内容が変化する数秒の「編集」が重要であることはビジネスでも同じ。社員の状態から事業の進み方まで内容全部を把握したいという経営者が経営できる規模はたかがしれている。経営は会社の「意識」をコントロールするのではなく、その「無意識」に「瞬間的」に介入することだ。
2013-06-22 20:04:08ソフトバンクの孫正義氏がすごいのは、自分のハゲネタをツイッターで流すことで、見事に一兆円企業とそのカスタマーの無意識に介入するから。日々の事業結果なんて大して気にしていないだろう。
2013-06-22 20:07:34ちなみに僕は自分の会社を映画を観るように眺めている。ただし、それは編集室でラッシュをみているようなカンジ。編集の必要があればすかさず「介入」する。逆にいえば、よほど汚い画が飛び込んでこないうちは現場に任せてただ眺めている。
2013-06-22 20:13:46